「24Frameの邪道経営哲学」第1回:プロジェクトが中止になった時の哲学


始まりと終わりはいつも突然に


良いことも悪いことも,起こる時はいつも突然に,なのです
「24Frameの邪道経営哲学」第1回:プロジェクトが中止になった時の哲学
 みなさんもご存知のようにゲームの開発が中止になることはままあります。そしてそれは思っているより突然に,そして頻繁に起こります。
 とはいえこれは我々のような零細企業にとっては大事件。そのとき,我々はいかに考え,動くべきなのでしょうか? 今回はそんなカタストロフィ時の我が社ならではの邪道な哲学をお届けいたします。


会社が潰れるタイミングと向きあう


 僕の場合はまずこの「プロジェクト中止」により「会社がいつ潰れるか?」を考えます。というか,僕の場合はいつもこれを考えていたりするのですが。で,ここで重要なのは「会社が潰れる」というのは具体的にはどういうことなのか,ですね。ゲームでも,ゲームオーバーの条件が分からないことには,設計も攻略もやりようがありません。そして世の中には「黒字倒産」なんて不可思議な言葉もあります。条件の精査には多少慎重になるべきでしょう。

全滅,ゲームオーバー。人生も経営も,これを避けるためのゲームと言えます
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 さて,そういった意味では僕の中での会社のゲームオーバー条件は「現金がなくなったとき」と定義しています。僕の考える会社の主な機能は「富の再分配」ですから,社員に払う給料がなくなったら,会社が存在する意味がありません。なのでこのままいったら何か月後にそれが起こるかを考える,と。極めて単純な思考です。そしてこれは単純計算故に,すぐ弾き出せてしまいます。

 するとどうやらこの会社が潰れるのは明日とか明後日ではないことが分かります。仮に2〜3か月後だったとしたら,多少の対策を打つために奔走する時間ぐらいはありそうです。
 ここには「METAL DOGS」がそれなりに売れてよかったとか,銀行との付き合いを始めておいてよかった,とか色々あります。細かいことはまたどこかで触れたいなと思いますが,まずはお陰で命拾いしたなと。
ということでじゃあ次は拾った命をどう使うか,残り時間どのように奔走するかを決めていきましょう。


ヤバいときほど沈思黙考


このように,会社の収支とか倒産は,意外と複雑にできていたりもします
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 普通に考えると,このときやるべきことは空いてしまったスタッフをアサインできるプロジェクトを探す,です。新しい仕事探し,つまり営業ですね。まずは付き合いのある会社さんをリストアップ。ヌケモレのないように,しまってあった名刺も出してこよう。「時には土下座も必要かな? 無意味かな?」なんてことを考えながら,つまりこれは状況の整理をしているわけです。

 ここまでは今まで通りなのですが,今回,僕はここでハタと我に返りました。
「うちのスタッフは優秀だからして,探せば仕事は見つかるであろう。しかし,もう一段階つっこんで状況を整理してみては?」と。

 思えば「メタルマックスゼノリボーン」で自社開発に舵を切ってからはや2年。その続編である「メタルマックス・ワイルドウエスト」というプロジェクトが中止になった,という直近の状況以外にも色々なことが変わっているはずなのです。それを精査し,その価値を最大化してから動き出すことこそ,急場の経営者に必要なことなのではないでしょうか。


ここまでの経緯を微分する


物事を砕く粒度を細かくする=微分。これがすべての基本です
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 時に,時とともに増大するカオス,エントロピーに対し細かな整理をかけて平衡を保つ。その繰り返しこそが生命の営みであると確信する僕は,今回の整理は場当たり的にではなく,深く考え,今までとは違うやり方を模索してみよう,と思ったわけです。

 思考の基本は微分です。微分とは,ここでは「考えの粒度を極限まで細分化すること」だとして,これを現状に当てはめてもう少し演算してみましょう。
 現状のゲームオーバーを僕は「会社の現金がなくなること」と定義しました。なぜこれがゲームオーバーかというと,社員に払うカネがない,すなわち社員を守ることができない。つまり社員を守ることがその究極の目的と言い換えることができます。

