24Frame代表の追憶オーバードライブ:第5回「真・女神転生II」から始まる追憶


 Nintendo Switch 2の抽選が始まり,順当に外れ続けている。一応ゲーム業界の末席に身を置いている人間としては,日本語版ではなく多言語版にしておけば少しは当選確率が上がったのではないか──などと,捕らぬ狸の皮算用を繰り返す今日この頃。皆様いかがお過ごしでしょうか。

24Frame代表の追憶オーバードライブ:第5回「真・女神転生II」から始まる追憶

 Switch2が出るというだけで,この連載が数回進行してしまいそうなほどの興奮を覚えているが,現行のNintendo Switchも未だその魅力を一切失っていない。

 その底知れなさの一端は,「Nintendo Switch Online」のクラシックタイトル群──Nintendo Classics──を見れば明らかである。

 まずもって一見して魅惑のラインナップ。しかも「ああ,あれも入ってきてほしいな」と,記憶をオーバードライブさせる刺激に満ちている。
 とはいえ実際は,収録されているタイトルだけでもう一生かけても遊びきれないのでは,と思えるボリューム感だ。

 正しい向き合い方としては,少し遊んで郷愁を味わう──というのがスマートなのだろう。
 しかし,最近の僕はあるタイトルに対して,郷愁どころではない向き合い方をしていた。

24Frame代表の追憶オーバードライブ:第5回「真・女神転生II」から始まる追憶

 そのタイトルとは「真・女神転生II」である。実のところ,この作品とここまで真正面から対峙したのは今回が初めてだ。

ラストバイブルは見下ろし移動で悪魔会話ができる,ある意味で夢のゲームである
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 子どもの頃には難しすぎて歯が立たず,大人になってからも攻略本のインタビューで開発チーム自身がバランスの偏りを謝罪するような作品だったことなどもあり,少し手が伸びづらかった節もある。

 難度に関していえば,子どもだろうが大人だろうが関係ないレベルで高い。とにかく厳しい。

 また,今回はスーパーファミコンでの疑似3D表現に驚きつつも,近年にはない操作感に奇妙な圧迫感を覚えたりもした。数日も経つと「この没入感がたまらない」と意見は180度変わっていたが。

 余談だが現代とは便利なもので,My Nintendo Storeを使えば当時は遊べていなかった「女神転生外伝 新約ラストバイブルIII」もプレイ可能である。ゲームボーイで発売された2までは知っていたもののフィーチャーフォンで発売された作品にも触れられるのは望外の喜びだ。こちらは視点が見下ろしになっていたこともあって手が伸ばしやすい。難度もそこまで高くなく安心して遊べる。


 話を「真・女神転生2」に戻そう。
 この作品はラストバイブルとは打って変わってバフ/デバフ系──タルカジャやラクカジャを駆使した“バフ無双”戦術が前提でないと,正攻法では太刀打ちできる気がしないバランスだ。

 とはいえ,そんな厳しい道のりを超えてこそ体験できる「真・女神転生II」の醍醐味がある。それが「ロウ」「カオス」「ニュートラル」のいずれかの陣営を選び,自らの信念で世界の行方を決めるという,壮大な構造だ。
 そして今回プレイして思ったのは,ゲームを通して「自分のこれまでの選択とは何だったのか?」という,個人的な振り返りにも至るということだ。

24Frame代表の追憶オーバードライブ:第5回「真・女神転生II」から始まる追憶
 選択といえば,人生の大きな節目である「進学」もまた,ひとつのルート選択だといえるだろう。
 僕はその選択に見事に失敗し,高校よりも映画館への出席率のほうが高いんじゃないかと思えるような,絵に描いたようなソッチ系の高校生になってしまった。

 とはいえ,ゲームと同じで,どんなルートにもイベントは発生する。
 映画館に通う日々の中で,次第に映画情報を集めるようになり,ある日「河瀬直美監督が舞台挨拶に来る」という情報を耳にした。作品は「萌の朱雀」。カンヌ国際映画祭のカメラ・ドール(新人賞)受賞作である。

 当時はそのこと自体がセンセーショナル話題でもあったので,せっかくだし見てみよう──と軽い気持ちで出かけたその日,ステージに立つ監督の姿は,きちんとした,落ち着いた大人そのものだった。

 特に破天荒なことを言うでもなく,作品について丁寧に語るその姿を見て,ふと「高校に通うこと以外にも“ルート”があるんだ」と思った。
 後に萌の朱雀の舞台である吉野で行われた小さな映画祭。その準備中,もはや本人も覚えておられないとは思うが,少しだけ河瀬監督と言葉を交わさせていただく機会があった。だが,その頃には僕も曲がりなりにもスタッフから監督と呼ばれるようになっていたこともあり,思えばあの頃から僕はカオスルートを歩いていたのだろうと,今になって思う。

自分が現実に今歩いているのは,果たして何ルートなのであろうか。
24Frame代表の追憶オーバードライブ:第5回「真・女神転生II」から始まる追憶
 「真・女神転生II」のプレイ中の僕は,最終的にロウ寄りのニュートラルという,やや天使寄りのスタンスに落ち着いた。考えてみれば,監督という職業も選択の連続である。
 日々,大きなルート選択,小さなコマンド選択を繰り返して世界を形作っていく──まるでメガテンの主人公のように。

 自分の選択で世界の結末が変わるこの作品は,単なるゲームというよりは「世界シミュレータ」のようだ。人生のルートというのは,ときにコマンドもなく勝手に進行し,ときに選んだつもりが分岐の演出だったりもする。

 それでもあとから思えば,あの時,あの映画館で立っていたあの人の姿や,真っ暗な部屋で起動したゲームの画面が,自分の心の中の「フラグ」を確かに立てていたのだ。

 気づかないまま通過した選択も,間違ったと思った選択も,誰かに褒められなかったエンディングも──,全部ひっくるめて,今の自分という“キャラクター”のビルドになっている。
 もし今,あの日の僕に声をかけられるなら,きっとこう言うだろう。

「ロウでもカオスでもないけど,それなりに面白いルートにいるよ」

 そう言える限り,もう少しこの世界の続きを遊んでみようと思う。