24Frame代表の追憶オーバードライブ:第7回「地獄の黙示録」から始まる追憶
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遅ればせながら,映画「メガロポリス」を見ようと思って映画館に行ったら,すでに世間では「劇場版 鬼滅の刃 無限城編」が公開されており,時機を逸してしまった。
「鬼滅の刃」はすでにいろいろな意味で大変なことになっているが「メガロポリス」は「監督本人が巨額の自腹を切った」「構想40年」などの謳い文句もあって,こちらも中々大変そうな映画ではある。
しかし,そもそもかつての彼の監督作「地獄の黙示録」も撮影が大変だった伝説だらけであるし,「ゴッドファーザー」も完成した映画を見ているだけで撮影が大変そうな感じが滲み出まくっている。まるで大変であることが,これらの作品の監督であるフランシス・フォード・コッポラの作家性であるかのように。
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しかしコッポラのような有名監督の超大作のみならず,どんなものでも映画というのは,やたらと完成させるのが大変なのである。
僕も曲がりなりにも映画監督をやっていたときがあり,その際にはご多聞に漏れず完成が危ぶまれる状況ばかりであった。
大規模な商業映画でも完成が難しいのだから,僕の監督作品のような自主制作だったり小規模な商業映画だったりの場合は特にそれが際立つシーンが多いものである。
僕の通っていた大学の学部は「映像学科」というところで,そもそも「映画を作りたい」と思う人間を全国から集めてきたような場所だった。
そこで卒業制作として何人かのチームに分かれて映画を1本作る。その映画自体が評価されればそのまま監督デビューも夢ではない,という希望と共に僕もそのコースを志願したのだが,僕の場合はすでにその時点で完成が危ぶまれる状態だった。
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端的に言うと,僕とチームを組んでくれる人が誰もいなかったのだ。
みんながチームメイトと打ち合わせをしているときに,僕は教室の片隅で,一人で座っているだけである。周囲からは「うちのチームで監督じゃなくて手伝いをしなよ」だったり,教授からも「一人でこのコースにいた人間など今までに誰もいないのだからやめておけ」などと現実的な話をされる。
そもそも僕はこの大学に入るのに浪人している。1年目は芸術系のみの受験を許してくれた両親からも「浪人したのだからもう普通の大学へ行け」と,当たり前の話があり,それに従いながらも2年目の受験シーズンが本格化する前の推薦時期に,なんとか滑り込んだ大学だった。
そこで監督をやるために来たのだから,そんな話は受け入れられない。
周囲の忠告を聞き流し,白い目で見られながらも僕は1人で行動を開始する。
結果として1人だからチームでの相談なしで決められるというのを逆手にとって,僕はさまざまな無茶を企画に組み込み始める。
学内にできたばかりのセットスタジオに実際の小屋を建ててみる。それまでほぼ学内では誰もやっていなかった水中撮影を導入する。役者は(普通は友人などに頼むのだが)プロの人に頼んでみる。カメラマンは先輩に頼み,スタッフは後輩を巻き込む。
こうなったら音楽は憧れの有名バンドに頼んでみよう,などなど……。
「そりゃ,誰もそんなやつとチームなど組みたくないであろう」ということを自ら証明するかのような暴走と共に,僕は何とか映画を完成させた。
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そして映画が完成した場合にはそれがゴールではなく始まりに過ぎないことを理解すると同時に,そもそも気が付けば人生自体がリスキーになっているという始末だ。
その後ゲーム業界に入った際には,外からは「映画より安定したシステム」だと勝手に思い込んでいた自分の認識がいかに間違っていたかを思い知らされ,映画だけではなくあらゆる制作物とはそもそも「完成自体が難しい」,ある種冒険のようなものであるのだとようやく理解できてきた。
「リスク」ではなく「冒険」だと思えば,そこには楽しいことしか存在しない。いろいろなことを20年やってきた今は,そう思っている。
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2025年10月2日に発売される「デジモンストーリー タイムストレンジャー」もそんな風に着地を迎えつつある僕の最新の冒険であった。
そして作品の完成は,ゴールではなく別の何かの始まりなのだというあのときの認識がまた頭をよぎりつつも,今はただこの作品を皆さんに楽しんでいただきたいと切に願っている。