風ノ旅ビト発売から10年,Jenova Chen氏が当時を振り返る

thatgamecompanyのCEOが,個人的にも仕事上でも,このゲームがプレイヤーや自分にとってどのような意味を持つかを語る。

 今週末は,thatgamecompanyがPlayStation 3で風ノ旅ビトを発売してから10年目にあたる。

 荒涼とした環境の中,物悲しく言葉を失うような冒険を描いた風ノ旅ビトは,当時としては珍しく,明確な芸術的志向を持った自主開発ゲームとして,ソニーという主要プラットフォームホルダーから大きなスポットライトを浴びることになった。

 プレイヤーの目標は,遠くに見える手招きする山,山頂の裂け目から放たれる光線,プレイヤーの限られた飛行能力を充電する植物のような構造物の道,どこに行くのか分からない道など,シンプルに伝えられるものだった。

 ストーリーは,失われた文明の滅亡を象形文字のようなカットシーンで描くというもので,プレイヤーが慣れ親しんだものほど明確ではなかった。プレイヤーキャラクターも同様に,角ばった足,腕のない,性別の分からない,目以外の顔のディテールがない,ローブを着た人物像のラフスケッチであった。

 マルチプレイの方法も,オンラインプレイにありがちな表示もなく,プレイヤー同士のコミュニケーションも最小限に留めるなど,できる限り説明しないようにしている。キャラクターを歌わせるボタンがあって,周囲の注意を喚起したり,お互いの居場所を知らせたりするのに便利だが,それだけのものである。ユーザー名もなく(エンドクレジットまで),マッチメイキングロビーもなく,音声や文字によるチャット機能もない。

ゲーム中,プレイヤーに目的地を与える風ノ旅ビトの山
風ノ旅ビト発売から10年,Jenova Chen氏が当時を振り返る

 このゲームは,Game Developers Choice Awards(関連英文記事)やDICE Awards(参考URL)でGame of the Yearを受賞したほか,IGNやGameSpotなど多くのメディアで取り上げられ,批評的にも商業的にも成功を収めている。

 風ノ旅ビトの発売10周年を記念して,TGCの共同設立者兼CEOのJenova Chen氏GamesIndustry.bizの取材に応じ,10年後の視点からこのゲームから得たものを語ってくれた。


ストーリーを育む


 「ゲームを作っているときは,これほどまでに反響があるとは思ってもいませんでした」とChen氏は語る。「2012年にゲームがリリースされると,手紙やメールが殺到し,プレイヤーはこのゲームが彼らにとってどんな意味があったのかを我々に教えてくれるようになったのです」

 プレイヤーから聞いた話の中には,とても素晴らしいものもあったという。子供の頃,凍った湖に落ちて2分ほど仮死状態になった人は,そのときの感覚を,今まで説明できなかったほど,このゲームが忠実に表現していると言っていた。Chen氏は,何十回となく聞いたある種の物語に衝撃を受けていた。

 どの話も,プレイヤーはゲームをプレイする直前に愛する人を亡くしたとChen氏に語り,ゲーム中の無言のパートナーが,実は別れを告げに来た愛する人であると確信するようになったというものだった。

 「一緒にゲームをすることで,悲しみを癒すことができたのです」とChen氏は語る。「愛する人がより良い場所に行くことを知り,悲しみから解放されたのです。ゲームに本質的な治療効果があり,人を助ける力があるとは思っていませんでしたが,多くの人の人生を変えてしまいました。それが私にとって一番の驚きでした」

不適切な偽名で相手のPSN IDを晒すと,すぐに雰囲気が悪くなってしまいます……。ソニーと協力して,ゲーム終了までそれらの名前をブロックする方法を考えなければならなりませんでした

 こうした話は,風ノ旅ビトのマルチプレイに採用された設計上の選択によって促進されていた。

 「相手のPSN IDを不適切な偽名で公開すると,すぐに雰囲気が悪くなってしまいます」とChen氏は語る。「プレイヤーのPSN IDを隠すだけでは不十分で,PlayStation のクロスメディアバーには,最近やりとりしたプレイヤーのエイリアスの名前が表示される機能があることに気づきました。ソニーと協力して,ゲーム終了までそれらの名前をブロックする方法を考えなければならなかったのです」

