「24Frameの邪道経営哲学」第12回:リリース初日の売り上げが1本だった時の哲学


これはたとえ話ではない


紛れもない事実です
「24Frameの邪道経営哲学」第12回:リリース初日の売り上げが1本だった時の哲学

 最初に予め申し上げておきますが,本稿タイトルにある「リリース初日の売り上げが一本だった」というのはごく最近起こった紛れもない事実・実話であり,例え話ではありません。

 これは2023年8月28日に我々24Frameがゲーム配信プラットフォーム「Steam」でリリースした「INUMEDA」という作品の初日の売り上げ実績です。

 今までに我々が携わらせていただいたゲームは勿論のこと,自社で開発したいくつかのゲームを並べてみても,ここまで華々しいスタートを切った作品はかつてないのではないでしょうか。

 どのような形にせよ,作品のリリースというものはそれを作った人間にとって重要な意味を持ちます。そして願わくばできるだけそこから良い流れが起こり,作品がヒットの階段を上り始める。そんな未来を大なり小なり想像せずにはいられないものです。

 しかし今回に限って言えば,そこには上るべき階段すらなかった,または階段だと思って足を振り上げたはよいものの,大きく踏み出したその足は着地で大きく空を切り,体全体のバランスは崩れ,派手にすっ転んでしまった,という風に見て取れるのではないでしょうか。


どうしてこんなことになってしまったのか


何がそこまで失敗したゲームなのか,この画面からはまだ詳細が分かりません
「24Frameの邪道経営哲学」第12回:リリース初日の売り上げが1本だった時の哲学
 
 世には数多の作品のサクセスストーリーが多く存在していますが,失敗談というのは意外と希少なものです。セールス的な失敗作品というのは基本的に世の中で浮上していないということになりますから,それにまつわる情報も必要とされません。これは至極当然のことです。しかしここは皆さんに我々の「邪道経営哲学」を披露する場であります。せっかくですから,この事態がいかにして引き起こされたのか,その経緯を紐解いていくことにいたしましょう。


要因その1:多言語対応なし

「24Frameの邪道経営哲学」第12回:リリース初日の売り上げが1本だった時の哲学
 アーリーアクセス開始時には,母国語が対応外でした
 まず最初の要因としては「英語オンリーリリース」であったことがあげられるかもしれません。多言語対応がほぼ常識となった現在のゲーム業界において,なぜこのような判断が行われたのか。名もない会社が唐突に「おま国」を発動させ,国外でうまくいったとしても国内のヘイトを買ってしまうかもしれない。そんな苦渋の決断をしたにも関わらず,ヘイトどころか海外からも見向きもされていない。そんな状況がここにはあるように見えます。どんな判断なんだと誰もが思うこのジャッジ。これには何か理解可能な意味があるのでしょうか。


要因その2:告知活動なし

Googleは勿論,Twitter改めXで検索をかけても,ほぼ何も引っ掛かりません
「24Frameの邪道経営哲学」第12回:リリース初日の売り上げが1本だった時の哲学

 次に,英語圏にターゲットを絞ったなら絞ったで,そこでのPRなどは何か行われていたのでしょうか。一般的には日本国内であれ国外であれ,リリース日が確定したらそれに向け「プレスへのアピール」「テストプレイとレビューの呼びかけ」「クリエイターインタビュー」などの仕掛けが積み重ねられていき,満を持してリリース当日を迎えるものです。

 しかし本作「INUMEDA」に関しては,何の情報も露出していません。耳の早いSteamヘビーユーザーがごく一部そのリリースを情報としてキャッチしていたのみ。(これはこれでどうやって本作を発見してくれたのか,というところに世界の奥深さを感じたりもします)通常の広報活動としてはあり得ない状態。ここも,広報部が待遇の劣悪さに怒り心頭して慢性的なサボタージュに突入でもしたのかという疑念が生まれざるを得ません。またはそれ以外に納得しうる経緯などが存在するのでしょうか。

そもそも本来やるべきこととは?


普通はこんな風に,情報を露出していくものなのですが
「24Frameの邪道経営哲学」第12回:リリース初日の売り上げが1本だった時の哲学

 「リリース直後の売り上げが1本である」というのは端的に言って作品が,その存在を誰にも知られていないことに原因があります。逆にここにはそもそも「知らせる努力」は存在したのでしょうか。この「知らせる努力」つまり広報活動は僕の知る限り,次のように行われます。

(1)開発が決まったら,それを世間に告知する
(2)開発が進んでいくのに合わせ,ゲームの内容を徐々に明らかにしていく
(3)完成が近づいたら,ライターなどにゲームを遊んでもらい,レビューなどを依頼する
(4)これら一連の活動の中に切り口,フックを付けて予約数などを積み上げていく

 書きながら考えている節もありますが,おおむねこういった形になるのではないでしょうか。(4)についてはSteamでのリリースであれば「予約数」は「ウィッシュリスト数」と言い換えることもでき,これが積みあがった状態でリリースを迎えれば「話題の新作」としてリリース当日にはSteamのトップページに載ることも夢ではありません。

