Don Daglow氏は,なぜ「コア」「ミッドコア」「カジュアル」という分類を否定するのか

 ベルリンで開催されたQuo Vadis会議の壇上で,ベテランゲームデザイナーのDon Daglow氏は「馴染み深いがいつの間にか現状に合わなくなっている」として「コア」「ミッドコア」「カジュアル」という3つの用語の使用中止を呼びかけた。

 Daglow氏は,ゾウ,ウマ,ネズミという3種類の動物が描かれたスライドを用いて論点を図解した。「この中で一番猫に似ている動物は?」と呼びかけられた聴衆は,どことなく面食らった様子で静まり返っていたが,その反応はDaglow氏の予想通りだった。

 「多くのゲームは『コア』ではなく,『ミッドコア』でも『カジュアル』でもありません」と,Daglow氏は言った。「それなのに私たちは,どうにかこのような用語に当てはめようとして,自分たちの作品について語る言葉を持てずにいるのです。だから私は,コア,ミッドコア,カジュアルなんて忘れてしまえ! と声を大にして言いたいです。私たちには,ゲームについて別の言葉が必要です。3種類の動物以外の話をする必要があります」


「私たちは,どうにかこのような用語に当てはめようとして,自分たちの作品について語る言葉を持てずにいる」

 Daglow氏のゲームデザイナーとしてのキャリアは,1970年代前半にまで遡り,ゲーム業界のパイオニア企業数社で重要な役割を果たしてきた。たとえば1980年には,Mattelのゲーム機「インテレビジョン」のゲーム開発ディレクターを務め,EAには創業の翌年に入社した。
 当時のゲーム製品はそれほど多様性に富んでいなかったので,オーディエンスを分類するための用語は,その後のキャリアで感じてきたほど限定的でも言葉足らずでもなかった。

 具体的に言えば,「コア」ゲーマーと「カジュアル」ゲーマーの間に明確な線引きがなされたのはおよそ10年前,Wiiや,iPhoneアプリや,ソーシャルゲームが台頭し,ゲーム開発の世界における基礎的な想定が根本から揺らいだときだ。PlayStation 2やXboxの時代のパブリッシャーは,どんなゲームが売れるかを予測できた。ゲームの出荷本数が増加し,続編やシリーズものが何年にもわたって売れ続けた。当時のゲーム業界で育った人間は,この安定した世界秩序に慣れていたのだ。

 「これから何が起こるか把握できる,平穏と安寧の世界に暮らしていた私たちは,突如として予測のつかない時代に放り込まれました……。ヒットするゲームの属性に,私たちは違和感を覚えたのです」

 新しいプラットフォームによって,根本的な想定が不確かなものになった。それは,Daglow氏によれば「ゲームデザインのルーツそのもの」である,すべてのゲームには難しさがあるべきだという想定が否定されたのだ。そのような原則に従ったゲーム制作に慣れた者が持つ「ゲームをゲームたらしめているのは,乗り越えるべき試練があることだ」という考え方が攻撃にさらされることになった。
 実際,ゲーム業界は「コア」なゲーマーを難度の高いゲームで満足させるというニーズに10年以上にわたって苦しめられていた,とDaglow氏は言う。


 「何年もの間,ランチミーティングで次のような会話が繰り返されていました。
 『問題はこうだ。ゲーマーに対して大きな影響力を持つ雑誌のレビュアーは,極めて熟練したプレイヤーで,難易度の高いゲームを求めている。うちのチームも熟練のプレイヤーで,難易度の高いゲームを作りたいと思っている。小売業界の人たちも難易度の高いゲームを売りたい。そして,コンソールゲームを購入する最初の10万人も難易度の高いゲームを求めている』
 商業的な成功の行方を握る人々や,最初に購入するユーザーの誰もが難度の高いゲームを求めているのであれば,それを提供するのは理に適っています」

 「しかし,そこには問題がありました。確かに最初の10万本は熱心なファンに売れますが,90年代後半になると,10万本では会社が立ち行かなくなっていったのです……。最初の10万人を喜ばせるゲームを作っていては,100万本を売ることはできませんでした」
 しかし,あまりにも手を出しやすいゲームを作れば,(当時の)権威あるゲーム関連メディアからの支持を得られず,熱狂的なファンからそっぽを向かれる運命にあった。「まるで罠にかけられたかのよう」とDaglow氏が形容するそんな時代背景から,パブリッシャーはゲームの難易度を区切ることを試み始めたのだ。


「難易度の問題ばかりにとらわれて,ついにほかのことについては一切話さなくなった」

 また,パブリッシャーがオーディエンスを形容する言葉にも変化が生じた。「ハードコア」は「コア」になった。「ハード」という響きが良いものだとは受け取られなくなったからだ。
 「コアという言葉には,フレンドリーな響きがありますからね……。それに,とても心強い。コアと聞くと,そこが中心なのだという気がします」と,Daglow氏は言う。
 それから10年もしないうちにWiiやFacebook,iPhoneが台頭すると,カジュアルゲームをめぐるその後の議論によって,「コア」という語の持つ意味はさらに変わり,「これが俺のゲームだ。断固として譲らないぞ」という意味合いを帯びていく。

 「現在,私たちがコアだ,カジュアルだ,というときは,難易度の話に限定されています。難易度の問題ばかりにとらわれて,ついにほかのことについては一切話さなくなったのです。そして,プレイしたいゲームの難易度によってユーザーを分類するようになりました」

 Daglow氏によると,対比される属性を形容する言葉がどう変化しようと,この分類は常に単純化を目的としている。ゲーム業界は,90年代から見れば規模も範囲も遥かに拡大しているが,いまだに90年代の(しかも当時でさえ,比較的少数の熟達したプレイヤーのみを指していた)用語を使用した分類が広く行われている。

 「コア」「ミッドコア」「カジュアル」という語に代わる新しい用語を提唱する代わりに,Daglow氏が聴衆に呼びかけたのは,オーディエンス,そして個人的なものになりがちな彼らのユーザー体験についての考え方を新たにすることだった。
 過去に自分が制作にかかわった作品のファンと会ったときについて,Daglow氏は「プレイ後最初の1時間めはどうで,2時間めはこうだった,という話を聞かされることはありません。そういう類のコメントはまったく耳にしないのですが,当時住んでいた場所や年齢,誰と一緒に遊んだのか,そして今でも忘れられない作品となった理由,今でも大好きな理由を聞くことはあります。そして,その理由こそが重要なのです……。私たちは,単なる思考ではなく感情を作り出そうとしているからです」と語った。

 「プレイヤーにそのような余裕を与える必要があります。プレイヤーに遊ぶ理由を与えるのではなく,環境を作り出すのです。遊ぶ理由は,プレイヤーに任せるべき部分です……。それは,私たちにとってただの目的ではなく,アーティストとしての義務です。言葉は時として,その重要な作業の邪魔になることがあるのです」

※GamesIndustry.bizは,Quo Vadisゲーム開発者会議のメディアパートナーであり,オーガナイザーから旅費および宿泊費の提供を受けています。

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