「株式会社24Frameの内情暴露日誌」第21回:深淵をのぞき込むとき,奇妙な音が聞こえる
さて前回(すでに年明けから大分たっていますが)年末恒例の色々ランキングの話にかこつけてエレキングの話をしようとしておりました。
一時は長く休刊状態で,その間は「remix」という雑誌がややポップに寄った形で存在していたのですが,ネットによるメディアへの影響からも「横断的であるよりとにかく狭く濃いものを」という要請が前景化したのでしょう,晴れて復活と相成ったようです。
20年前に映画の売り込みで一度だけremix編集部にお邪魔したのも今ではいい思い出。その時の僕と来たら田中フミヤ(我々にとって「フミヤ」といえば田中です)のために大阪のロケッツというアングラなクラブに通い,高校時代にはKlaus Schlzeの「Jubilee Edition」という25枚組アルバムを買うために英語で版元にメールをするような人間でしたから(ちなみにその海外の版元からも「今すぐ注文しないとなくなるかも……」という不動産屋さんのようなセリフをいただき,セールステクというのは世界共通なのだなあ,感動した覚えがあります)実際に編集部を見たときにはシビれました。
当時の僕はこの調子での若気の至りばかりで,ジャズといえばの超名盤「Kind of Blue」を聞いても「マイルスすごいな。クスリの量が。コルトレーンのが落ち着くな」などと言いたがる厄介(これには僕の視聴環境が悪い,すなわち貧乏所帯でものの良し悪しがそもそも判断できていない,ということが遠因なのですが)でしたが,2020年には一番聞いた曲がリナ・サワヤマの「コム・デ・ギャルソン」であるなど,すっかり厄介成分は抜けております。
ちなみにこの曲はサビの部分が「「コム・デ・ギャルソン」と連呼されるだけ。イギリス在住の日本人によって」という「巴里のアメリカ人」へのアンサーとも言える(?)気の利いたジョークなのですが,今はギャルソンの長たる川久保玲の名前も,ギャルソンがパリコレで大バッシングの嵐から始まった後に今も破産や整理を経ずにハイブランドであり続ける特異点となったという文脈からのこのギャグも,今の日本に何処まで機能しているのかは不明です。
すでに本論が何であったかを忘れ去るくらいに話がそれていますが,それたついでに言いますと「その年いちばん聴いた曲」を自分が忘れていても教えてくれる音楽サブスク,ストリーミングサービスというものは「AI」を有効に使っていることが生活上で分かる唯一のジャンルなんじゃないかと思います。
そんなこんなで結局かつての恒例であった年末のランキングもAIの前にその意味を薄め,例えばマンガなんかでも「このマンガがすごい!」なんかが毎年休刊するやしないや,という議論はこの辺りとも関係している気がします。
みんなを幸せにすることができる力を持ったランキング1位待ったなしの作品,というのは当然引き続き生まれ,存在していくわけですが,そういった「大きなランキング」が出る前にストリーミングや電子書籍サービスが「あなただけのランキング」を個人の手元に届けてくれる以上,メディアはもちろん作り手側も「お前はどのランキングの何位を狙うワケ?」といった問いが常についてまわる問題となったと言えるでしょう。
その辺りの話に触れながらも「来年(2022年)どうあるべきか」に社内の納会でも触れたので次はその話になるのかな……年明けから随分立ったのに。時とともに新年どころか去年の話に戻っていく意味不明な進行をどうぞお許しください。
それでは皆さん,また次回!