 ちなみに我々の過去作の事例でいうと,リリース時のウィッシュリストは1〜2万までいっていたものもありますので,当然部分的に上記の流れを踏んでいます。開発期間がタイトであれば(2)の部分はそんなに頻度を重ねない,などの濃淡はあれど,これは我々がやっていたことでもあったはずなのです。

 しかし今回は,すでにアーリーアクセスが始まっているにも関わらず(1)の「開発発表」さえされていません。これはいったいどういうことだったのでしょうか。大手にはできないインディーならではの特殊な戦略がそこにあるのか,という気もしてきますが……。

 しかし残念ながら今回は「あえてやらなかった」というようなかっこいい理由だけがそこにあるわけではありません。
 一点,国内ではなく国外へ向けたリリースのみを行った場合どのようなことが起こるのか,という実験を含んでいたのだ,という風に言えなくもない部分もありますが,結果は上述の通り。

 その他の点に対してはいいか悪いかはおいておいて,まずは我々の身辺を漂っているこの「理由」について整理をしてみたいと思います。まずは機械的に,我々の社内でこれが起こった理由をざっくりと以下のように分類します。

A.会社が持つ事情
B.作品自体が持つ事情

 そのうえで,以下に各項目について詳述していきたいと思います。


A.会社が持つ事情


会社には各々色々な事情があります
「24Frameの邪道経営哲学」第12回:リリース初日の売り上げが1本だった時の哲学

 これはまずは「金もなければ人もいない」という面白くもなんともない事実が一つ。
 そもそも我々も「これがスマッシュヒットとなって自分たちの人生が変わる」ことを夢見ない訳ではありませんが,同時に「まったく売れないことを基本として考えるべき」(まさか本当に初日のリリースが1本になるとは思わなかったにせよ)であり,「勝つは偶然,負けは必然」を座右の銘としておくべきだという考え方は変わっていません。

 ゆえに開発人員も非常に限られた状態での制作が前提。(まあそもそも現状我々24Frameは従業員20人程度の規模なわけですが,この規模の会社で外部の仕事とは別に自社開発を持つ,ということ自体がどうかしている判断だと思います。僕自身も平日は別の仕事をしていますし,本作に自分の時間を充てられるのは休日のみ,という状況。もうやめとけよ,という声がどこからか(あるいは自分の心の奥から)聞こえてきそうです)

 まあ我々の内情として「貧乏そうな会社が貧乏制作をしている」というのは驚くにはあたりませんし,至極当然のこととさえ言えます。
 そんな「ゲームを作る」ことにさえ,汲々としている状況で,広報にまで手が回らない,というのもこれまた当然の帰結です。

 しかし今までの経験として上記(1)〜(4)の広報的メソッドが見えていながらも,その実行には至れないというのは,ここは対策が可能だったのではないか,という部分ではあります。

 少ない人員で回すにせよ,ここは先んじて考えることができたはずなのだから,あらかじめスタッフの配置などを行っていくべきではないか? という至極真っ当な疑問。それは勿論その通りであるということを前提に置きつつも,かなり突っ込んだ話になりますが,本作,というか我々特有の理由をもう一つだけお話ししましょう。

書くべきか,書かざるべきか


普通はここまで書く必要のない「経営的判断」の実情をお話しします
「24Frameの邪道経営哲学」第12回:リリース初日の売り上げが1本だった時の哲学

 これについては,ここに書いて面白いものか? というかそもそも書いていいのか? という疑問が最大化されるくだりになってしまうのですが,まあここは「邪道経営哲学」というタイトルを理由にする形で書いてしまいましょう。

 上記にもあった絞りこんだ予算というものは必然的にタイトな人員とスケジュールの問題を引きおこします。これについては大小問わずあらゆる作品が直面するものですからいいとして,その先に待っている一つの大きな問題があります。

 それはあらゆる会社が1年に一度経験する「決算」というシステムの影響です。
 「決算」とだけ聞くとよく分からない,もしくは多少詳しい人がいたとしても「なんか会社が1年に1回やる儲かったかどうかの報告」くらいのイメージなのではないでしょうか。

 なので分かりやすい例を挙げましょう。
 皆さんもご存じなのではないでしょうか。昨今の巨大タイトルの多くが年度末,主に2〜3月に発売を集中させている現象。これは「決算内に発売されないと,その作品にかかった経費は,経費として計上できない」という会社運営の最も基本的かつ奇妙なルールに基づくものなのです。

 どういうことかと言いますと,例えば「発売が決算の月をまたいでしまうと,その作品に使っていたお金はその1年,使っていなかったのと同じ」という扱いになります。
 さらに砕いていうと「そのゲームを作るのに使ったお金はなかったことになる」,
 さらにさらに砕くと究極的には「会社の経費が実態とずれてくる」「会社の実情が見えにくくなる」ということにつながっていきます。(これは当然規模や会社の方針等により大きく意味合いを変えてくるものですから,あくまで「我々の場合」ということをここで再度念押ししておきます)

