ニンテンドー3DSの成功を再評価する

任天堂で最も業績の低かった携帯ゲーム機は,スマートフォンが支配する世界で携帯ゲームが生き残れることを証明した。

 時代は,ニンテンドー3DSに向かっているように思われる。

 任天堂は来年度中の3DSファミリー製品群で10万台の本体販売と50万本のソフトウェア販売という堅調な販売を予想しているが,それ以上のファーストパーティ製ゲームの計画はない。

 確かに,任天堂の携帯ゲーム機チームはみんな,「ポケモン」「どうぶつの森」「ルイージマンション」「ファイアーエムブレム」の各シリーズの新作と,斜め見降ろし視点のアドベンチャー「ゼルダの伝説 夢をみる島」で,Nintendo Switchのゲームに取り組んでいるようだ。これらはすべて,前世代の3DSで評価的にも商業的にも優れた成績を残したタイトルだ。

 さらに,任天堂の新しいエントリーレベルのゲーム機器として設計された,より安価な新しいSwitchが噂され続けている(関連英文記事)。それは,Switchが2017年に発売されて以来,3DSの役割だったものだ。


「数字は全体像を表すものではないので,3DSがどれだけうまく機能したかを評価することには価値がある」

 その時代が終わったので,3DSがどれだけうまく機能したかを評価することには価値がある。なぜなら,この場合,数字は実際の全体像を表すものではないからだ。

 3DSは,任天堂の携帯ゲーム機としては最も低い業績で寿命を迎える。その7500万台という生涯販売は,9年間で8150万台を達成したゲームボーイアドバンスに続くものだ。3DSはゲームボーイアドバンス(3億7700万本)よりもわずかに多いソフトウェア(3億7880万本)を販売することができたが,GBAは任天堂がDSを発売する前の3年ちょっとしか市場に出回っておらず,任天堂はすぐにDSに注力するようになっていた。

 さらに重要なのは,3DSが前任であったDSが達成していた販売台数の半分以下しか販売されなかったことだろう。この数字は,3DSが任天堂にとって間違いだっただけでなく,―PS Vitaのひどい販売と相まって― 携帯ゲーム機市場が深刻な衰退を見せていることの証拠を示している。

 しかし,文脈は王様だ。さまざまな時代の数値を比較することは,株主やアナリストにとって重要かもしれないが,誤解を招くおそれもある。私は,3DSが成功しただけでなく,携帯ゲーム専用機が生き残れることを証明したと主張したい。

 考慮すべき最初のことは,7500万台の本体販売というのは,任天堂の歴代携帯ゲーム機の順位では一番下になっているが,より広く携帯ゲーム専用機のビジネスを考慮すると,これは実際にはかなりよい成績だということだ。NES(ファミコン),SNES(スーパーファミンコン),およびSega Genesis / Mega Driveに勝り,PSPとGBAの射程距離内で,歴代ベストセラーゲーム機トップ10のすぐ外側に位置している。

 3DSはまた,任天堂の歴史の中で最も悲惨な立ち上げの一つであったWii Uの打撃から回復しなければならなかった。

 発売当初は紙の上ではよく見えた。初月で361万台の本体が販売されており,これは歴史上最も売れ行きのよいゲーム機の一つといえる成績だ。しかし,任天堂は実際にはその初月度に最低400万台の販売を期待しており,次の四半期中には売れ行きは停止した。

「3DSは任天堂の歴史で最も悲惨な立ち上げの一つから回復しなければならなかった」

 この不振の要因はよく分析されている。3DSは,任天堂のコアコミュニティ以外の誰にとっても分かりにくいものだった。小売スタッフでさえ混乱していた。イギリスの小売出版商MCVは,当時ミステリーショップを運営し,販売スタッフにDSと3DSの違いを説明するよう依頼した。回答は「分からない」から「同じだけど,3Dスクリーンがある」までの範囲に及んでいた。

