[CEDEC]味や満腹感,さらには重力も自在に作り出せる? アカデミックな人たちが研究する視覚だけじゃないVRの最前線

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 2016年はVR元年と呼ばれることも多く,CEDEC 2016でもVR(仮想現実)関係の講演は多かった。しかし研究者にとってみるとVR元年は20年以上前のことであり,今年は「VR Ready元年」と呼ぶべきだというのは,実際否定しようのない事実だろう。
 このように,ゲーム開発者とVR研究者の間で見ている「VR」には,微妙なズレがある。ゲーム開発者はなんのかんので「VRでゲームをどう作るか」「より楽しいVRゲームとは」という着地点を見据える必要があるが,研究者にとってエンターテイメント性はまた別の問題だからだ。
 またアカデミックVRにおいていま一番ホットな話題は触覚関係だ。VRHMDは(大げさに言えば)過去の話題であって,ゴーグルの先を議論しているというのが現状というわけだ。
 というわけで,VRの研究者はいま,VRに対し具体的にどのような研究をしていて,何を目指しているのだろうか。最新のVR研究の一部が紹介されたセッション「視覚だけじゃない これからのVRシステム」の模様をレポートしよう。


VRダイエットの時代が目の前に


 最初に登壇したのは,東京大学情報理工学系研究科講師の鳴海拓志氏だ。

 氏はまず「Meta Cookie」という実験を紹介した。
 これは一種のAR(拡張現実)で,現実空間に存在するクッキー(およびそれを含んだ風景)を,そのままリアルタイムでVRゴーグル内に表示するというものだ。
 この状態で,被験者はクッキーを実際に食べる。しかるにこのときVRゴーグル内の画像がチョコクッキーに見えるように表示し,またチョコレートの匂いも発生させると,実際にはプレーンなクッキーでしかないはずなのに,被験者は「チョコレートクッキーを食べた」という感覚を得るという。
 つまりほかの感覚の入力から,味覚を誘導することが可能というわけだ。

 もう一つの実験もクッキー絡みだ。
 今度は同じ装置を使って,クッキーの大きさを変化させる。この場合,クッキーをそのまま表示すると,被験者は平均して11枚のクッキーで「満足」する。
 だがVRゴーグル内のクッキーを大きく表示すると,被験者は平均して7枚のクッキーを食べて「満足」する。
 一方,ゴーグル内のクッキーを小さく表示すると,被験者は平均して15枚のクッキーを食べるまで「満足」しない。
 このように,VRは日常的な感覚すら変化させることができる。

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 続いて示されたのは,「VR空間内を無限にまっすぐ歩き続ける」技術である。
 現状でも,VR空間内を自由に歩いて移動することは可能だ。だがこの環境でGTAのようなオープンワールドのゲームをしようとすると,愚直に再現するなら,凄まじく広大なスペースが必要ということになる。
 だがこの問題を克服する技術として,すでにRedirected Walkという技術が考案されている。これは空間知覚に錯覚を与えることで,実際には曲がって歩いているのに「直進している」と思わせる技術だ。

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 この技術として2種類の技術が紹介されたが,片方は直進しているわけではない。曲がり角が来たときに,本人は90度しか曲がっていないのに,視界内は180度回るといった形で,「実空間を有効利用する」技術である。
 もう一つの技術は「ゆっくりと曲がって歩くと,人間は直進しているのと区別がつかない」という錯覚を利用したものだ。これは文字通り,どこまでも直進できる。

 だが,これらの技術には問題もある。前者は曲がり角のたびに視界が急速に回るため,VR酔いを起こしやすいということ。後者は実現するために直径44mの円弧が必要となるため,おおよそ50m四方の部屋という個人で所有するのはほぼ不可能な空間が必要となることだ。

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 これに対して鳴海氏らが開発したのが,「曲がった壁に触りながら歩く」という手法だ。
 人間は空間を知覚するにあたって,音や匂い,床の感覚といった,視覚以外のサポートも得ている。これを逆に利用し,「壁伝い」という触覚で,人間の空間知覚を騙そうというわけだ。
 実際,円状に配置された曲がった壁を触りながらVR空間内を歩いていると,ゴーグルの中に表示される「まっすぐな道」を歩いている感覚が得られる。壁の曲率がかなり高くてもこの「直進感覚」はなかなか壊れないため,より限られたスペースでRedirected Walkが可能となった。氏らはこれを「Unlimited Corridor」と呼んでいる。