 TGCが無視した当時の標準はユーザー名だけではない。

 「アバターのデザインで,性別や年齢を表示しないようにしました」とChen氏は語る。「また,プレイヤーの腕も削除しました。遊び半分で殴り合ったり,押し合ったりして,失礼なことができないようにするためです。我々は個人の所有物を取り除きましたので,プレイヤーは盗みや資源をめぐる競争などを避けるためにお互いに近づかないようにしたのです」

 また,Chen氏は,当時はそれほど明確に理解していたわけではないとしながらも,それ以来,デベロッパがプレイヤーに与える文脈がプレイヤーの行動をどのように形成するかをより意識するようになったと語っている。

 「とくにボイスチャットでは,オンラインのプレイヤーが意地悪で攻撃的であることに,多くの人が非常に否定的な意味合いを持っています」とChenは語る。「そして,今では,意地悪なのは人ではないことがはっきりしていると思います。意地悪な振る舞いをするのは,その環境なのです。Call of Dutyの銃撃戦の中で,互いに罵り合っていた人たちが,次の瞬間には風ノ旅ビトをプレイしているのです。そして,同じ人たち,10代の家庭用ゲーム機プレイヤーたちが,我々のフォーラムに来て,『一緒にいた人たちへ,お母さんがどうしても行ってほしいことろがあるみたいなので,最後まで仲間になれずにごめんなさい。でも,この投稿を見て,素晴らしい体験だったと思ってもらえたらうれしいです』という書き込みを残していくんです。知りもしない人に謝罪文を書いているこの人たちは,同じ民度なんです」

結局のところ,我々人間は,思いやりのある環境にいるときだけ,穏やかで思いやりを持てるのです

 「結局のところ,我々人間は,思いやりを持てる環境にいるときだけ,穏やかで思いやりを持つことができるのです。誰かに戦場で銃を持たせると,まず最初に『殺されないようにどうやって身を守ろうか』あるいは,『この銃で誰かを殺せるようになるのか』と考えるでしょう。もしあなたが誰かに救急箱を渡したとしたら,どうでしょうか。その人の考え方や行動が変わるのです」

 風ノ旅ビトの場合,プレイヤーとのインタラクションをより健全なものにするための鍵は,プレイヤーに畏怖の念を抱かせることだったとChen氏は語る。

 「基本的に,プレイヤーは小さくて弱い存在であると感じ,その弱さの感覚によって,人々は心を開き,互いにつながることができると信じています」とChen氏は語る。「自分の人生がいかに小さく,脆いものであるかを理解すれば,仲間の人生がいかにもろく,小さいものであるかを容易に理解できるからだ。どうすればこの人を助けられるか,どうすれば2人が強くいられるかを考えやすくなるのです」

 「しかし,ほとんどのビデオゲームは競技のシミュレーションに重点を置いており,自由があまりない少年にとってはパワーファンタジーになってしまいます。パワーを与えすぎると,『どっちが強い力を持っているんだろう』と考えてしまうのです。僕はスーパーマン,君はバットマン,ここではどっちが強いんだ? しかし,もし我々2人が戦争で難民になったら,どちらが強いか争うなんてことは考えず,どうやって生き残るかを考えるでしょう」

風ノ旅ビトにはマルチプレイヤーチャットがなかったが,プレイヤー同士でおしゃべりすることは可能だった
風ノ旅ビト発売から10年,Jenova Chen氏が当時を振り返る

 マルチプレイを2人に限定したのも,そのような考えによるものだ。開発当初は,3〜4人でのプレイを想定していたそうだ。しかし,「我々」と「彼ら」の間で,あることをしたい人と別のことをしたい人がいて,その人が取り残されたり,取り残されたりすることがよくあることに気がついたのだという。ゲームに込めた想いとは裏腹に,残念な結果になってしまったのだ。

 Chen氏は,風ノ旅ビトの精神的後継作である最新作である「Sky: Children of Light」(Sky 星を紡ぐ子どもたち)は,上記の2つの問題に取り組む試みであり,これまでのところその結果には満足しているとのことだ。

