24Frame代表の追憶オーバードライブ:第6回「DEATH STRANDING 2: ON THE BEACH」から始まる追憶
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この原稿が世に出るころには,「DEATH STRANDING 2: ON THE BEACH」(以下,デススト2)も発売されているだろう。
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原稿執筆時はリリース前ということで未プレイだが,前作はそこそこにやりこんだ。
ただ「歩く」ということがゲームになるという発見,そこにハイコンテクストなSF・ガジェットがちりばめられつつ,ドラマはあくまでエモーショナルに,というのは皆さんご存じの通りだ。だが,個人的に驚いたのはそれが「まるでファミコンのようなゲームだ」ということである。
ハイグレードで複雑なシステムを土台としつつも,基本的には「AからBに移動する」ということが目的となるこのゲームは,そのユーザー体験の主眼を「移動中」に置いている。
ある種単純化されたその構造美によるサイクルが病みつきになる,という意味で僕はこれをファミコン的だと感じるのだが,それでだけではない。
「移動」中に石に躓いたりだとか,ショートカットを横切ろうとして川に落ちたりする,そこでユーザー各々の体験,物語が生まれ,友達に話したくなるような構成。
それは「おまえ,あのゲームもうクリアした?」「あそこのボス,強かったよなあ」「いや,俺は全然楽勝だったけど?」(子ども特有の見栄や嘘も含む)などの会話をするために,学校に行くのが楽しみになるような。
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自分の建築物が他プレイヤーと共有されるというシステムは「この梯子,誰かが同じこと考えたんだな」などの非言語的な会話と思い出の共有を生み出す。
気が付けば自分と他者の世界が交錯し,歩き続けて数時間。昔ほどゲームをする時間はなくなったけれど,その時間を濃密なものにしてくれる。そんな大人のファミコン味,そんな思い出のゲームだった。
そして,「移動」をするゲームにおいては「戦闘って?」という疑問が不可避であるのだが,それも「移動した分を巻き戻される」というペナルティの伴う戦闘となっているのも「デススト」の特徴だった。
既出の情報を見る限り「2」では前作において非常に強く意識されていた「不殺」の概念が多少広くとらえられている気もしなくはないが,この「移動」に対する「巻き戻し」はまた極めてシンプルでファミコン的であり,同時に映画シナリオの文脈における「敵対者」という概念からの導き出しも強く感じる。監督の名前は伊達ではない。
思えばそんな小島秀夫監督作品との最初の出会いは,ファミコンではなく僕の場合は初代PlayStationの「メタルギアソリッド」だった。
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雑誌の付録だった「メタルギアソリッド」をやたらと繰り返し遊んでいる姿,特に後に有名になる「段ボール箱」に隠れるスネークの姿を横目で見ながら「変わったゲームだな」ぐらいに思っていたのだが,その友人が発売日に学校を休んだらしいという噂を聞いたあたりから雰囲気は変わってくる。
その後,当然のようにおすすめされて僕もやってみるのだが,結果としてはその友人以上にこのゲームをやりこんでいくことになった。
ノーミスクリアはもちろん,ノーセーブでのタイムトライアル,さらにその際には毎回自分のプレイを録画し,攻略本などからも少しでも詰められるものがないかと思案を深めていった。ネットもほぼない時代だ。その友人以外特に自慢する相手もいないのにそんなことをしていた。
それは今にして思えば,映画の編集やシナリオを描く作業にも似ている。
小島監督の作品といえば映画との関係性を語られがちだが,思えばこの中毒性もそのバックボーンがシンプルで力強いファミコン的なゲームサイクルを持っていることに起因しているように思う。
シリーズが出るたびに,そんなプレイを繰り返していたが,MGS5では「全ミッションAランク」程度で終わってしまい,プレイヤーとしての自分ももう若くないな……なんていうことをぼんやり考えたりもした。
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余談だが,やがてその作品を進めてくれた友人の一人は現在僕が代表を務める会社,株式会社24Frameの一人目の社員となったりする。
彼は「メタルマックス2」というスーパーファミコンのゲームをやっている数少ない(と書くと語弊があるが,あくまで同学年において,という意味で)人間でもあった。
「メタル」というキーワードでつなげてしまうのも多少強引な感じは否めないが,ここにもストランド,つながりの意味を感じてしまう僕である。
思えば,ここでの人間関係はここにつながり,さらにはMGS1で僕が粛々と行っていたタイムアタックも,その後の人生で僕が実際にやることになる映画の編集やシナリオ執筆に似ていなくもない,というつながりを感じる。
個人史,映画,ファミコンと現行機,さまざまなつながりを見せてくれた「デススト」の続編がどのようなものになっているか。間もなく我々もそれを目撃することができる。
そんな今年にはそれらの集積の先にあったともいえる,僕がディレクターを務めた作品も発売されたりもする。
強引かもしれないが「つながり」は僕の半径5mの世界でさえも枚挙に暇がない。世界は僕が思うより,ずっと面白くつながっているものなのかもしれない。そんなことを考えた。