 実はこの実験の背景には,視覚と触覚に関する先行研究がヒントとして存在したと鳴海氏は語る。
 その実験は,最初のクッキーの実験と同様,ゴーグル内に表示された画像と現実が食い違っていても,ゴーグル内に表示されている「画像」に,感覚を誘導されることがあることを示すものだ。

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 その実験では,ゴーグル内に表示されているのはブロックだ。
 そのブロックは,実際にはごく普通の円筒である。しかしゴーグル内の画像を「膨らんだ円筒」として表示し,それをなぞる指の動きも円筒の表面に沿うようにして表示すると,被験者はそれを「膨らんだ円筒だ」と認識する。これは「膨らみ」を「へこみ」にしても,同じ結果が得られるという。

 この「視覚によって触覚が誘導される」という現象を,等身大に拡大することができれば,歩行にも使えるのではないか――これがUnlimited Corridorへとつながっている。
 ちなみにUnlimited Corridorでは触覚が手がかりとなって,VR酔いや不快感を低減する効果もあるという。

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 現在,Unlimited Corridorは,最小で6m×7mの空間があれば「無限に直進」が可能となるという。これは壁だけでなく,テーブルの縁でも実現可能であり,適切に誘導されれば「ロボットと手をつないで歩く」ことでも実現は可能だろうと鳴海氏は予測する。
 6×7mの広さがある居間などは,日本の家屋ではほとんど期待できないだろうが,物理的な手すりを設置しなくてもよいのであれば,ある程度までであれば,個人宅でも可能な範囲にある技術だと言えるだろう。


ゲームデザインの知見をVR技術に応用


 続いて登壇したのはUnity Technologies JapanのProduct Evangelist / Education Leadの簗瀬洋平氏だ。余談かつ予断だが,個人的には簗瀬氏は「CEDECで何か奇抜な発表があるとき,そこにほぼ必ず登壇している人物」であると思っている。そしてその予断は今回も正しかった。

 簗瀬氏は,Unlimited Corridorの開発において,鳴海氏と共同で研究を進めている。氏はゲームデザイナーとしての経験を活かし,Unlimited Corridorを現状のような狭いスペースでも可能としたのである。

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 氏はまず,身体感覚はコンテクスト(文脈)に支配される,ということを示す。
 この代表例はベクション(Vection:視覚誘導性自己移動感覚)だ。これは視覚から得られる情報によって,自分自身が動いているかのように感じるという現象だ。我々に最も馴染み深い例として,簗瀬氏は「乗り物に乗っているとき,隣の乗り物が前進し始めると,自分が乗っている乗り物がバックしているように感じる感覚」を挙げた。
 だがこの感覚は,条件が同じでも,発生しないことがある。例えば駅のホームのベンチに座っているとき,目の前の電車が動き始めても,「自分が座っているベンチがバックしている!」と感じることはまずありえないのだ。
 これが「身体感覚がコンテクストに支配される」ということであると氏は指摘する。我々は「ベンチは動かない」と考えており,「今自分はベンチに座っている」と理解しているからこそ,たとえ目の前で電車が動き始めても,「ベンチが動いた」という身体感覚を発生させないのだ。

 このようにもともと存在する制約条件を踏まえて,そこにゴールとルールを与えて人の行動をコントロールするというのは,ゲームデザインそのものと言える。
 簗瀬氏はここで自身の経験を踏まえ,ゲームデザインの技術をどのようにしてVRに応用できるかを研究しているのである。

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 さて,Unlimited Corridorの初期版において,いくつか問題が明らかになっていた。具体的に言えば以下の3点だ。

  • 被験者が素早く歩くと,壁が曲がっていることを検知されやすくなり,直進感が失われがち
  • そもそも壁を触ってもらえないと話が始まらないが,「壁に触ってください」とアナウンスするのでは誘導が弱い
  • 途中で「曲がり道」を実装できるのがUnlimited Corridorの一つの大きな特徴だが,実際に曲がってもらおうとすると難しい

