Warren Spector氏が「最大限の利益を上げることを意識していない」というわけ

現在,OtherSide Entertainmentに在籍している有名クリエイターがSweden Game Conferenceにおいて成功するための四つの指標を挙げた。

 「Ultima」「Wing Commander」「System Shock」,そして「Deus Ex」といった作品に支えられた30年もの年月に及ぶゲームビジネスでのキャリアを,たった30分のトークにまとめるのは不可能に近いが,Warren Spector氏は壇上では実直であり,かつ会話を楽しんでいるかのようであった。その基調講演において,業界のベテランであるSpector氏は「パブリッシャに話しちゃいけない」というヘッドラインまでを用意していたほどだが,実際にゲーム販売会社のメンバーだったら,この先は読み進めていかなないほうがよいかもしれない。そのほかの皆さんには,「Deus Ex」のクリエイターが過去に学んできたいくつかのことを紹介しておこう。

 Warren Spector氏が基調講演を行ったのは,スウェーデンのシェブデでSweden Game Arenaという団体が主催したSweden Game Conferenceでのこと。それほど精力的な雰囲気をみなぎらせるわけでもないものの,Spector氏は「そういう可能性もあるが,セールスは必ずしも成功を意味するものではない」という力強い言葉で講演の口火を切った。

 「あなたがゲームを作るのであれば,なぜゲームを作るのかという目的と理由をもって臨むべきです」というSpector氏は,続けて「さまざまなジャンルのゲームを作るというオプションがまずありますよね? どういう過程でそのゲームを作ることにしたのか。なぜゲーマーが注目してくれると思うのか。あなたのチームにとって,そのゲームの存在とは何ですか? こうした衝突,結果,そして作品に対する愛に対する答えをしっかりと持てたときに,初めて成功という定義できるのではないでしょうか?」と続ける。

「ある人は,セールスや収益,利益を成功と捉えるでしょう。これ,パブリッシャに話しちゃいけませんよ,でも私はそうしたことはまったく気にしていません」

 「自分が何をしているのか,何をしていくのかも理解しておくべきですが,どの時点で自分たちが成功したのを判断するかも重要です。もう一度言いますが,成功についての定義が必要なんです。なぜなら,ゲーム開発者にとっての成功というのは,それぞれに違うものだからです。ある人は,セールスや収益,利益を成功と捉えるでしょう。これ,パブリッシャに話しちゃいけませんよ,でも本音を言うと,私はそうしたことはまったく気にしていません。開発者にとってのパブリッシャへの義務というのは,次のプロジェクトを始動するための十分な資金を回収することです。それを1本でも超えればよいのであって,利益の最大化などどうでもいいのです」

 Spector氏は,さらに続けて「また,ある人にとって成功というのは,成功というのは誇りであり,あなたのチームが何か凄いことを成し遂げたという達成感であります。プロジェクトとしては,それは成功と言って間違いないでしょう。一部の人は自己満足のためであったり,自分が良いクリエイターであるという外部から認知させることで成功と考える人もいるかもしれません。また別の人は,そのゲームがどれだけゲームとして楽しいものだったのかに,重点を置いている人だっているはずです。実際のところ,“楽しさ”というのは非常に抽象的な言い方であり,私の指揮するスタジオでは部下にその言葉を使ってゲームを説明させません。楽しさを感じるためだけに,ゲームを作っているというのは妙な話だと思います」と話した。

 Spector氏は,上に述べられたような成功の定義がもたらす,開発者個人への満足感には理解を示しつつも,自分自身の成功の定義はそのどれでもなく,彼にとっては四重にも折り重なっているものだと話す。

 これについてSpector氏は「私が第一に成功であると感じているのが“プレイヤーの力”です。プレイヤーと協力することで新しい話題を生み出す力を与えているのかどうか。そして二つめは,ゲームの中で誰も見たことのないものや,やってのけたことのないことを一つでも実現できたかどうか。三つめは,プレイヤーの現実とは異なる世界を,誰か別の視点で見てもらうことができたかどうか。そして最後に,表面上を見ただけでは分からない深みを提供し,皆さんに何かを感じ取ってもらったり,考えさせられたと思っていただけただろうか。この四つが私にとっての“成功”なのです」と説明した。

 最初の「プレイヤーと協力してストーリーを進める」というのは,ゲームというメディアにとっては非常にユニークなものであり,その潜在性を満たすための“道徳上の義務”をプレイヤーに科すとSpector氏は語る。この道徳上の義務は,Spector氏が過去のすべての作品において,常に意識してきたものであり,プレイヤーにストーリー上の経験におけるいくつかの選択を用意し,その選択によって異なる結果をもたらしていくようデザインしていくという。これは,彼がもう40年ほど前に「Dungeons & Dragons」のゲームをプレイしていたときに思いついたことであるという。現在では著名なSF作家として知られるSpector氏の友人,Bruce Sterling氏がそのときのダンジョンマスターだったことも少なからず影響していたのかもしれない。

「そのキャンペーンがどのように終わったかを詳しくここで説明すると,私の目には涙があふれてくるかもしれません。私のゲーム業界におけるプロとしての生活のすべては,1978年のあのときプレイしたテーブルトークゲームで感じたことを再現しようという試みを続けているのです」

