「株式会社24Frameの内情暴露日誌」第24回:行動経済学による,神の微妙な不在証明
余談ですが「経済学」というのが一気に実用的な学問になったのも行動心理学をその文脈に取り込んでからだったりします。行動経済学が勃興する前のパラダイムだと「人は自律的に正しい判断で売買を行う。故に相場は自動的に適正に決定される(意訳)」なんてことが書いてあって「じゃあ僕はなんでこんなに必要のないものを山のように買ってしまったんだ?」という疑問とともに「神の見えざる手」は実在しない,経済学が実学でないことを悟ったものです。
じゃあ行動経済学って何? という話なんですけど,これは極端に言うと「値段が高いと人はそれを値打ちがあるものだと勘違いしてなぜか買ってしまう」みたいなとてもよく分かる話のオンパレードなのですが「ああ,なるほど!」と思いつつも,じゃあそれを活かして自分の買い物傾向を俯瞰して見られるようになって,無駄な買い物が減るかというとそれは別に一向に改善しない,という人間の限界を教えてもくれる非常に含蓄のある生まれたての学問です。
そもそもどこかの誰かが書いた落書きなんかが世界唯一であるのは自明で,本来それ相応の価値しかなかったものが「コピー不可」などの付加価値で市場を混乱させている,といったところでしょうか。
地殻の反動エネルギーはたまるべくして一定のたまり方をするが,どこで弾けるかはそれこそバタフライエフェクトみたいなもので予測の仕様がない。(遡ることは「ここでこの小石が転がったから」レベルにまで完璧にできても!)という感じでこれはまあ心理学とか関係ないですね。
巨大な統計サンプルがどんどん出来上がっていくだけという極北がそこにあり,かたやの渋滞もここでの工事が原因かも? みたいな予測は無数に立つんですけど原因の決め手とはいいがたい,と。ここは「なんか怖そうなカーブなのでスピードをついゆるめちゃう」とか「やたらと魅力的な男性/女性の看板を置いてみたらそこで何かが起こってるぽい」みたいな心理学マージ方式で何かが見えてくる気がしますが,学問ってそういうことなのかどうか僕にはわかりきりません。
元々答えがないところに答えを見出そうとする我々の行いも,前回述べた通りに「無難」を解答とすることはできても,その先にある「感動」を生み出すためにはやはりおおよそ理論的ではない「根性」「信念」みたいなものが幅を利かせているのが現状です。
上記一式を持ってようやく「理論的に作品を作るには?」という分解と解剖が可能となるわけですが,相変わらず僕の要領が悪すぎてその本論は次回をお楽しみにしてくださいますれば幸甚です。それではまた次回!