上田文人氏「私にとって,ストーリーの詳細を語ることは重要ではないんです」
「人喰いの大鷲トリコ」の開発者はMassive EntertainmentのDavid Polfeldt氏やNordic Game Conference来場者に彼のデザインプロセスを共有した。
上田文人氏は,なぜ彼のゲームのナラティブを「意図して神秘的」にしており,氏の次のプロジェクトがもっとオープンワールドに立ち戻るかもしれないことを匂わせた。
上田氏は,Massive Entertainmentの「Tom Clancy's The Division」でマネージングディレクターを務めたDavid Polfeldt氏との打ち解けた談話という形で構成されたNordic Game Conferenceの朝のセッションの主役だった。
話は氏の美術研究での逸話から始まり,上田氏は彼が娯楽として楽しんでいたものは芸術ではないということに気づいたという。道楽半分でAmigaによるアニメーションをやったあと,氏は日本のデベロッパWarpのCGアーティストとなった。そこで氏の最初のメジャーヒットとなった作品のアイデアが形作られた。雇い主への不満から,彼は自身のプロジェクトを追及するため同社を去っている。
「勤めていた会社を辞めたとき,私はすでにIcoのアイデアを持っていました」と氏は観衆に語った。「名前もです。そして私は少年に手を引かれる背の高い少女のイメージを持っていました。しかし,それが映像になるのかゲームになるのかははっきりしていませんでした」
Icoの作業ができるようにしている間,氏は貯金が尽き始めたために,またを探さなければならなくなった。幸いなことに,ソニー・コンピュータエンタテインメントが彼をCGアーティストとして雇用した。
「私はそれに専念しました。しかし私には一つ条件がありました。つまり私は自分の作品のために時間が必要なのでフルタイムでは働けないということです」と氏は語った。「ソニーはその時間でなにをやっているのかと聞いてきました。そこで私はIcoについて話し始めたのです。彼らはそのアイデアを理解してくれて,ソニーで働き続けるようにいってくれたのです」
上田氏のプロジェクトの多くは単なる精神的なイメージから始まっている。Icoについては,背の高い少女の手を引いて誘導する少年のイメージだと氏は語った。人喰いの大鷲トリコについては,高くて狭い岩棚にトリコが若い少年をぶら下げて座っている光景だったという。Polfeldt氏は上田氏に,心にイメージが浮かんだときどんなストーリーになるのか分かったのかと尋ねた。
Polfeldt氏は,上田氏の作品に見られる曖昧なストーリーテリングの手法はどこか詩に似たところがあるように見えるが,それは開発者が意図したものなのか疑問に思っているとコメントした。上田氏は「意図して神秘的」にしているのだろうか,それとも実際には氏がストーリーに見ているものを人々にも理解してもらいたいと思っているのだろうか?
「私にとって,ストーリーの詳細を語ることは重要ではないんです」と氏は答えた。「日本では俳句という詩の表現があります。これはなにかについて詳細に説明することなく受け手に理解させたり,提示したものに対する想像力を利用する手法です」
「これは受け手の想像力で彼ら自身のストーリーを作らせます。私は,現時点でこれはビデオゲームに対してもよい表現方法になると考えています。将来的には誰かがゲームを通してナラティブとストーリーテリングを行う手法を発見するかもしれません。しかし現時点では,私はこれはストーリーを語る素晴らしい手法だと考えています」
Polfeldt氏はそれに答えて「それは確かに私にはうまく機能していますよ。あなたのゲームには数多くの疑問符があります。だからそれらは私と一緒に行き長く続けているのです。別の方法でそれらについて考えさせられるのです」と語った。
上田氏は「私は意図的にそのようにしているので,そう言ってもらえると嬉しいですね。いくつかの映画ではストーリーが非常に完成されています。そこにはあなたが想像できるようなエンディングはありません。なぜならすでに終わっているからです。このタイプの映画には余韻がありません」
絶賛されたデザイナーはスタジオ管理でも同様なアプローチをとっているという。「なにをすべきか人々に伝えて回る狂気の独裁者」かもしれないというPolfeldt氏の遊び心のある指摘に上田氏は笑いだした。
Polfeldt氏は,上田氏のゲームは交互になっていると観察している。ICOは一本道の体験だった,それに対しワンダと巨像はオープンワールドを志向していた。トリコでは,上田氏はさらに制限された環境に立ち戻っている。デザイナーはこれはなぜなのかを説明した。
「私はワンダの世界をよりオープンに作りました。なぜならIcoは非常に小さな空間でのアドベンチャーゲームだったからです。そして私は4年間閉鎖された空間で過ごしていました」と氏は語る。「ですので,私はもっと広いところに出ていきたいと思ったのです」
「(次のプロジェクトについて)詳しいことは言えませんが,ワンダはIcoの体験からできたものです。閉じた世界からオープンな世界へ。ワンダを完成させたとき,もう一度オープンワールドを彷徨いたいだろうかと考えた時期がありました。そしてもっと閉鎖された空間に戻るべきだと考えたのです。その空間でなにかとより親密な時間を過ごすのです。これがトリコの出発点となりました」