 「心の底では,もっと大勢の観客を相手にこの問題に取り組めないかと常に思っていました」と氏は語る。「2人以上と一緒にいても,心の絆をつくることができるのでしょうか? ですから,Skyは次のステップへの挑戦なのです。実際にチャットができて,2人以上いたとしても,コミュニティを守り,我々が考えるダークサイドではなく,人間の明るい面を見せる環境を作ることができるのでしょうか」


個人的な影響


 風ノ旅ビトとそれに対する反応は,Chen氏の人生をも変えた。

 「個人的には,とてもラッキーなことだと思いました」と氏は語る。「我々はいつも,苦労しているアーティストを思い浮かべます。芸術家というのは,一匹狼で変人として育つ傾向があります。枠に囚われない考え方をする傾向があり,少数派で孤独な人生なのです」

私は愛されていると感じています。1人じゃないと感じています。そして,それは素晴らしい経験です

 「しかし,アートはアーティストと観客をつなぐものです。あなたが人生をかけて取り組んだこと,つまり,あなたが気にかけていたこと,夢見ていたこと,毎日考えていたことが,多くの人に届き,彼らがあなたの声を聞き,あなたの子どもを評価してくれることを知る……あなたの子どもを愛することは,私があなたを愛することの延長線上にあるようなものなのです。そして,私は愛されていると感じています。私は1人ではないと感じています。そしてそれは素晴らしい経験です。この感謝の気持ちが,これからのゲーム作りの原動力にもなっているのです」

 風ノ旅ビトの開発サイクルが当初の予定よりも長引き,困難なものだったことを考えると,これは素晴らしい収穫だ。

 「アーティストの心や生活の中で起きていることが,ゲームに影響を与えるのです」とChen氏は語る。「風ノ旅ビトは非常に難しいゲームでした。そして,開発中の苦労は,ゲームの最終的な苦労度にも反映されています。その裏で働いていた人たちを映す鏡なのです」

 しかし,残念なことに,その人たちのかなりの部分が,仕事の成果を享受する前にTGCからいなくなってしまったのだ。ゲームのリリース時点で,スタジオはガス欠になり,Chen氏によると20万ドルの負債を抱えていたという。

 「みんなの給料を払う余裕がなかったんです」と氏は語る。「我々はお祝いをしました。山で静養して,お祝いをして,それから会社を解散して,みんな新しい仕事を探さなければならなかったんです」

 TGCがソニーから売上の一部を受け取るようになるまでには,最大で6か月かかったとChen氏は語る。また,スタジオは,立ち上げから3か月後に数百万ドルの資金を調達したが(関連英文記事),主要な人材の集団がスタジオを去るには十分な期間だった。Chen氏は,退職した人のうち何人かは2度めの転職をしたと語る。

風ノ旅ビトの完成は,スタジオの人材と財政の両方を枯渇させた
風ノ旅ビト発売から10年,Jenova Chen氏が当時を振り返る

 風ノ旅ビトは,スタジオのクリエイターの顔ぶれを変えただけでなく,会社の方向性もある程度変えている。風ノ旅ビトは,TGCとソニーとの3つのゲームパートナーシップ(FlowとFlowerがその最初の2タイトル)の締めくくりとなるものだったが,これらのゲームは非常に高い評価を受けたものの,ソニーのような家庭用ゲーム機プラットフォームホルダーは,氏の目標にとって理想的なパートナーではないことをChen氏が強調しているのも事実だ。

TGCのゲームは,その感情移入しやすさから,より幅広い層のプレイヤーに遊んでもらうことを意図しています。そして,TGCの運命は,ハードコアな家庭用ゲーム機プレイヤーではなく,すべての人のためのゲームを作ることだと感じました

 「TGCのゲームは,その感情移入のしやすさから,より幅広い層のプレイヤーに遊んでもらえるものだと実感しました」とChen氏は語る。「そして,TGCの運命は,ハードコアな家庭用ゲーム機プレイヤーではなく,すべての人のためのゲームを作ることだと感じたのです。さらに,TGCの運命のために,次のゲームは,モバイル,家庭用ゲーム機,PCのクロスプラットフォームであり,誰もがアクセスできるプラットフォームである必要があると考えました。モバイルは開発が最も困難なプラットフォームであったため,モバイルからスタートした。あとはご承知のとおりです」