 なぜそれが究極の目的なのか? 結局会社とは看板でしかなく,実態はそこにいる「人」なのです。そこにいてくれる「人」の価値が会社の価値です。だから守らねばならないのです。
「人を守る」とはどういうことか? その価値を正しく世に提示することです。すなわちパブリッシング(ゲーム業界で使うと少しダブルミーニングですが)。パブリッシュしようとしているものの価値,これを正しく自覚せなばなりません。

 なので「取引先の羅列」の前に「自分たちのしてきたことの陳列」。まずこれが必要なのだと感じました。なので早速この線で微分を進めていきましょう。

(1)→そこそこゲームをたくさん作ってきた
(2)→ゲーム以外のこともまあまあやってきた


まだ粒度が粗すぎですね。もうちょっと細かく。あとゲーム以外のことは直近ではそんなにやってないので主に(1)を微分して
いきます。
 
(1)a→ゲームを色々作る中で,さまざまなスタッフが増えてきた
(2)b→ゼロベースの開発からROMの提出まで,社内でできるようになった

 
 なんだか使える要素が見えてきた気がします。しかし,これももう少し詳細が必要ですね。例えば(1)bがあるとは言え,対象とできる規模というものはまだまだ限定的。これを材料だ! と張り切って僕がどこかの会社に「サイバーパンクの続編を作ります!」といっても誰にも信用されないでしょう。できることは絞って,それでも成立する何かを探さねば,それは商品価値・投資対象にはなりません。


自分たちのできること」だけやっていても意味はない



結局我々の価値はどこにあるのでしょうか
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 では上記で出てきた「自分たちの商品価値」について彫り込んで考えてみたいと思います。
 これは端的に言えば「自分たちがお客さんを楽しませることができるのはどんな部分か」と言い換えることができると思います。

 これが,ちょっと前まではシナリオ,ディレクション,ゲームデザインが主だったのが,今ならゲーム全般と言えなくもない。しかし,まだその力には限界があるのでその作用点を精査しないと散漫なものを作ってしまうよ,ということになるのだと思います。

 現状の分析の結果,これだと外部に対し「その有名タイトル,うちにお任せください!」と営業してしまうのはちょっと注意が必要な段階です。
なので現状の成果物をベースに,次に自分たちがどこまでなら飛躍できるか,そしてどこを目指して飛べば,お客さんに面白がってもらえるか。これを考えるということなのです。

 まあこれは「面白いとは何か?」という深遠な問につながっていくのですが,これは端的に言えばサービス精神であり,それはつまるところ「お値段以上」,さらには「ご予算以上」のバリューということになります。やり過ぎると会社がブラックになりますし,とは言えうちらの規模で「予算通り」に仕事を上げても,ユーザーからは「ふーん」というリアクションにしかなりません。どこかで「え,ここはここまでやるんだ? しょぼいゲームだと思ってたのに」といってもらえるポイントが必要になるということです。

 端的に言うと「自分たちががんばれそうなところ」を見つめるということですよね。これは上記の(1)の中から何かが拾えそうです。これは遠くにはオリジナルコンテンツのパブリッシュ,などが見えてくる気もしますが,今はまだ蜃気楼状態ですね。まだまだ地に足つけて身近なところを考えねば。

画面は開発中のものです
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 例えば,権利表記の書き換えがあった「MEATL DOGS」に,まだ出ていないシリーズ人気のモンスターを出してみるとか。それこそが遠くの蜃気楼に近づく唯一の手段と言えそうです。蜃気楼はそこに実体があるのかどうかも定かではありませんからね。

 何にせよ,まずは「METAL DOGS」も含めた,我々のやってきたことの総括,これが必要だということでしょう。というわけで次回のテーマは,「METAL DOGSを総括するときの哲学」ということになりそうです。これは言い方を変えれば「自己資金でゲームを作ってSteamで売るときの哲学」ということもできるでしょう。いずれもタイトルは(仮)ですが,乞うご期待!

追伸:新連載の初回は,我が社の創立記念日でもある本日(10月5日)に晴れて公開となりました。こんな我々ですが,今後ともどうぞよろしくお願いいたします。なお,次回は11月11日の掲載する予定です

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