「現在,私はトリコを完成して非常に長い年月をそのゲームで過ごしてきました。おそらく私はワンダのような環境に戻っていくのでしょう」
会話の端々で上田氏はどのように音楽からインスピレーションを引き出していたのかを語っていた。氏の創作では音楽はやる気を引き出す助けとなっている。
「私は作業中にたくさんの音楽を聞きます」と氏は語った。「私が作っているものがファンタジー世界であったとしても,個人的に私はそれほどファンタジーを好んでいるわけではありません。しかし,私は作りたい世界に潜り込み,その世界を感じ,その中で生きる必要があります。音楽はそれを助けてくれます。ですので,私はたくさんの(ファンタジー映画の)サントラを聞きます」
「人として,私は非常に現実的です。しかし私は私が作っている世界が存在すると本当に信じる必要がありました。ですので,ファンタジー世界を扱った本や音楽からインスピレーションを得て,そう信じ込む必要があったのです。多くの人は,私がファンタジー的な人間でいつもファンタジー世界に暮らしているようなことを信じています。しかし人々の認識と人間としての私自身には大きなギャップがあります」
上田氏は,Polfeldt氏による10台のフェラーリ付きの豪邸に住んでいるといった,彼が「クレイジーな億万長者」であるというイメージを払拭していた。代わりに氏が語ったところによると,普通の家に住み,Volvoを買おうかと計画しているとのこと。
もしこの世のどんな職にでも就けるとしたらと聞かれたとき,上田氏は
創造の自由とほかのどんな形の娯楽でも得られないゲームによってもたらされる可能性を満喫し続けるだろうと語った。同じ質問をPolfeldt氏に返されると,Massiveの長は作家になりたいと答えた。なぜなら「信じられないかもしれませんが,私は大勢の人と働くことにとてもストレスを感じています。なので私一人でできる仕事に就きたいんです」
上田文人氏は,なぜ彼のゲームのナラティブを「意図して神秘的」にしており,氏の次のプロジェクトがもっとオープンワールドに立ち戻るかもしれないことを匂わせた。
上田氏は,Massive Entertainmentの「Tom Clancy's The Division」でマネージングディレクターを務めたDavid Polfeldt氏との打ち解けた談話という形で構成されたNordic Game Conferenceの朝のセッションの主役だった。
話は氏の美術研究での逸話から始まり,上田氏は彼が娯楽として楽しんでいたものは芸術ではないということに気づいたという。道楽半分でAmigaによるアニメーションをやったあと,氏は日本のデベロッパWarpのCGアーティストとなった。そこで氏の最初のメジャーヒットとなった作品のアイデアが形作られた。雇い主への不満から,彼は自身のプロジェクトを追及するため同社を去っている。
Icoの作業ができるようにしている間,氏は貯金が尽き始めたために,またを探さなければならなくなった。幸いなことに,ソニー・コンピュータエンタテインメントが彼をCGアーティストとして雇用した。
「私はそれに専念しました。しかし私には一つ条件がありました。つまり私は自分の作品のために時間が必要なのでフルタイムでは働けないということです」と氏は語った。「ソニーはその時間でなにをやっているのかと聞いてきました。そこで私はIcoについて話し始めたのです。彼らはそのアイデアを理解してくれて,ソニーで働き続けるようにいってくれたのです」
上田氏のプロジェクトの多くは単なる精神的なイメージから始まっている。Icoについては,背の高い少女の手を引いて誘導する少年のイメージだと氏は語った。人喰いの大鷲トリコについては,高くて狭い岩棚にトリコが若い少年をぶら下げて座っている光景だったという。Polfeldt氏は上田氏に,心にイメージが浮かんだときどんなストーリーになるのか分かったのかと尋ねた。
「 しかし,これは実際の結末とは違います。これは制作の初期段階で持っていたエンディングのイメージです。制作と開発の途中でエンディングは変わることがあります。これは主に技術やリソース管理の限界によるものです。私はほかのものを優先させなくてはなりませんでした」
「かなり大まかなアイデアは持っていました」と上田氏は認めた。「Icoでは,少年と少女はお互いを知っていますが,あるとき彼女は記憶を失ってしまいます。ですので,ゲームの終盤で彼女は少年を思い出せるでしょうか? しかし,これは実際の結末とは違います。これは制作の初期段階で持っていたエンディングのイメージです。制作と開発の途中でエンディングは変わることがあります。これは主に技術やリソース管理の限界によるものです。私はほかのものを優先させなくてはなりませんでした」Polfeldt氏は,上田氏の作品に見られる曖昧なストーリーテリングの手法はどこか詩に似たところがあるように見えるが,それは開発者が意図したものなのか疑問に思っているとコメントした。上田氏は「意図して神秘的」にしているのだろうか,それとも実際には氏がストーリーに見ているものを人々にも理解してもらいたいと思っているのだろうか?