 風ノ旅ビトの発売後,会社の業績は大幅に改善されたが,Chen氏は,このゲームが自分のスタジオの外にも影響を与えたことを,同様に誇りに思っているようだ。

 「というのも,より多くの人が,強い感情移入ができるストーリー性のあるゲームを自分で作ろうと考えるようになったからです」と氏は語る。「当時,この業界に欠けていたのは,まさにこれだったと思います。戦闘,運転,スポーツなどのシミュレーションゲームに不足はありません。もっとエモーショナルでニュアンスのある,アーティスティックなものが不足していたのです」

 ゲームユーザーの年齢層が上がり,エンターテインメントに対する嗜好も当然変わってきているという。

 「風ノ旅ビトの直後から,この10年間は,インディーズとAAA(トリプルエー)の両方から,パワフルでエモーショナルな物語作品がたくさん出ていました」と氏は語る。「これは本当に大きな変化で,今ではより多くの人が,ゲームプレイを感情移入のための主なシナリオドライバーとして使用する可能性に注目していると思います。かつては,感情的なストーリーはカットシーンの中でしか起こりませんでしたが,最近では,プレイ中でも泣けるゲームがたくさんあるのです。それは私にとって,この業界の大きな進歩です」


大いなる希釈


 しかし,それでもChen氏は,世界がゲーム業界をどう見ているのかに敏感だ。先週,1億6000万ドルの投資ラウンドを発表したTGCのプレスリリースには(関連英文記事),「我々の使命は,ゲームを正統な芸術の一形態として高めることです」というChen氏の言葉が引用されている……。「長編アニメーション映画は,白雪姫やトイ・ストーリーでジャンルを定義する瞬間がありましたが,ゲームの世界でもこの瞬間を目指して努力を続けていきます」

 ゲームがアートであるという問題は,とっくに決着がついているのではないのか,という質問に対して,Chen氏は,数十年の間に状況はかなり変わってきており,ゲームで育った人たちからは,すでにゲームはアートとして見られているのだと語る。

ビデオゲームは主流派から芸術として尊敬されるにはほど遠いです

 「一方で,ビデオゲームはメインストリームから芸術として尊重されるにはほど遠いです」と言うのだ。「2014年から今までが,私がゲーム業界にとって『大いなる希釈』と呼んでいるものです。ソーシャルゲームやモバイルゲームの拡大のおかげで,ゲームコンテンツにアクセスできる人の総人口が10倍に増えました。しかし,モバイルやソーシャルプラットフォームで登場した新しいゲームの大半は,リスペクトよりも純粋な成長に焦点を当てたものでした。芸術性の高いゲームは年々増えていますが,この希薄化により,ゲーム業界に対する世間の印象は大きく変わったのです」

 「私は,『ビデオゲームを作っています』と言ったあとの人々の反応を見て,ビデオゲームが尊敬に値する芸術的メディアであるかどうかを判断しています。ビデオゲームが正統な芸術であれば,作家,振付師,建築家,映画監督などの反応から大きく外れることはないだろうと思っています」

 「2005年,人々は私に『ああ,あなたたちは子供たちを中毒にし,暴力的にして,我々の子供を台なしにした』と言っていました。今日でも社会の主流は,ゲームをほとんどベビーシッターの役割か,ストレス解消,あるいは依存症のようなものと考えています。『精神的な阿片』や『仮想賭博』といった言葉が)昨年,さまざまな政府によって使われました。最近,ゲーム以外の人にゲームを作っていると言ったら,『ああ,ゲームは儲かるらしいね』と言われまいした。いくら儲かるの? どれくらい残業するの?』と言われたのです」

 ゲームに対するメインストリームの理解と受容についてはまだ道半ばだとしても,Chen氏は明らかに進展したことを喜んでおり,風ノ旅ビトがその一翼を担ったかもしれないことを認めている。

 「10年経って,私はこの出来事をとてもありがたく感じています」とChen氏は語る。また,会社を大きくしていく中で,人と面接すると,『私は13歳のときに風ノ旅ビトをプレイした!』と言われるので,不思議な感じもしました」

 「年を取ったなと感じる半面,同じくらい人々の見方を変えたゲームであることにやりがいを感じています」

※本記事はGamesIndustry.bizとのライセンス契約のもとで翻訳されています(元記事はこちら