外山圭一郎:連載「50歳からのゲーム会社の作り方」第6回
2020年12月3日,「SILENT HILL」や「SIREN」,「GRAVITY DAZE」といったヒット作のディレクションを手がけてきたクリエイターの外山圭一郎氏が,ソニー・インタラクティブエンタテインメントを離れ,新会社「Bokeh Game Studio」を設立したという発表が行われた。これまで大手ゲーム会社に所属していた外山氏が,どうやって会社を設立したのか,また,そこにはどんな思いがあったのかなどを語っていく。
「50歳からのゲーム会社の作り方」第5回はこちら2020年暮れ:好機
PlayStation 5発売の喧騒も落ち着いてきた12月3日,いよいよBokeh Game Studioのメディア発表となった。
長らくご縁のあった各メディアの皆様にも快くご協力いただけた。デビュー映像は普段から懇意にしているArchipelに手掛けてもらうことができ,抒情的な素晴らしいトレイラーとなった。発表の直後から,国内のみならず海外からも数多く届く反響に,確かな手応えを感じた。
そして遂にスタッフ陣が加入してきて,早速プロトタイプ制作がスタート。コロナ禍の完全テレワーク体制ということで全員直接顔を合わせる機会もないままであるが,気心知れたスタッフばかりであるし,久しぶりに本格的なゲーム制作となる者もいて,モチベーションは非常に高かった。
その後は振興のインディーズゲームスタジオとして,Microsoft,任天堂,そしてSIE(仲介役はおなじみ吉田修平さん)と,各プラットフォームの担当の方に挨拶するといった,これまでになかった新鮮な出来事を楽しんできた。
デビューから半年過ぎた現在はオフィスを契約し,ある種斬新な制作拠点として機能させるべく,内装などのプランを進めている。
今回の独立について,まだまだタイトルも出ないうちは成功かどうか判断するには尚早であるが,少なくとも当初の想像を大きく超える,充実した開発環境を築くことができた,という点は間違いない。
そして,そこに至るうえで欠かせなかったことを振り返ると,二つの大きな要因に集約されていると思う。
自分は特に人脈形成のため,といった動機で行動するということはないのだが,20代後半から一貫してディレクター職であったことから,取材やイベント出張などを通して,他社のクリエイターやメディアの方々と接する機会が多かった。
また,単純に酒の席で話をするのが好きで,誘われればどこにでも顔を出したし,自ら主催することもあった。そういった環境に長年いたことから,いわゆる業界内の横のつながりというものが厚いほうだと思う。
様々なアドバイスをくれて,背中を押してくれたのは,すでに独立を果たし活躍するディレクター仲間や先輩方。そして右も左も分からなかった自分たちに道筋をつけてくれた,ゲーム開発者コミュニティのasobu。決定的転機のきっかけをくれたTencentの今泉さん。そのほかにも,各種サポートやメディアの皆さん,そして何より新たなチャレンジに賭けてくれたスタッフの面々。人とのつながりが,独立への重要なファクターであったと実感している。
そしてもう一つは,タイミングである。
このコラムの初回冒頭で書いた通り,上田文人さんのGen Design設立などをきっかけに自身の独立を意識するようにはなっていたが,実際はなかなか踏み出せずにいた。その大きな枷となっていたのは,スタッフ確保の問題である。
どこで何を手掛けてきたか,という実績は,個々人のキャリアプランを考えるうえで極めて重要な,生涯を通じての資産とも言えるものである。そして,家庭を持ち,その安定や幸福追求への責任を負う者も多い。
ソニーグループという,充実した開発環境に手厚い福利厚生,強固な社会的信用といったものを捨て,新たなチャレンジに踏み出すことには,誰であっても躊躇があって当然であろう。
もちろんSIEに限った話ではなく,大メーカーからの独立で成功するのが難しいと言われる所以の最たるものは,そういった部分であろうと思う。
そういった実情から,自分も独立する場合は一人だけで企画立案,設定,シナリオといったところにフォーカスし,どこかの制作母体と組んでいく形になる可能性が高いと思っていた。とはいえ,競争の激化で年々厳しくなってはきたが,Japan Studioのボトムアップでの自由な企画立案という信条。そして何より信頼の置けるスタッフの存在があるので,しがみついてでもここでオリジナル企画へのチャレンジを続けよう,と足掻いてきた。
しかし,状況は一変した。今年の2月に公式発表された,Japan StudioからTeam Asobiへの集約,再編。このコラムを始めた頃は濁していたが,実際のところ,独立に向けて腹を括ったのは,そこに至るまでの組織的な変化の兆候が,事前に察知されたことからである。
Japan Studio内で公式な通達があったときには,急激な変化に戸惑い,思い悩むスタッフも少なくなかった。そのときの我々は,少しだけ早い動き出しが功を奏して,Tencentをはじめとする出資者候補との交渉が大詰めの段階に至っていた。そうした我々の意思と状況を伝えると,共感を示してくれる者が少しずつ増えていった。
当初の予定よりも規模感が増すという可能性は,実行力を重視する出資者たちの評価をさらに良いものにした。そうして,後ろ盾がより強固となることで,我々に賛同してくれるスタッフの安心感も増した。そのように相乗効果が循環して,現在につながるたいへん良い形となっていった。
運は漠然と待つものではなく,備え,迎え入れるものであった
決断がもっと早かったら,やはり一人での独立であっただろうし,もう少し様子を見続けていたとしたら,スタッフの受け皿として機能する体制作りは間に合っていなかったであろうと思う。結果的には,好機の見極めが非常にうまくいったと言えると思うが,それは見方を変えれば,運が良かった,ということかもしれない。しかし,運は漠然と待つものではなく,備え,迎え入れるものであった。
タイトルを完成させ,世に送り出すという,これからやってくる正念場で,再び好機を見定め手繰り寄せていくことができるのか。将来振り返るときが,自分でも楽しみである。
外山 圭一郎(とやま けいいちろう)
Bokeh Game Studio 代表取締役 CEO/Creator。ホラーゲーム「SILENT HILL」のゲームデザイン&シナリオ/ディレクターを務めたのち,SCE(現SIE)に入社。「SIREN」や「SIREN2」など,立て続けに傑作ホラーを世に放つ。また,「GRAVITY DAZE」では2012年度の日本ゲーム大賞で大賞を受賞するなど,名実共に日本を代表するゲームクリエイターとなる。
Bokeh Game Studio 代表取締役 CEO/Creator。ホラーゲーム「SILENT HILL」のゲームデザイン&シナリオ/ディレクターを務めたのち,SCE(現SIE)に入社。「SIREN」や「SIREN2」など,立て続けに傑作ホラーを世に放つ。また,「GRAVITY DAZE」では2012年度の日本ゲーム大賞で大賞を受賞するなど,名実共に日本を代表するゲームクリエイターとなる。