Jeff Minter氏が語るリスペクトに満ちた復刻作品の制作について

Tempest 2000のデベロッパがAkka ArrhでAtariのアーケードゲームを再発明,影響を受けることとクローンを作ることの境界線,そしてアクセシビリティを追加することについて語る。

Jeff Minter氏が語るリスペクトに満ちた復刻作品の制作について
 Jeff Minter氏とAtariには歴史がある。このベテランデベロッパは,80年代初頭の8ビットホームコンピュータまで遡ってAtariハードウェアに携わっており,氏が手掛けたアーケードの名作Tempestの続編は,過去30年間で最も有名なパブリッシャ作品の1つに数えられている。

 そのため,AtariがMinter氏にTempest 2000のような再解釈のアイデアを持ちかけたときも話は早かった,しかし,Minter氏はCentipedeやAsteroidsなどの,長年にわたって何度も作り直されてきたAtariの名作ではなく,よりディープな切り口を選んだ。

 「彼らがIPを所有するタイトルのバックカタログを送ってきたので,私はそれを見て,面白そうだからAkka Arrhを選びました」と,Minters氏はGamesIndustry.bizに語っている。

 Akka Arrhは有名ではない。実際,Atariはオリジナルのアーケードゲームを実際にリリースすることはなく,1982年にプロトタイプの段階まで行ったけで,その後はしまい込まれてほとんど忘れ去られていた。しかし近年,このゲームのROMがネット上に流出し(参考URL),興味を持った人たちが,長い間失われていたこのタイトルを実際にプレイする最初の機会を得たのだ。

Jeff Minter氏(グレーのセーター)と友達
Jeff Minter氏が語るリスペクトに満ちた復刻作品の制作について
 「私はゲームの好みにこだわりがあります。抽象的なものが好きで,このゲームもかなり抽象的なのです」とMinter氏は語り,さらに「ゲーム自体もなかなか面白いデザインです。このゲームは,上と下の2層で構成されています。戦闘は上のレイヤーから始まって,下のレイヤーへと進み,2つの面を切り替えることで自分の身を守るのです。それと,ゲームの見た目もかなり気に入っています。抽象的な感じがいいんですよね。戦闘は幾何学的な表面で行われ,そこに弾丸を撃ち込むと光り輝きます。とても面白いと思いました」

 アーケードのプロトタイプは,プレイヤーに複雑な皿回しを要求する。また,ズームイン・ズームアウト,2階・3階といったメカニックは,1982年当時,確かに他のゲームと一線を画していたことだろう。

 この複雑さについて,Minter氏は「私が好きだった点の1つです」と語っている。「やろうとしていることが野心的でした。もし彼らがもっと時間をかけてゲーム感覚にもう少し力を入れていれば,本当に良いものに仕上がっていたと思うんですよ」

 残念ながら,Atariはオリジナルのアーケード版についてはリリースするには十分でないと考えていた。

Tempest,では,完成された古典ゲームから始めたんですが,これについては少し欠陥のあるゲームから始めたんです

 「彼らはそれをフィールドテストにかけたものの,人々は実際にゲームをあまりプレイしなかったんです」とMinter氏は語る。「プレイヤーを飽きさせないだけの面白さがなかったのです。そこで私は,この欠陥のあるゲームのアイデアを少し練り直して,自分なりの魔法をかけて,まともなものに仕上げていくというのは,なかなか面白い挑戦だと思ったのです」

 氏はこう付け加えた。「このゲームでは,たとえばTempestのときよりも,もう少し大手術をする必要がありました。Tempestでは,私は完成された古典ゲームから始めていたのですが,この作品では少し欠陥のあるものから始めたのです」

 Minter氏は,ゲームの基本的な構造,とくに2階層のゲームプレイの仕組みはそのままにしたかったが,他の側面はもっと交渉の余地があったと語っている。

 「アーケードゲームから家庭用ゲームに移行する際にいつも行う方法で,物事を少し変えてみたのです」とMinter氏は語る。「数分ごとにゲームを中断させ,さらにお金をつぎ込ませるような超ハードなゲームではなく,腰を据えて遊びやすいようなものにしたのです。ですから長時間プレイでは座り込んでやることもできるでしょう」

 同時に,氏はオリジナルのデベロッパの作品に忠実でありたいと思ったという。

 「オリジナルのデベロッパたちが,このゲームの中に彼らのオリジナル作品がまだ残っていることを認識してくれることを願っています」とMinter氏は語る。「私は,このようなことをするときは,常に敬意を払うようにしています。いきすぎると,そのものの本来の精神から離れすぎてしまう可能性があるのです」