「私にとって,ストーリーの詳細を語ることは重要ではないんです」と氏は答えた。「日本では俳句という詩の表現があります。これはなにかについて詳細に説明することなく受け手に理解させたり,提示したものに対する想像力を利用する手法です」
「これは受け手の想像力で彼ら自身のストーリーを作らせます。私は,現時点でこれはビデオゲームに対してもよい表現方法になると考えています。将来的には誰かがゲームを通してナラティブとストーリーテリングを行う手法を発見するかもしれません。しかし現時点では,私はこれはストーリーを語る素晴らしい手法だと考えています」
Polfeldt氏はそれに答えて「それは確かに私にはうまく機能していますよ。あなたのゲームには数多くの疑問符があります。だからそれらは私と一緒に行き長く続けているのです。別の方法でそれらについて考えさせられるのです」と語った。
上田氏は「私は意図的にそのようにしているので,そう言ってもらえると嬉しいですね。いくつかの映画ではストーリーが非常に完成されています。そこにはあなたが想像できるようなエンディングはありません。なぜならすでに終わっているからです。このタイプの映画には余韻がありません」
絶賛されたデザイナーはスタジオ管理でも同様なアプローチをとっているという。「なにをすべきか人々に伝えて回る狂気の独裁者」かもしれないというPolfeldt氏の遊び心のある指摘に上田氏は笑いだした。
「我々は(ストーリーについて)すべてを語りつくさないと話してきましたが,私の演出も同じです」
「我々は(ストーリーについて)すべてを語りつくさないと話してきましたが,私の演出も同じです」と氏は語った。「私が演出について聞かれたときには,『ああ,こんな感じで』と言うだけです。細かい点にまで指示は出しません。なのでちょっと怒って私のところに戻ってくると『なんでもう少しちゃんと説明できないんですか?』と聞くんです」Polfeldt氏は,上田氏のゲームは交互になっていると観察している。ICOは一本道の体験だった,それに対しワンダと巨像はオープンワールドを志向していた。トリコでは,上田氏はさらに制限された環境に立ち戻っている。デザイナーはこれはなぜなのかを説明した。
「私はワンダの世界をよりオープンに作りました。なぜならIcoは非常に小さな空間でのアドベンチャーゲームだったからです。そして私は4年間閉鎖された空間で過ごしていました」と氏は語る。「ですので,私はもっと広いところに出ていきたいと思ったのです」
「(次のプロジェクトについて)詳しいことは言えませんが,ワンダはIcoの体験からできたものです。閉じた世界からオープンな世界へ。ワンダを完成させたとき,もう一度オープンワールドを彷徨いたいだろうかと考えた時期がありました。そしてもっと閉鎖された空間に戻るべきだと考えたのです。その空間でなにかとより親密な時間を過ごすのです。これがトリコの出発点となりました」
「現在,私はトリコを完成して非常に長い年月をそのゲームで過ごしてきました。おそらく私はワンダのような環境に戻っていくのでしょう」
会話の端々で上田氏はどのように音楽からインスピレーションを引き出していたのかを語っていた。氏の創作では音楽はやる気を引き出す助けとなっている。
「私は作業中にたくさんの音楽を聞きます」と氏は語った。「私が作っているものがファンタジー世界であったとしても,個人的に私はそれほどファンタジーを好んでいるわけではありません。しかし,私は作りたい世界に潜り込み,その世界を感じ,その中で生きる必要があります。音楽はそれを助けてくれます。ですので,私はたくさんの(ファンタジー映画の)サントラを聞きます」
「人として,私は非常に現実的です。しかし私は私が作っている世界が存在すると本当に信じる必要がありました。ですので,ファンタジー世界を扱った本や音楽からインスピレーションを得て,そう信じ込む必要があったのです。多くの人は,私がファンタジー的な人間でいつもファンタジー世界に暮らしているようなことを信じています。しかし人々の認識と人間としての私自身には大きなギャップがあります」
上田氏は,Polfeldt氏による10台のフェラーリ付きの豪邸に住んでいるといった,彼が「クレイジーな億万長者」であるというイメージを払拭していた。代わりに氏が語ったところによると,普通の家に住み,Volvoを買おうかと計画しているとのこと。
もしこの世のどんな職にでも就けるとしたらと聞かれたとき,上田氏は
創造の自由とほかのどんな形の娯楽でも得られないゲームによってもたらされる可能性を満喫し続けるだろうと語った。同じ質問をPolfeldt氏に返されると,Massiveの長は作家になりたいと答えた。なぜなら「信じられないかもしれませんが,私は大勢の人と働くことにとてもストレスを感じています。なので私一人でできる仕事に就きたいんです」
※本記事はGamesIndustry.bizとのライセンス契約のもとで翻訳されています(元記事はこちら)