「株式会社24Frameの内情暴露日誌」第30回:壱百萬天原サロメ嬢は何萬点?
Vtuberとは何なのか?
巣ごもり需要がどこよりも炸裂したのはここではないのか? ただでさえおびただしいコンテンツを消費するポテンシャルを見せつけた現代のコンシューマは,日々生産される数時間に及ぶ「配信」とそのアーカイブによって胸焼けを起こすどころかさらなる胃拡張に成功しており,もはや際限などないのではないか? 実在のサーバーには物理的限界があるにせよ,人々の精神的受容性はとっくに限界突破してなお拡大を続けているのではないか?
などという妄想が,肉体からの逸脱により尚の事可能になるというパラドクスがそこにあります。
中の人などいない
それを裏付けるかのように,激戦区においては心身の消耗が度を超えて激しく,しかし中の人達は「もうやめたい,休みたい」と思うよりも事業の継続を強く望む傾向があり,その中で最もバランスを保ちながら最後まで立っていたものが真の王である,という神々によるバトルロイヤルが始まっているとさえ言えます。
真の王の器とは
2社の違いは色々とあるのですが,今現在において言えば大きくはその所属タレントの数にあります。
ホロライブのホロメンを網羅することは不可能ではないのですがにじさんじメンバーを網羅することは人間にはほぼ不可能と言える数になっています。
基本的に突如生まれた王としての存在,は計算可能な存在ではなく,各種のプレイヤーが必然的に行き着く解答,すなわちゲーム理論におけるナッシュ均衡のようなものであり,その発生は自然現象的です。
そしてその役割は往々にして「風穴となってその箱に多くのファンを連れてくる」ということだったりします。
故に突然のブレイクを果たしたサロメ嬢をきっかけにVという存在を知り,さらにはその箱の中でお気に入りの沼を見つけ各々にはまり込んでいく。そのアングルで考えれば,それはホロメンの一角ではなく圧倒的な多面体として存在するにじさんじから生まれるべき必然があったと言っていいでしょう。そしてその導線としての運命を背負うことになったサロメ氏は,V入門編としての側面を持ち,スパチャ読みも毎日配信もしない,しかし胃カメラは見せておく,ということになるのではないでしょうか。
王は一度没し,そして復活する
「サロメ以前の王は誰なのか?」という問題には人間はおいそれと答えることさえ許されぬ領域ですが,それにほど近い存在はかつて何人か存在しました。そしてその絶頂期にまさかの転生を遂げたりしています。これに関しては中の魂の人の強度次第の部分ではあるのですが,やはりどちらかというと自然の営みというより,人間社会の出来事という側面が強いように感じます。
スパチャ獲得額で世界レベルのランキングを経験すると,否が応にも個人事業主として考えざるを得ない「独立」の二文字。それを実行するには様々な事象の揃い方も関係し,とても計算だけでできることではありませんが,人事を尽くし,魂の強度がそれを許せば,その神の力を継承しながら独立することも可能です。
しかしそれはさながら蠱毒のようなもので,最強決定戦を生き延びた先のある種のご褒美的な要素としての側面もありますし,もともとそれを望んでいないVも多いと思います。
故に,この心身ともに疲弊半端ないバトルロイヤルにおいては,Vは神,もしくは精霊にほど近い存在なのであるから,個人事業主として自分でエゴサをする,ということさえやめてしまえば幾ばくかその魂の消耗が減じられるのではないか,しかし,それで精度の高いVという神降ろしを継続できるのか? ということの結果は,まだ人類にはもたらされていません。啓示を待ちつつ,それではみなさん,また次回!