 規模は小さいですが,我々も15年目を迎える会社。小さいながらもなんとかやってこれたのはこの「実情」を見誤らずにやってこれたからだ,という風に僕は考えています。

 この規模で自社開発は無謀,とは思いつつもなんとかいける線は見える,という僕の経営の基本的なスタンスが揺らぎかねないこの現象こそ,我々が最も避けねばならない事態なのです。

 そしてそのためには,決算をまたがない発売が必須となる。
 これを守るためには冒頭の発売日の履行が最重要課題。幸いにもSteamにはアーリーアクセスというシステムがあり,有料のβ版ともいわれるこのシステムを使えば,今までの我々のリリースに比べるとまだ粗削りな状態のINUMEDAではありましたが,β版としてのリリースはOK,と僕は判断しました。

 現実的な経緯と理由としては以上のような説明になってくるのですが,真の問題はここからです。ということで記の「B.作品自体が持つ事情」に立ち戻り,説明を続けてまいりましょう。


B.作品自体が持つ事情


奇妙なことにスタッフ全員が「これは面白いのでは?」と思っています
「24Frameの邪道経営哲学」第12回:リリース初日の売り上げが1本だった時の哲学

 とまれ,かくして「INUEMDA」はSteamにてアーリーアクセスのβ版としてリリースされます。それと同時に,しかしてその初日の売り上げは1本であるという新たな一ページを我々のポートフォリオに刻むことになりました。
 しかしここまで本記事を読んできた賢明な読者諸氏におかれましては,ある一つのことに気がついているではないでしょうか。

 それは「それでも先を見越して,広報などのスケジュールを並べなおして準備しておくことは可能だったのでは?」ということです。

 これは確かに,その通りなのです。
 小規模制作やスケジュールの遅延と言った問題は我々に取っては初めて遭遇するカオスではなく,むしろ最も馴染みのある友人なのではないかという気もしている我々なのです。

 いろいろな懸念はあったのかもしれないが,なんらか対応はできただろう,意に添わぬリリースをするくらいなら,というのはまさにその通りであったりします。

 そこで,実は本作「INUMEDA」については,ここからが本題です。

 実はそもそも「INUMEDA」のリリースは我々にとって「意に添わぬ」ものではありませんでした。しかしそれと同時に「かっこいい狙いのある奇策」などもない,というのは先に申し上げた通り。

 ではこれはいったいどういうリリースだったのか? と聞かれて正直に答えると「ここでやるしかなかったリリース」という言葉になります。

 どういうことか?

 それは「INUMEDA」というゲームが我々にとっても「謎すぎた」ということなのです。

それは,大いなる謎


この謎はまだ我々も解けていません
「24Frameの邪道経営哲学」第12回:リリース初日の売り上げが1本だった時の哲学

 作ったゲームが謎すぎた場合,人は以下のような問題にぶち当たります。

 I.β版以降の作業(その作品が持つ面白さを浮き彫りにしていく作業)をどうしていいか分からなくなる

 II.それをどのように売るのかが判断できない

 これは我々にとってもまったく新しい体験でした。
 今まではクライアントからの発注を受けて作る仕事が多く,上記I. II.で迷うというか,そもそもそこは考えずにすんでいたのです。

 しかしいざ土台から「自分たちの思いのままに」ゲームを作ってみると,自分たちの理解を越えたものができてしまった。

 思えばこれは制作の途中経過からして,そうだったように思います。
 「なんだこれは……アリ……なのか……?」という判断が各所で重なったこともスケジュール圧迫の遠因と言えば言えなくもなさそうですが,そもそもこの制作過程を説明しようと思っても,それもイマイチどう説明して言いか分からない状態だ,ということに今書きながら気づきました。

 しかし制作中も常にスタッフが「色々と間に合ってはいないがコアの部分には我々の知らない,かつてない面白さが存在している気がするぞ……」と思っていたという事実もあります。

 しかし,このゲームを内部で間近から見ていた我々以外の人が現状のリリース版からこの「かつてない可能性」を感じることは,とても難しいのもまた事実なのではないでしょうか。この可能性を浮き彫りにして世に問う,それをこれから我々はやっていかねばなりません。しかしこれは,容易に結論できないものをいろいろと抱えているのです。

 そして,実際問題これを書いている2023年9月21日現在,我々は「INUMEDA」をどうすべきか,なんらかを続けていくべきなのか,今すぐ開発を中止すべきか否か,その判断さえ明確にはくだせていません。

 「ほんとかよ」「それってどんな可能性だよ」と皆さんが思うのは当然のことでしょう。ですからまずは次回(その時まで制作が続いていれば,という断りを入れておくという異常事態は継続しますが),この「INUMEDA」というゲームが,いったいどんなものであるのかを仔細説明してみる,まずはそんなところから始めてみようと思います。

 その中に初めて感じる謎をはらむゲームができてしまった。
 まだまだそれに振り回されている我々。この連載が更新される来月にまでには何らかの沙汰が下っていることを自分たちに期待しつつ,ほかではあまり類を見ないであろう速度感でのドキュメンタリーの体裁を取り始めた本連載の次回に,乞うご期待!