「日本と西洋のゲームデザインの違いを探る ゲームアートディレクションとビジュアルアイデンティティ」ウェビナーレポート

 年々急速にグローバル化が進むゲーム業界では,大企業が作るAAAタイトルに関わる開発者はもちろん,インディーゲームのクリエイターにとっても,文化的背景がゲームのビジュアルデザインにどう影響するかを理解することは不可欠なスキルになっている。

テレビ東京,レゴ,ディズニー,ナショナルジオグラフィックといった著名な企業との開発経験を持つマシュー・オリバー・モス氏

 そこで本稿では,2025年4月24日にクリーク・アンド・リバー社が公開したウェビナー「日本と西洋のゲームデザインの違いを探る ゲームアートディレクションとビジュアルアイデンティティ」をレポートしよう。

ゲームデザインの違いを探ると題されているが,このウェビナーは地域間における文化的差異がゲーム内の視覚的要素にどのような影響を与えているのかを検討する機会を我々に提供してくれる内容となっている。

 講演者は,18年以上にわたり日本とアメリカの2か国でゲームを開発してきたアートディレクター,マシュー・オリバー・モス(Matthew Oliver Moss)氏だ。「ペルソナ5」や「ディスコ エリジウム」といった人気作を例に,UI設計,キャラクターデザイン,ゲーム内の環境,さらにはブランディングに至るまで,これらの違いはどのように現れ,そしてどのようにプレイヤー体験を形作っているのかを惜しみなく語っていた。



ビジュアルアイデンティティとスタイル



 最初に,「ビジュアルアイデンティティ」という概念について知っておこう。モス氏によるとビジュアルアイデンティティとはブランドや組織を視覚的に表現するものだという。それは,認識しやすく統一されたブランドイメージを作るために戦略的に選ばれ,活用される一貫した視覚要素の集まりであるとのこと。要するに,我々がそれを見ることで特定のブランドを連想できるものであり,同時にそれはブランドの個性,価値観,メッセージを視覚的に表現したものでもある。

 モス氏は,このビジュアルデザインをゲーム制作の文脈で良く使われる「スタイル」という概念と比較する。スタイルは実際には美学における特定の選択肢,アートの手法,文章の手法,または何かが作られたり提示されたりする芸術的な特徴だという。これは視覚要素を適用する際の選択をも包含する。総じてスタイルとは実行の結果として生じる見た目と手触りに関するものであり,それは色,形,質感,タイポグラフィー,またはその他の視覚要素として効果的な方法で使われる。

 そしてビジュアルアイデンティティとスタイルには違いがあるという。特定のブランドやゲーム,長く続いているシリーズもののゲームは,プラットフォームやシステムを越え,キャラクターデザインを含む見た目に変更があっても「これは〇〇だ!」という感覚を持てる。この感覚はまさにビジュアルアイデンティティによるものだ。一方でスタイルはその時の特定の選択であり,場合によってはシステムによって決定されることがあるという。

 例えば,モバイルデバイス向けのゲームとコンソール向けのゲームでは制作時の制約が異なる。この場合,スタイルはビジュアルアイデンティティの重要な部分を伝えるために,技術的に考慮されなければならない要素を内包している。

 ファッションに置き換えると,例えばティファニーブルーのような象徴的な色はティファニーというブランドを表現するビジュアルアイデンティティで,その色を使った洋服やアクセサリーのパッケージはスタイルということだと,筆者は解釈している。


日本と西洋のアートの比較


 ビジュアルアイデンティティとスタイルの違いを捉えたうえで,日本と西洋のゲームにおけるアート表現を比較しよう。モス氏は例として,日本から「ペルソナ5」(2016),そして西洋からは「ディスコ エリジウム」(2019)を取り上げている。


 ペルソナ5の全体的な印象は非常にグラフィカルだということ。色は大胆でコントラストが強く,ストーリーテリングとキャラクターに焦点を当てるために使われている。グラフィックスは非常に理想化されていて,パンク的な美学もみられる。また,キャラクターが大きな目,魅力的な外見,様式化されたファッションと非常に美化されていることも特徴だ。

 一方のディスコ エリジウムは非常に絵画的である。キャラクターや背景,テクスチャーは,ペルソナ5が表現主義的であるのに対してディスコ エリジウムは現実に近い形で表現されており,より自然な方向を目指していることがうかがえる。

 ペルソナ5では原色が好んで使われており,特に明るい黄色と強い赤が印象的だ。対してディスコ エリジウムには原色がなく控えめな青が雰囲気づくりに一役買っている。オリーブグリーンのコート,シャツの汚れた白も現実的だ。ちなみにこれはあとでも出てくるが,ペルソナ5と比較してディスコ エリジウムはユーザーインタフェース(UI)もフラットでメニューベースであり,キャラクターも荒くて不完全に見えるというのが特徴である。

 日本の「理想化」と西洋の「不完全さ」。これらはビジュアルアイデンティティの違いもさることながら,その作品がプレイヤーとどのようにつながるか,そしてその作品がどこで作られ,グローバルなマーケットにどのようにアピールするかを考えるうえで非常に興味深い差異だとモス氏は話す。