オリジナルの人たちが,その中にまだオリジナルの作品が残っていることを認識してくれることを願います

 とはいえ,彼はオリジナルチームとコミュニケーションを取っていないことを認めている。

 「彼らはとても驚くと思いますよ」Minter氏は,自分の手直しについてこう語った。「でも,怒られないといいんですがね」

 Minter氏は,デベロッパとしては珍しい視点を持っている。氏の作品の多くは,特定の過去のゲームやデベロッパから,容易かつ明白に影響を受けているのだ。
同時に,彼の作品を際立たせている個人的なスタイルは,他の多くのデベロッパにも影響を与えている。このように,Minter氏は上流から下流まで明らかな影響を受けてきたのだ。オマージュとクローンゲームの境界線について聞いてみた。

 「あるゲームの公式クローンを作るのであれば,それに対して敬意を払う必要があります」と氏は語る。「しかし,クローンゲームが悪名高いのは,既存の優れたゲームに便乗して,結局は良くないものを作ってしまうことがあるからです」

Minter氏は,自身のスタイルをAkka Arrhに統合した
Jeff Minter氏が語るリスペクトに満ちた復刻作品の制作について

 「8ビット時代には,スペースインベーダーのようなゲームがたくさんありました。当時はスペースインベーダーのゲームを欲しがっていた人たちが,クソみたいなバージョンのスペースインベーダーをたくさん売っていたのです。ですから,彼らは自分たちがやっていることのクオリティを気にせず,ソースマテリアルにまったく敬意を払わなかったのです。最近はそういうことはあまりないと思います。もっとも,モバイル分野では何でもありかもしれませんが。でもモバイル以外ではあまりそういうことはないでしょう」

公式のコピーではなく,何かをコピーするのであれば,せめてオリジナリティを出すべきでしょう

 「私はEugene Jarvis氏の作品には大きな影響を受けています。彼のゲームのクローンと言えるようなゲームも作ったこともあります。たとえば,何年か前にLlamatronを作ったのですが,明らかにRobotronを大きく意識していました。しかし,私はそれ自体を作ろうとしたのです。もしあなたが何かをコピーするつもりで,それが公式のコピーでないなら,せめてオリジナリティを出してください。そこには,私自身と,Eugeneの要素がたくさん含まれています」

 デベロッパが自分のスタイルの要素を自分の作品に追加的に取り込んでいるのを見ると,「とても嬉しい」とMinter氏は語る。

 Minter氏のスタイルの特徴は,サイケデリックなビジュアルと光の点滅を好むことで,過去10〜15年間,家庭用ゲーム機で何かをリリースするたびに,光に敏感なプレイヤーからフィードバックを受けてきたというほどだ。

 Akka Arrhでは,Atariが強調するマーケティングポイントの1つにアクセシビリティがあり,それを楽しめない人のために「より強烈な視覚効果」を無効にするオプションが用意されているそうだ。

 Minter氏は,自分が「よりハードコアな効果」と呼ぶものを楽しんでいるが,Atariがそれをオプションにすることを提案したとき,氏は快く承諾したという。

 「そのほうが他の人にとっても親しみやすいゲームになるなら,それはそれでいいんです。それを入れるのに大した時間はかかりませんから」とMinter氏は語り,エフェクトを気にしない人のためにオリジナル版も残していると指摘する。

社員もすっかり変わってしまいました。しかし,Atariのブランドはまだ残っていて,私はまだAtariに関連付けられていると感じています

 「ほんの少しの手間で,より多くの人がゲームを楽しめるようになるわけですから,やる価値はあると思います」

 最後に,Minter氏とAtariの継続的なパートナーシップについて聞きてみた。開発会社とパブリッシャが長年にわたって繰り返し協力することは珍しいことではないが,その間にどちらかがまったく別の企業に変わってしまうことはあまりない。

 「Atariは非連続的な会社です」とMinter氏は指摘する。「Warner Bros以前のAtariがコイントップを作り,Warner BrosがVCSを作り,Trammiel Atari,Hasbro,Infogramesと続いてきました。一貫しているのは,名前とバックカタログでしょうね。働いている人もすっかり変わってしまいました。でも,ブランドはまだそこにあり,私はまだそれに関連していると感じています。私がゲームに夢中になっているときから,常にそこにありました。私が子供の頃からあったのです」

 「明らかに変わりました。私が初めてそこで働き始めたときと同じではありません。私が初めてAtariのゲームをプレイしたときと同じではありません。しかし,Atariの何かが残っていて,Atariに敵対するのではなく,Atariと一緒に仕事ができるのはとても幸せなことです」

※本記事はGamesIndustry.bizとのライセンス契約のもとで翻訳されています(元記事はこちら