DLC:ゲームは人の考えを変えることができるか?

Wolfenstein: The New Colossus,Night in the Woods,Katamary Damacyの開発者は,彼らのメッセージを含んだゲームがユーザーに影響を与えられたのかを共有する。

GamesIndustry.bizの取材ではいつも,記事の本筋の内容からは外れるのだが,興味深いネタというのがある。しかし,それらはレポートする価値がある。これを公開しない仕事としてゴミ箱に捨てるよりは,我々はさまざまなトピックに洞察を加えるコラムとして作り直して提供したいと考えた。これらのコラムの正確なフォーマットはまだ固まっていないが,我々はこれを「DLC」のラベルを付けて発表することにした。


狼の皮をかぶった狼


 Game Developers Conferenceで私は数人のデベロッパにインタビューを行った。彼らのゲームは政治見解について堂々としており,ローンチにも成功している。これは業界ではまだかなり珍しいことだ。パブリッシャはデリケートな社会問題に取り組むことを好んでいる。それは幼児が次に目にする光りモノに気を引かれるまでの数秒間,クルマのキーを握り締めるようなものでだが。

 ともあれ,これは私の好奇心を刺激した。これらのゲームや彼らの主張が実際にどこかの誰かを説得したのか,特定のユーザーの信念を強くしただけなのだろうか。もしくは別の言い方をすると,このようなゲームは,実際に人々の考えを変えて社会的な変化をもたらすよい方法となるのだろうか? もしくは,それは単に有象無象から目立たせてゲームをターゲットの大衆層に売るための効率的な手法にすぎないのだろうか?

 Wolfenstein: The New ColossusのクリエイティブディレクターJens Matthies氏と話したとき(関連英文記事),氏は露骨な反ナチスのゲームがプレイヤーの視点を変えたというのはまったく聞いたことがないと語っていた。しかし氏は自身がソーシャルメディアでの存在感が大きくないことを認め,「私は人々がゲームについてなんと言っているのかちゃんと読んだことはありません」と付け加えた。

Wolfenstein: The New Colossusは,ナチスの立場を離れて人々を動揺させるような方法よりもナチスに対する怒りを発散させるよい方法であるように思われる
DLC:ゲームは人の考えを変えることができるか?

 「一般的に言って,人々はなにごとにおいても自分の考えを変えることは好まないと考えています。これは政治的傾向とは関係ありません。なぜなら,いくつかの意味でこういうものは,自身や自分の知性が間違っていることを示すように感じられるからです」とMatthies氏は語った。「もし私が地位を与えられるなら,私は誰かということだけです。それは私の一部であり,そう思う思考過程は私にとって健全なものです。ですから,私は,現状ではあなたが持っている信念を肯定する機会はたくさんあると思うのです」

 「そして,それはいつもその状況だったのかもしれません。インターネットや現在のコミュニケーション手段が問題をこじらせたのか,それとも減らしたのか私には分かりません。それは信じられないほど言いづらいことです。なぜなら,どんな文化やコミュニティでも自己強化というのは常に起きているからです。あなたのオンラインでの存在感と一般的信念体系を尋問に晒さずに導く多くの機会があります」

 人々の信念と仮定に挑むにあたってゲームが適していないというわけではない。ありうる限り困難な仕事と同様,人々をある状況の真っ只中に置くようなゲームの能力には潜在的な負荷があるとMatthies氏は語る。わずかな接線で思考の線をつなぐ前に,氏はしばらくそこで立ち止まった。

 「ゲーム開発の話からずいぶん離れてしまいました。しかし私は人々は最大60%正しいと考えています」とMatthies氏は語る。「この星で最も賢い人が60%正しく,ものごとにあまりこだわらない人だと25%正しいといった感じです。ですので私は複数の意見の信奉者であり,それに晒されてるのです。間違っているかもしれないという事実の前に謙虚であろうとすること,受け取った信用できる情報を基に舵取りをしようとすること,そしてそれを疑い再評価する能力を持つこと。しかし同時に,私はそれが驚くほど難しいことが分かりました。これは我々がなんらかの方法で自然に習得するようなものではないのだと思います」


「あなたのゲームは私を共産主義者にした」


 その翌日,私はScott Benson氏Bethany Hockenberry氏にインタビューを行った(関連英文記事)。Night in the Woodsチームの3人のうちの2人だ。IGFと BAFTAで受賞したナラティブな探索ゲームは,大学を中退したMaeを追ったものだ。彼女は,経済的に停滞し苦しむPossum SpringsのRust Beltの町を舞台として,さまざまな方向に成長した(あるいは成長しなかった)旧友たちとともに過ごしている。 Benson氏とHockenberry氏は歯止めのない資本主義を声を出して批判し,組織的労働に賛成している。そしてゲームはそれを反映している。

一方,Night in the Woodsの作者たちはいくつかの問題に対して,ゲームがどのように思考を形成していったのか証言を集めていた
DLC:ゲームは人の考えを変えることができるか?

