「株式会社24Frameの内情暴露日誌」第25回:僕はエピゴーネンでシュミラクラで,ちょっとクリシェ



 たまにはリアルタイムな内情の暴露を。2022年4月6日の出来事です。

社員にこのような姿をさらすのが僕のダメなところですね
「株式会社24Frameの内情暴露日誌」第25回:僕はエピゴーネンでシュミラクラで,ちょっとクリシェ
 イラストはとある会議中の僕の姿です。僕は年に何回かこんな感じになるので社員がそのカウンセリングをさせられるということがあります。受難ですね。故に僕は時々彼らに「なぜこんな会社で働いてくれているのか?」という気になりますが,まあ彼らには彼らなりの事情があるのでしょう。深く考えないようにします。

 どうでもいい話ついでにタイトルの意味を説明しておきますと,この3単語は厳密にはぜんぜん違う意味を持ちますがここは思い切り意訳して「くだらないまがいもの」という意味で使っております。そうやって自嘲しながらもそのタイトル自体もブレイディみかこ氏の著書のタイトルをもじっており,自分はしょうもない剽窃者だ,ということを述べるにあたっても先人のもじりをしてしまう,悲しい性分をめんどくさくもペダンティック?に語っております。「だからお前はダメなんだ」という神の声が自分の内外から聞こえてきますが,こういう自分なんだから仕様がありません。

タイトルを借りながらも内容にまるで触れれていないところが僕のダメなところですね
「株式会社24Frameの内情暴露日誌」第25回:僕はエピゴーネンでシュミラクラで,ちょっとクリシェ
 ここまでですでに面倒くさいのですが,この会議の内容はといいますと,アジェンダ的には社内の業務報告です。しかし一通りの報告を受けた後に自分のターンが回ってきたが最後「みなさん,ありがとう。引き続きよろしく」とでも言っておけば良いものを,社長が社員に人生相談を始めてしまうのです。是非はともかく,ここはそういう会社なのです。

 一言で言えば「年度末の月末ってなんだかんだ超忙しいよね」というだけの内容を無理やり自意識の問題に癒着させ,社員の時間を無駄遣いしています。この会社の癌は(癒着だけに)他ならぬ僕なのでありましょう。

 忙しいというのは事実なんですが,そんなのは40代の男性ならある程度当たり前の話で,別に珍しい光景でもなんでもありません。仕事がある事に感謝して黙って働けよ,という声もこれまた聞こえてきそうですが,年度末の更新系の契約,その調整,査定と社員への面談,よせばいいのにゲーム制作の実作業,週末もなんだかんだあって早起きのプレッシャー,など慢性化する睡眠不足とも相まって,状態がよろしくないのもこれまた事実。

 その中で僕の自意識としましては「別にこんなのみんなやってることじゃないか。わざわざ自分でやる意味がどこにある? 消えたい」みたいな所にさまよっていく訳です。40年も生きてきてお前は何を学んできたんだと言いたくなりますが,精神的に成長できていないのでこういう事を言い始めるわけです。

ポストモダンを自認しながら制作されたものの形骸を借りる,というのも僕のダメなところですね
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 40代ともなると分野によっては解けない難問にぶち当たることも少なく,それが解けなかったからと言って何なわけ? だとして神は天にあり,世はすべて事もなし,(ブラウニング,ならまだいいのですがこの文言は赤毛のアン,しかして僕が知っているのはエヴァンゲリオンに出てきたから,というまたしても矮小さを感じさせるしょうもない引用)と独りごちながら机上に醜態を晒しているのです。地獄です。(だから神がいないのですね,ここには!)

 真面目に言ってしまうとここでの僕は(有能なる社員たちのカウンセリングを経て明らかになったことなのですが)手癖で業務を処理する部分に一抹の罪悪感があり,厭世的な気分になっている。故にそうではない何かを実感する必要がある,というのが結論となりました。

 それは一言で言うならば信仰の問題です。いきなりエラい単語に話が飛躍して恐縮なのですが,普段否定している何か,その中にこそ本音があり,この場合だと自分に必要なのは「この仕事には自分なりの意味がある」という実感なのでしょう。忙しくてそんな気分になっていた様です(関係者とスタッフに土下座しろって感じですね)。

本当に必要なのは謝罪ではなく感謝なのですが,それが分かっていないのも僕のダメなところですね
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 で,実際問題「自分なりの意味」みたいなものは存在しないので,まあ自分を支える勘違いと言うか妄想と言うか,そういうものが必要なわけです。僕は浅学故にそれを「信仰」と呼びましたが,これも厳密には間違っています。

 僕の場合は「意味などない」が口癖なので,それをいかに「ある」と信じたがっているかが透けて見え,年度末の試算の中で「どうやら今すぐこの日常がつぶれたりはしないのかも?」という希望的油断からそれが持ち前のニヒリズムが前景化しつつ自分に逆流,というところなのでしょう。

 信仰,さらに言うなればそれは「感謝」ということになるのですが,どうしようもない話を聞いてくれるスタッフとか,うちを潰さずにいてくれる外部の方々とか,これを読んでくれている読者の皆様に感謝し,敬虔さを以てことに当たるべし,というのが結論となるかと思います。僕の信仰とそれによる感謝がどこかの誰かの何かの足しにならんことを期しつつ,今回は筆を置きたいと思います。それではまた!



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