 「彼は本当に素晴らしい語り部でしたね」とSterling氏について語るSpector氏。「しかし,あの体験が本当に特別なものになったのは,Bruceがダンジョン・マスターとして物語を作っていたからではなく,私とほかの仲間たちが,Bruceと一緒にそのストーリーを語り合っていたからだったのです。Bruceが我々に投げ付けてきた数々の障害を,我々は苦労して乗り越えていかなければなりませんでした。それは,まるで音楽のグループが一夜を通して何か新しい音楽を作り出したときのような感覚に近いかもしれません。1人では決してできる体験ではなかったのです。そのキャンペーンがどのように終わったかを詳しくここで説明すると,私の目には涙があふれてくるかもしれません。私のゲーム業界におけるプロとしての生活のすべては,1978年のあのときにプレイしたテーブルトークゲームで感じたことを再現しようという試みを続けているのです」と話す。

 Spector氏は,2番めの革新性についての“成功の定義”に関してもはっきりとした口調で話し続ける。もし,開発者がそのゲームの中で何も新しいことをしていないのであれば,自分のキャリアを見直して別の仕事でもしたほうがマシだとまで断言するのだ。

 「正直に言いまして,もしあなたが誰かのゲームのコピーを作っているだけというのなら,いったい何が面白くてゲーム作りをしているというのでしょうか? それはクリエイターとして何も面白みがないだけでなく,ゲームという40年程度の若いメディアにまだまだ存在する可能性や表現の問題に何の貢献もしていないのです。メインストリームのAAAタイトルを見れば,随分と似通っていると感じるかもしれません。古いゲームを新しいグラフィックスに書き直しているだけなのです。我々の業界は,ゲームについてすべてを語り尽くしてしまっているかのように振る舞うには若すぎるのです」

 Spector氏は,プレイヤーに新しい視点を与えるという三つめの定義に関して,吸血鬼に関する実験的な著書を記したNew Yorks Timesのコラムニスト,David Brooks氏を例えに解説する。Brooks氏は,「吸血鬼は,そもそもどうして吸血鬼になろうと決意するのか」と記したが,そこには当然ながら不死や超能力,他人を惑わせる魅力といった能力を欲するのだろうし,ひょっとしたら無理やり吸血鬼にさせられるケースもあるかもしれないが,ひとたび吸血鬼になってしまえば,もう自分は過去の自分ではない。それならば,現在の自分は過去の自分が何を求めていたかをどうやって判断するのか,とBrooks氏は言うのである。

 本質的に,Brooks氏の論点は,人格というのは人間の感情にとって大きく影響するものであり,例えばエイリアンのような誰か別の生き物に成り切ってしまうというのは不可能に近い。Spector氏は,こうした人格の変化をゲームの表現と接合させることは難しく,過去に何度も挫折してきたことを認めながらも,ひょっとしてBrooks氏に反証できるメディアがあるとすれば,それはゲームであるかもしれないと語る。

「私に言わせれば,ゲーム開発者は多弁に何かを語らなければいけませんし,何かを語るにはゲームの企画をしっかりと作り込まなけれなならないものなのです」

 「私の過去のゲームで,そうした別人格に成り切ってしまうと言えるところまでいった作品などありませんが,私はずっと挑戦し続けてしまうのです。失敗を重ねていることがゲーム開発の根底にあるものであると確信しているのです。喜びには痛みも付きものなのではないでしょうか。David Brooksさんがゲームをプレイするのかどうかはしりませんが,もしゲームをプレイしたことあるのであれば,彼が以前に考えていたよりも,一歩近づいていることを実感してもらえるはずです。ゲームは,プレイヤーに現実世界ではやろうとも思わないような行動を取らせる機会を与えます。ゲームをプレイしているときは,誰かを見ているのではなく,その誰かになっているからです。自分の行動に選択と結果を与えるという経験をさせてくれるメディアというのはゲーム以外にありません」とSpector氏は話した。

 最後に,Spector氏は一つの矛盾でプレゼンテーションを終えた。それは,「ゲームで一つの提言をしなさい。その提言は,断言ではなくプレイヤーに対する疑問でなければなりません」というものだ。こうして一つめの「プレイヤーと協力することで新しいストーリーを生み出す」ことに話題を戻し,Spector氏は小説や映画のように教訓めいたストーリーにしないことを集まった観衆に薦めた。

 「あなたのゲームには,プレイヤーに詳しく知ってもらいたい重要な何かがありますか?」と質問を投げかけるSpector氏。「私に言わせれば,ゲーム開発者は多弁に何かを語らなければいけませんし,何かを語るにはゲームの企画をしっかりと作り込まなけれなならないものなのです。ほかのメディアと同様に,ゲームは何か重要なものを表現できるものでありますが,我々の中にはゲームなんてただのエンターテイメントにすぎないと決めつけているような,劣等感があるもかもしれません。私が話したことと矛盾するかもしれませんが,ゲームは提言するのではなく,疑問を投げかけるものなのです。特定のシチュエーションにおいて,プレイヤーは何をすべきだと考えるのか。もし,単に言いたいことがあるだけなら,映画を作るか小説をかけばよいのですから」

 Sweden Game Conferenceのご厚意により,Spector氏の講演は,以下の音声で聞くことができます。



※本記事はGamesIndustry.bizとのライセンス契約のもとで翻訳されています(元記事はこちら