 Matthies氏とは違って,彼らはソーシャルメディアで活発に活動している(とくにBenson氏)。さらにMatthies氏とは違って,彼らの作品に影響された人々からたくさんのフィードバックを受け取っている。

 「文字通り1時間前に,誰かがやってきて言いました。『ありがとう。あなたのゲームは私を共産主義者にしましたよ』」とBenson氏は語った。「我々のゲームは伝道とかそういったものを目的にしたものではありませんでした。しかし,十分多くの人々が自身で体験をしつつも言葉にすることができなかったのだと思います」

 氏は「我々が労働について語るのは,単にそれが我々の直面するものだからです。ゲーム内の政治に関わるすべてのもの……我々は2013年にシナリオを書き始め,基本的なアイデアはすべてそこにありました。それは我々が見てきたものです。我々の知っている人々,そして我々の前にある政治です。そして2017年になって,大勢の人々がそういったことを国家レベルで突然語りだしたときに,たまたま我々はゲームをリリースしたのです」と続けた。

 Hockenberry氏は,Maeの父親であるStanの労働環境に関するゲームのストーリーアーク(※ストーリーを分けて伝えること)が頻繁に持ち出されるようになったと語る。Stanはかつてたくさんの取引を行い,家族で唯一の稼ぎ手だった。しかし,Possum Springsの経済が干上がると,彼は大手食料品店の肉売り場で家計のやり繰りを助けるために性に合わない仕事をすることになった。

 「とくにMaeの父親とその労働環境について,人々は『今分かった。なんでこうなったかがやっと分かった。私がちゃんとした考えてなかったからだ』となるようです」と彼女は語った。

 「ときどき,それに名前がほしくなります」とBenson氏は強調した。「このようなものの大半はそうだと思います。実際に整理整頓のプロといった人々では,これが大部分です。人々と話をすれば,彼らは行くでしょう。『ああ,これはまさに私じゃないか? 我々のことだ。ああ,この部屋にいる人の半分? そして今我々は一つになっている』これが労働組合の始まりです。これは基本的になんらかの変化がどのように起きるかを示すものです。一緒に闘争できると理解している仲間を十分に得たら,私はおそらく,ゲームの中で我々は中途半端に多くの人々が抱える闘争を描いたのかと思います」


The Katamari Legacy


 数か月前,私は高橋慶太氏とE3でインタビューを行った(関連記事)。そして,氏の最初のゲーム塊魂と最新作Watttamの話の間で,私は氏にゲームの意味を持ち,メッセージを伝える能力に対する考えを聞いてみた。

 「私にはゲームを作る理由が必要なんです」と氏は語った。「『お金が必要!』といったものではありません。それは私の理由にはなりません。必要なのはもっと違ったものです……塊魂にとって,これは隠された物語です。しかし私はなぜ世の中には大量消費のような,たくさんのものがあるのだろうと思っていました。私はそういうのは大嫌いです。我々の生活はもっとシンプルであるべきです。ですので,私はたくさんのモノをゲームの中に入れました。あなたはそういったものを巻き込んで空に捨てることができます。バイバイ! でもこれは極端な考え,極端なアイデアです。そこで私はお馬鹿なストーリー,お馬鹿なキャラクター,ナイスなミュージックで誤魔化したのです」

 高橋氏の隠されたストーリーは完全にユーザーに伝わらなかったわけではなかった。デベロッパによると,“数人”が,塊魂によって物質主義と大量消費に対する考え方を変えられたと高橋氏に語っているという。同時に,高橋氏がゲームに込めた意味は,プレイヤーの考えを変える目的というよりも彼自身のためであったようだ。

 「私は自分の考えをプレイヤーに押し付けたくはありません。なぜなら,それはとても迷惑だからです」と高橋氏は語る。「私は教師ではありません」

※本記事はGamesIndustry.bizとのライセンス契約のもとで翻訳されています(元記事はこちら