「株式会社24Frameの内情暴露日誌」第31回:日本音楽発展原論@インターネット(≒海でなく池かも)
ベッドルームで眠らないという贅沢
まあこの辺りではネットの音楽への影響などはほとんどなく,ネットで音楽を聞くなんてのも夢のまた夢。その後iTunesが始まって流通の形が変わってアルバムって単位が形骸化する,なんてのはみなさんご存知の通り。
ネットの海で逆に閉じてゆく世界
この辺りまでは洋楽・邦楽なんて言葉もまだ元気で,極端に言うといかに洋楽の替え歌を作るかってことに邦楽のトレンドがあったりした訳ですが,2000年辺りにネットが汎化するとその内容に奇妙な変化が起こり始めます。
そしてネットで色々なものが聞きやすくなって邦楽と洋楽は融和していくかと思いきや,ますます別のものになっていくという変化。
真のディーヴァの登場
そこで僕が「おぉ」と思ったのは,「どら焼きは主食にならない」という圧倒的に卑近なパンチライン。こんなん歌詞にしていいんや,という喝破がそこにあり。それからは近くの中国語教室に通うとか,上司がうるせえとかそういう話になっていくと。
真の日常を女神が歌う
確かに「追いかけても追いかけてもつかめないもの」とか「ダイヤモンドだな」とか「ただの浮気をかっこよく歌う」とかよりも,そっちのほうがはるかにアガれる,ということにみんな気づいちゃったわけです。そういう歌詞に同調するときって,聞いてる側もちょっと自意識が背伸びしてましたもんね,僕も。それはそれで気持ちよかったですけど。
日本すごすぎワロタ
その傍らでビヨンセとかデュア・リパとかリゾみたいな人たちのサウンドフォーマット方面からも超人化著しいって話もありますけどそれは置いておきます。
メロディと歌詞の複雑化って意味では日本のプロ,メジャー界隈もすごくて,米津玄師とか最近のボカロPとか,かつてからすれば正気じゃない数のアイデアが詰まっているように感じます。
煮詰まった先に見えるもの
これは音楽の内容というより「ネットがなければ本来つながりようもなかった人たちがチームになっている」ということがこの論にトドメをさすと思います。
PのAyase氏とVo.のikuraさんはインスタなんかからも分かるようにそのカルチャーがまったく関係ない二人です。それがいい感じにお互いを抑制しつつも拡大してマリアージュ,というのは一つの大いなる結果ですよね。
各人の才能は言うに及ばず,それをオーバーグラウンドに押し上げて偶発的な接続を築いていく。こりゃまるで脳神経ていうかニューロンだぜ,という気持ちで僕は今日もネット経由で音楽を聞いてます。ネットは広大。でもそんなに広い必要ある? とか考えながら。それでは皆さん,また次回!