外山圭一郎:連載「50歳からのゲーム会社の作り方」第5回


 2020年12月3日,「SILENT HILL」や「SIREN」,「GRAVITY DAZE」といったヒット作のディレクションを手がけてきたクリエイターの外山圭一郎氏が,ソニー・インタラクティブエンタテインメントを離れ,新会社「Bokeh Game Studio」を設立したという発表が行われた。これまで大手ゲーム会社に所属していた外山氏が,どうやって会社を設立したのか,また,そこにはどんな思いがあったのかなどを語っていく。
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2020年晩夏:展望


 SIEに退職を表明し,いわゆる有給消化期間に入っていた……が,テレワークでずっと家にいる生活が続いていて,体感的には大差ない気がしていた。世間ではGo To キャンペーンが話題になっていたりと,ようやくコロナ禍もヤマを超えてきたという安堵感があった(甘かった……)。

 新会社Bokeh Game Studioの登記手続きも大詰めとなり,虎ノ門の税理士さん事務所を訪問。いよいよ会社の印鑑の出番であった。数日後の8月13日(大安),予定通り登記完了の知らせを受領。その日は関係者で密やかに,Bokeh Game Studio設立祝いのオンライン飲み会となった。

 その一方でのとある日,何度目かになるTencentオフィスへの訪問。ここに至るまで,出資の提案をくださった各社と,金銭面やサポート体制など,様々な条件についてタフな交渉が続いていた。我々も含め,それぞれの譲れない線について議論が続き,場合によっては決裂してすべて白紙となりえる緊張感と隣り合わせながら,少しずつ詰めてここまで来た。

 この日はTencent Japan代表シン・ジュノ氏からの最後の提示,という趣旨。とはいえ,何か新しい条件面の話などではなく,現状の我々に対しての,可能な限り最大限誠意ある条件提示であるという説明と,約束したサポートを必ず全力で果たす,という意気込みをあらためて示すものであった。これで合意に至らないのであれば,もはや手を引くのも止むなし,といった真剣味をひしひしと感じた。

我々の決断をTencentに伝え,同時に各所に連絡を入れ,速やかに契約の手続きへ取り掛かっていった


 その直後,出揃った各社の最終条件を元にして,自分と佐藤と大倉の起業メンバー3人で侃々諤々の話し合いの末,Tencentとパートナーシップを結ぶ方針で意思統一した。
条件面ではいずれも大変有り難く,甲乙付けがたいものがあったが,やはり最初に手厚い条件提示をいただき,相互理解のためのコミュニケーションを取る機会が最も多かった,というところが大きかったように思う。
 そうして我々の決断をTencentに伝え,同時に各所に連絡を入れ,速やかに契約の手続きへ取り掛かっていった。

 まずは何はともあれ弁護士さんへ。契約内容や扱う金額によって依頼先は変わってくるが,今回は超大手グローバル企業との契約ということになるので,契約書はもちろんすべて英語であるし,国内の案件とはまったく勝手が異なり,難度が高い。しかし幸いにも知人から,米国人ながら日本国内にも事務所を抱える,この分野に高い専門性のある先生を紹介いただけることになった。

普通の転職と異なり,受け皿をゼロから準備しなければならない


 さらにそれらの傍らで,粛々と退職の手続きも進んでいた。自分としては約20年ぶりのことで,前回のことなどまったく記憶にない。
 そのうえコロナ禍においては,通常とはかなり勝手が変わっているようであった。すべてメールと郵送で進めなくてはならず,なかなかメンドクサいものであったが,Bokehの経営,運営を一手に担う佐藤の辛労はそれどころではなかった。今回は普通の転職と異なり,受け皿をゼロから準備しなければならないからだ。

 まず法人の銀行口座について。個人口座と違って好きに開設できるわけではないと,この時に初めて知ったのであった。
 通常は本店所在地の金融機関支店の窓口でかなりの時間を要するそうであるが,こちらも知人の紹介で比較的スムーズに進められることになった。

 そして社会保険の移行については,当面は最も一般的な「全国健康保険協会」,いわゆる「協会けんぽ」への申し込み。「関東ITソフトウェア健康保険組合」などの有名どころもあるが,設立1年以上を要したり社員数の規定など,条件が厳しい。
 そういった社会保険手続きや労働関係の法律対応など,企業の人材にまつわる部分でお世話になるのが社労士さんだ。当初の小ぢんまりとした展望とは異なり,従業員数もそこそこになる見込みとなっており,必要となってくる契約形態や就業規則について,指導と手続きをいただいた。

 さらに住民税の切り替えについては,手続きの流れやフォーマットが自治体ごとにバラバラであるし,実際の手続きは退社後に行わなければならないことから,かなり慌ただしく混乱するものであった。
 そのほかにもロゴデザイン策定に名刺の発注,法人クレジットカードの申し込み等々……これらのタスクをTencentとの契約手続きと並行で進めなければならない。事務のアシストを入れることも提案したが,「一度は自分でやってみないと分からないので」と孤軍奮闘する佐藤であった。

夕暮れの日が差し込む無人のフロアからそっと退出。いつかやってくる日として度々想像していたものとは,まったく異なる光景であった


 そして,SIEの最終出社日を迎えた。
 制作部署のテレワークは続いていたのでオフィスに人の気配はない。すでにPCは片付けてしまっていたので,連絡に使っていた社用スマートフォンから上司へご挨拶のメールを送り,最後に電源を落としたそれを机に置いて,夕暮れの日が差し込む無人のフロアからそっと退出。いつかやってくる日として度々想像していたものとは,まったく異なる光景であった。

 この日は佐藤も最終出社日であったので,近くのチェーン系居酒屋で,ひっそりと退職記念の盃を交わした。思い出を語るよりもこれからについての,若干の不安は混じりながらも,大いなる期待と展望について話が尽きないのであった。

外山 圭一郎(とやま けいいちろう)
Bokeh Game Studio 代表取締役 CEO/Creator。ホラーゲーム「SILENT HILL」のゲームデザイン&シナリオ/ディレクターを務めたのち,SCE(現SIE)に入社。「SIREN」や「SIREN2」など,立て続けに傑作ホラーを世に放つ。また,「GRAVITY DAZE」では2012年度の日本ゲーム大賞で大賞を受賞するなど,名実共に日本を代表するゲームクリエイターとなる。

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※次回の掲載は2021年7月15日頃を予定しています