 この問題に対し,簗瀬氏はゲームデザインの知見で対応した。が,その道程は決して平坦ではなかった。

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 まず最初に,氏はダンジョン探索をモチーフとして採用したという。照明が限られたダンジョンの中で,明るい壁と暗い壁が左右に表示されていれば,普通は明るい壁を伝って移動するからだ。
 ところがこれには別の角度から問題が発生した。壁が暗くて見えにくいと,リダイレクションがうまく機能しないのである。リダイレクションが適切に機能するには,ある程度までディテールが表示されていなくてはならないのだ。


 かくして完成版では,高所を探検するというコンテンツへと模様替えが行われた。

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 高所を探検するという状況はVRコンテンツでは珍しくないが,Unlimited Corridorにとってここにはいくつも利点がある。

  • 単純に高くて怖いので,歩行速度が落ちる
  • 高所に張り出した足場の上を歩くという設定なので,自然と歩く場所が限定される(壁を伝う)
  • 途中で足場が落下するというイベントを起こすことで,進行方向を自然に誘導できる

 これらはまさに,ゲームデザインにおけるレベルデザインの技法といえるだろう。
 また,演出にも工夫が凝らされている。

  • 「高いところに飛んでしまった風船を取る」という目的を最初に与える
  • エレベータで高所に登るという導入で「高所」の説得力を作る
  • 足場が落ちるというイベントによって,「この足場は落ちるかもしれない」という伏線を張るとともに,被験者の歩みを遅くする
  • 風船を取れずに滑落して体験を終了させることで,被験者の内側に強い感情の動きを作る

 こういった演出は,アカデミックな場での発表では軽視されがちだ。しかしこのような没入のプロセスがないと,デモを体験しても「ふうん?」で終わってしまうことも多いという。学会のような場であっても,それが体験として面白いというのは,良い反応を引き出す一助となるのだ。

 ちなみに,Unlimited CorridorはどうしてもVR酔いを惹起しやすいところがあるが,「高所」というセッティングによって,被験者が酔いを「高いところにいるので怖い」感覚と錯覚するという現象も発生したそうだ。このあたりも,コンテクストが感覚を作る一例と言える。

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 また,初期のUnlimited CorridorはVRゴーグル内の映像が非常にプリミティブなものだったという。そしてこの段階では,設備の直径は12mほど必要だったそうだ。だが画像をある程度まで作り込むことによって,直径5mの円弧でも「直進感」を与えることに成功しているという。

 このように,内容に合致したシチュエーションやコンテクストを与え,体験者の持つ経験を引き出すことで,VR体験はまったく異なった結果(ないし効率)をもたらしうるのである。


人間は所詮,電気仕掛け


 講演の最後を飾ったのは,大阪大学大学院/日本学術振興会特別研究員でVR研究者の青山一真氏だ(当初は大阪大学情報科学研究科准教授の安藤英由樹氏が登壇予定だったが,都合により代打での登壇となった)。

 ここまでの講演は,いわば「感覚を物理で作る」技術に関する講演だった。これに対し,氏は「感覚を電気で作る」ことを研究している,という。神経を電気で刺激することで感覚を作り,触覚や味覚,視覚,あるいは加速感などを「作る」というのである。
 ちなみに,ここで電気を使うのにも理由がある。装置が軽くて小さいため,社会的実装が簡単なのだ。うまくいけばモバイルにも応用可能だと,青山氏は語る。

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 電気を使って感覚を作る例として,氏はまず触覚を紹介した。
 VRやARコンテンツの場合,ゴーグル内に表示されている画像に対して「触った」感覚を与えるのは,なかなか難しい。バイブレータを指に装着し,「触った」瞬間にそれを起動させることで擬似的な触覚を誘導できるが,反力がないため「何か変」な感覚で終わってしまうという。
 だが,電気刺激を使って筋肉を収縮させれば,触れたところで指が止まる。これによって「触った」感覚が惹起できるのである。

 味覚も電気で誘導できる。
 詳しい説明は避けるが,原理は「電池を舐めると独特の味がする(ただしプラス極の場合に限る)」という現象の応用である。口の中に電気を流すことで,特定の味覚を「感じない」方向に抑制できるのだ。
 なので,最初から五味を感じる物体を口の中に入れておき,電気刺激によって特定の味覚を抑制することで,残った味覚を「感じる」ことになる。