 3Dが子供の視力にどれくらい有害である可能性があるかについての報道があった。ゲーム機は12本以上のゲームとともに発売されたものの,それらのどれもがメジャーリリースとは言えなかった(面白いことにSwitchとは真逆だ)。任天堂のファーストパーティの作品は新しい「Nintendogs」と「パイロットウィングス」だったが,英国で最も売れた3DSのローンチゲームは「ストリートファイターIV」の移植版だった。

 アップグレードされた「時のオカリナ」以外で最初の主要な3DSのソフト発売は,6か月以上あとの「スーパーマリオ3Dランド」だった。

任天堂は,3DSが発売から6か月後の「スーパーマリオ3Dランド」まで主要なファーストパーティゲームを用意していなかった

 この立ち上げは,任天堂に前例のない緊急行動を起こさせた。同社は3DSの価格を大幅に引き下げ,とくにクリスマス前に「Mario Kart 7」を発売することを目指して,ソフトウェア出荷をスピードアップするための追加の開発リソースを投入した。これらの動きは3DSのデビュー年を救った。しかし任天堂は低価格で3DSを売っていおり,そしてその初期マーケティングのうぬぼれが ―その名前からその中心的な仕掛けまで― 効果がないことを証明していた。今では,売上を伸ばすには,純粋にそのソフトウェアの強みに頼っているようだ。


「3DSは,スマートフォンが全盛ではあるものの本格的な脅威ではない時期にローンチした」

 ローンチのトラブルはさておき,3DSの最大の課題は,その前身とは異なり,それはスマートフォンの時代に生まれたということだった

 任天堂の携帯ゲーム機は,より若い層,よりメインストリームを志向する傾向がある。単にアタッチレートを見るだけでそれが分かるだろう。ゲームボーイはNESのほぼ2倍の台数を販売したが,それでも発売されたゲーム数はほぼ同じだ。DSの販売台数はWiiより5000万台増えたが,ゲームの販売本数は2800万本の増加にすぎない。また,任天堂の携帯ゲーム機は据え置き型と比較して頻繁にハードウェアの改訂が行われる傾向があり,その結果アップグレード顧客になることにも注意すが必要だ。それにもかかわらず,「テトリス」や「脳トレ」などのタイトルの人気は,これらのデバイスがより広い消費者にどれほど人気があるかを示している。

 3DSは,スマートフォンが全盛ではあるものの本格的な脅威ではない時期にローンチした。iPadはすでに1年前に市場に出回っており,ゲーム価格はiPhoneとAndroidでゼロまで引き下げられた。これら2000万人の「脳トレ」と「Nintendogs」のプレイヤーは,今でははるかに魅力的なプレイの場を持っている。

 スマートフォンは携帯ゲームの死であるという考えは,3DSが前機種の半分の台数しか販売できなかったという事実で裏付けられたように思われた。にもかかわらず,それが同時に示していたのは,携帯ゲーム専用機によって提供される詳細な体験を評価する非常に多くの聴衆がいるということだった。一部のアナリストは,7500万台の売り上げについてトラブルを抱えていると判断したが,任天堂のような会社が大きなビジネスを構築できる可能性を示すユーザー数でもあった。Switchでは,その数を1億まで増やすことができると任天堂は考えている。とくに任天堂のスマートフォンタイトルをiPhoneやAndroidのプレイヤーが効果的にSwitchにアップグレードできる場合は,だ。

 発売がうまくいかなかったこと,好まれなかった仕掛け,混乱したメッセージ,およびスマートフォンの大きな影響などを考えると,3DSが7500万台の売上を達成したことは注目に値する。これは,非常に収益性が高く ―そして大部分は挑戦されていない ー 携帯ゲーム専用機ビジネスを任天堂が築くための巨大な基盤となっている。

 商業的な失敗からはほど遠く,3DSは小さな勝利に留まるだろうという予想をものとのしなかったのだ。

※本記事はGamesIndustry.bizとのライセンス契約のもとで翻訳されています(元記事はこちら