高橋慶太氏のネガティブさ

Wattamと塊魂(Katamari Damacy)を手がけた高橋氏は,ゲームの可能性を示そうとしてこれまでやってきたものの,成功したとは思っていない。

 楽しいサウンドトラックで明るく愉快なゲームを作る高橋慶太氏が手がける最新のゲーム「Wattam」は,年内にAnnapurna Interactiveからリリースされる予定だ。

 Wattamでは,「市長」と呼ばれる明るい緑色の立方体が一人さみしくゲームを始めるが,不思議なキャラクターたちと手をつなぎ,彼の帽子の下に隠された爆弾を爆発させ彼らを楽しませることによって,友達を作っていく。突飛でかわいらしくて楽しいが,全体的に何か謎めいた底流がある。

 その意味では,これまでの高橋氏の作品「塊魂」「のびのびBOY」に近い。塊魂では,プレイヤーは玉を転がして,落ちている自分より小さいものを飲み込んで大きくしていく。恐ろしい叫び声や逃げ惑うことが示唆するように,玉と一体化したくない人間たちもやがてくっつけ,新しい星になるために宇宙に打ち上げられる。のびのびBoyでは,すべてのプレイヤーがいも虫のようなキャラクターを物理的にできるだけ長く引き伸ばすという目的を共有する。各々が伸ばして積み上げられた長さで,別のキャラクターの6年以上にわたる太陽系を巡る孤独な旅を完成させる。

Wattamの市長は,あらゆる種類の……「モノ」と友だちになる。
高橋慶太氏のネガティブさ

 てんやわんやのE3の最終日に行われた20分のディスカッションから多くを推定しすぎかもしれないが,これらのゲームと,特徴的な愛くるしい喜びとメランコリーのブレンドは,高橋氏自身を反映しているように思える。彼は明らかに愛や喜びのようなものを大切にしているし,回答するときはほぼいつも笑っているが,彼が紡ぐ言葉そのものは明示的にも暗示的にも,陰鬱だったり情熱に欠けたりするように思えることが多い。高橋氏は我々 GamesIndustry.bizに対して,まず彼の想定外のゲーム業界への入口となったナムコへの就職について率直に話してくれた。

 「ナムコに入社する前は,パソコンもゲーム機も持ってませんでした」と高橋氏は語り始めた。「美術大学では彫刻を学んだのですが,なぜかゲーム業界に進みました。ナムコに入社したとき,ぼくはゲームデザイナーではなくアーティストでしたが,ゲームを作るべきだと思っていました。だってゲーム会社に就職したんですから。当時の上司は,ぼくにゲーム制作の才能があると信じてくれていました。『慶太,新しいゲームのアイデアを考えてごらん。(既存の)ゲームはとても退屈だからね』と。で,その通りにしました」

 ゲームはもっと変われる,当時のヒット作とは違った感情や気分を呼び起こすことができるということを,プレイヤーとパブリッシャに見せることが塊魂での目標だったという。塊魂は評判としても商業的にも成功を収めたが,彼はそれを自分の手柄として宣言したくはなかった。

 「成功したのかどうか分かりません」と彼は語った。「塊魂は一定の人たちをハッピーにしたと思いますが,それは少数だとも思っています。数百万人,数十億人を相手にする『Fortnite』や『GTA』のようなAAAタイトルとは違います。業界に変化を起こしたとは思っていません。少なくとも十分ではありません」

 高橋氏はWattamでもって引き続き人々のゲームへの考え方を変えようとしている。だがそれは難題であり,目標を達成できないとあきらめてしまいそうにも見える。

 「ぼくは楽観的じゃないんです」と彼は言った。「ぼくにとってはまだ変わっていません。同じままです」

スケールの大きいAAAのブロックバスターのような大ヒット作と同じくらいWattamも爆弾を使うが,かなり違うアプローチだ
高橋慶太氏のネガティブさ

 現状を押し返そうとする彼の継続的な試みは素晴らしいが,物事をより難しくしているのは確かだ。高橋氏がWattamで最も苦労した最大の挑戦は,単純に,世の中の人たちが気に入るかどうか分からないということだった。少なくとも,高橋氏は塊魂やのびのびBOYSがリリースされる前も同じように感じており,ある意味,身近な課題だった。

「撃つとか戦うのはある意味楽しいものです。でもゲームデザイナーとしては, プレイヤーに異なる視点や考え方を提供できなかったということで,ちょっと悲しいことです」

 「それは変わりません,絶対に」と彼は語った。「いつもこうです。今のゲームのトレンドに逆行しようとしているからなんです。シューティングとかファイティングのゲームがありますよね。それも決して変わらない。でもほとんどの人はそういうゲームが大好きです。撃つとか戦うのはある意味楽しいものです。でもゲームデザイナーとしては, プレイヤーに異なる視点や考え方を提供できなかったということで,ちょっと悲しいことです。戦うのは楽しいということは理解していますが,これは異なる視点での楽しさです。ゲームはインタラクティブであり,音楽とビジョンを備えた非常にユニークなメディアであり,そして,より感情的なストーリーを提供することができると思いますが,ぼくたちは人生経験のまだまだ非常に小さな部分しか提供できていません」

 Wattamが評価されるかについて高橋氏がはっきりしない理由の一つは,このゲームが明らかにマーケットのほかのゲームと大きく異なるからであることに疑いの余地はないが,また,高橋氏自身の開発プロセスにも起因する可能性がある。

 「フィードバックは欲しくないんです」と彼は説明した。「だからみんな驚きます。塊魂ものびのびBOYSのときもプレイテストはしませんでした。公開テストはなく,内部テストやQAだけでした」

 「自分のアイデアにはいまだに自信がありません……。たくさんの人がフィードバックをくれますが,正しくないフィードバックのときはなんだか分かるんです。それはぼくがやりたいことじゃないと。だから,いやいやいや,とか言います。頑固なのかもしれません」

 インタビューの途中で,彼の個人的なフラストレーション,悲観,その他シアワセ未満の感情がゲームにはっきりと表れていると思うかどうか聞いてみた。

 「説明するのは難しいですね」と高橋氏は答えた。「コメディアンっているじゃないですか。彼らがいつでも面白いと思います? ぼくは思いません」

※本記事はGamesIndustry.bizとのライセンス契約のもとで翻訳されています(元記事はこちら