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 だいぶ満腹感が漂ってきたが,氏の講演はさらに続く。続いては視覚である。
 目の近くに電流を流すと,閃光を感じる。これをうまく利用すれば,視覚情報を網膜に表示できるのではないか,という発想だ。
 複数の電極を顔面に装着しての実験と調査の結果,刺激電極の近くに青い光が見えることが分かった。現状では「図形くらいなら描けるかもしれない」というのが青山氏の見解である。
 視覚はHMDがあるのでは,という考え方もあるが,氏は「こちらのほうが電極だけでよく,軽いし,視野も広い」と指摘。うまくいけばHMD以上の装置になりえると語った。

 しかるに最後の最後,メインディッシュである。前庭電気刺激である。
 前庭とは,内耳にあって,重力と直線加速度を司る感覚器官だ。ここに電流を流すことで,加速度感覚や角速度感覚を与えることができる。
 実のところ,前庭に電気刺激を与えるという実験と,それによって得られる結果については,以前から研究があったという。具体的に言えば,左右方向に加速度を感じさせることができるため,歩いている人に対して刺激を与えれば歩く方向をコントロールできる,という実験だ(これは理論上,歩行者が自然に車を避けるといった行動を誘発させることができる)。

 だが,青山氏らは実験を通じ,従来は左右方向だけだったものを,上下および回転方向にも拡張することに成功した。これにより,VRコンテンツとの相性は極めてよくなったと言える。

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 また前庭電気刺激には,VR酔いを抑制する効果もある。
 VR酔いの主要な原因は,「視覚と前庭感覚のせめぎあい」であると青山氏は語る。このため,コンテンツに対して固定部を描き込んでベクションを減少させることで,VR酔いを抑制できることが分かっている。
 だが,そもそも前庭感覚を与えてしまえば,視覚と前庭感覚がせめぎあうことは減る。これによってVR酔いは抑制できる。
 あるいは逆に,前庭のゲインを下げてしまうという手もある。前もってランダムな刺激を前庭に与えておくと,脳は勝手に「前庭からの情報は信用できなくなっている」と判断する,と思われる。こうやって前庭の信頼度を下げてしまえば,視覚と前庭感覚がせめぎあうことも減るというわけだ。

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もしかしたら目の前の「未来」


 さて,なかなかハイブロウな講演だったが,素直な感想を言えば「電気がすべてを持って行った」講演でもあった。いや,Meta CookieやUnlimited Corridorも凄いインパクトあったのだが……。

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 ちなみにインタラクティブセッションコーナーでは,前庭電気刺激を利用したジェットコースターのVRコンテンツが展示されていたので,筆者も体験してみた。ちょっとした機材トラブルがあったため左右方向だけの入力だったが,それでも明らかな加速感を感じる,実に変わった体験だった――が,それ以上に,刺激が入るたびに軽く視界内がフラッシュしたり,明らかな電気刺激を感じたりと,感想を言えば「すごく電気です……」としか言えない体験でもあった。
 複数回体験した被験者が知人にいるのだが,彼いわく「ときどきなんだか味がすることがある」そうで,実に奥が深い。

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RedbullのコンパニオンさんたちもGVS RIDEを体験していた
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 なお,講演でもこの前庭電気刺激に対しては安全度に関する疑念が湧いた聴講者がいたようで,質疑応答でも真っ先にそこが話題となった。
 青山氏によると「トータルで1日1分まで」というのが,大阪大学での安全レギュレーションだそうだ。ただ最新の研究によると「1日30分までなら問題なさそうだ」という発表もあるそうで,今後のさらなる研究が期待できる。

 また,実用化への道のりだが,簗瀬氏は「一般的に言って,研究室で完成したものが市場に出るまでには8〜10年かかる」としつつも,「注目度が高いものだと早くなる傾向がある」とも補足していた。実際,電気刺激を与える器具は低周波治療器として広く普及しており,そこまで飛び抜けてSF的な機材というわけでもない。青山氏としては「部分的には数年内に可能だが,むしろ倫理面や安全面の問題で時間がかかりそうだ」という見解を示した。
 ちなみに鳴海氏によると,この電気刺激系のガジェットは「Samsungがリリースすると言っている」そうで,もしかすると一般化は想像以上に早いかもしれない。これを踏まえ,鳴海氏は「触覚デバイスは5年以内」と予測している。

 ともあれ,「体験しないと分かりにくい」のはVRコンテンツの宿命だが,前庭電気刺激はぶっちぎりで「体験しないと分からない」コンテンツと言える。どれくらいチャンスがあるか分からないが,もしチャンスがあればぜひ体験してみてほしい。