 実際にいくつかのゲーム画面を見ながら,ペルソナ5とディスコ エリジウムの違いをもう少し詳しく見ていこう。

 まず,左上はペルソナ5のUIだ。部分的に白黒だが画面全体はグラフィカルな地図となっており,非常に印象的になっている。大きな目で理想化された背景のキャラクターも,強い印象をプレイヤーに与えている。その下はアドベンチャーパートのゲーム画面で,全体は青く輝いている。背景にいるすべての子供たちが理想的なバランスの体を持っており,キャラクターは非常にハンサムまたはスマートに見える。
 会話ウインドウに表示されているキャラクターは,インタラクションとナラティブにおいても非常に強力なUIコンポーネントを持っている。

 右上のディスコ エリジウムのUIははるかに控えめで柔らかい。その焦点はキャラクターに寄っている。ペルソナ5の例とは異なる雰囲気における異なる種類の強調があり,別の手法でキャラクターに焦点を当てている。また,右下の画像は左下のペルソナ5の環境と比較して,絵画のような家具と建築要素で満たされていることが分かるだろう。


日本と西洋のゲームデザインの核心的な違い



 この先もビジュアルデザインの比較が続くが,その前にモス氏は日本と西洋のゲームデザインを比較してその違いを端的にまとめてくれた。

 日本では,ゲームプレイのメカニクスとシステムに重点が置かれており,これがゲームの核心的な魅力となっていることが多い。複雑なルールの理解やスキルの習得が重要な要素であり,練習と理解を通じて挑戦し,障害を克服する感覚に頻繁に焦点を当てている。

 一方で西洋では,プレイヤーの代替としてのキャラクター,世界への没入,そして物語的な自由度に強い重点が置かれている。そこではプレイヤーは世界を走り回り,やりたいことをする。ゲームとどう関わるのかは,ある程度プレイヤーに委ねられているのだ。

 また,西洋のゲームの物語はプレイヤーを引き込むためにゆっくりと起こり,プレイヤーの選択を中心に作られ,関連性のある複雑なキャラクターに焦点を当てることが一般的だという。
 オープンワールドなデザインとサンドボックスでの体験をプレイヤーに提供するのが特徴で「グランド・セフト・オート」や「レッド・デッド・リデンプション」のような作品はまさにその好例と言える。

 対して日本のゲームは,決められた物語とキャラクターの役割により強い重点が置かれているので,キャラクターは運命に導かれるように定められた道筋を進むことが多い。序破急の概念と急速なペースの物語構築構造があり,これは日本のゲームデザインシステムで非常に顕著とのこと。

 そして,こういったゲームデザインとコンセプトの差の影響が,ビジュアルデザインとゲームのスタイリングに色濃く出てくるというわけだ。では実際にどういった影響が出てくるのかを,項目別にみていこう。


ユーザーインタフェースの比較



 日本では,情報が密集し視覚的に複雑で装飾的なUIが採用されることが多い。詳細なステータス表示,複数のメニュー,スタイル化されたアイコンなど,画面上に多数の要素があり,ミニマリズムよりも美的な魅力とテーマの一貫性が優先されている。

 UIはゲームのアートに深く組み込まれいて,アニメーションや視覚的な華やかさ,画面上のフィードバックも顕著だ。また,階層的なメニューシステムを持つ傾向があり,異なるオプションにアクセスするためにより多くのナビゲーションが必要となる。これはまさに,ゲームがスキルベースであるという考えに沿っており,西洋のゲームとは対照的だ。

 これを良く表す例として,複数のステータスバー,キャラクターポートレート,詳細なスキルメニューを持つ複雑なJRPGのUIがある。また,格闘ゲームではプレイヤーに何が起きているかを理解させるためのフィードバックを与える目的で,華やかな「スーパーメーターディスプレイ」とコンボパターンが頻繁に実装されている。

 対して西洋のUIは,直感的でミニマルなユーザーインタフェースを目指している。UIの目的は必要な情報を明確かつ効率的に提示することにあるという考え方だ。多くの場合,西洋のゲームでは,UIは体験の中にほとんど消えることを意図しているそうだ。
 これは画面上の煩雑になる要素を減らすためだという。西洋のUIは使いやすさとアクセシビリティを優先しており,各UIの要素は簡単に理解でき,かつナビゲートできるように設計されている。

 こういったUIの違いは,アプリ設計とゲーム設計の両方における東西間の根本的な違いの大部分を占める。これは日本のプレイヤーと例えばアメリカや欧州の一部のプレイヤーとで求めている体験が異なることを示しているとのこと。

 なおモス氏によれば,没入感を維持するうえでのアプローチも日本と西洋で異なるという。多くの西洋のゲームでは,没入感を高めるために画面上のUIを少なくする。しかし興味深いことに,日本のゲームを見ると,画面上に多数のUI要素を持つことでより没入感を与えるという考えもあることがわかるそうだ。

ユーザーインタフェースの例



 より具体的なUIの違いを比べるための例も提示された。まずは「メタファー:リファンタジオ」だ。メタファーのスクリーンショットでは,キャラクターの周りにあるユーザーインタフェースが,文字通りプレイヤーキャラクターと重なり合っているのが見える。文字は非常に強調されており,インパクトが強い。これはプレイヤーに,コントローラで何をしているか,キャラクターをコントロールするために何をしているか,という点について多くの情報をプレイヤーに与える効果があるという。

 比較して,西洋の「Prototype」のようなゲームを見てみると,最小限のステータスバーと地図があるのみ。ゲーム内のアクション以外には,何が起きているかを伝えるものはほとんどない。

 次にモバイルの例として日本の「モンスターストライク」を見てみよう。画面上には多数の要素があり,キャラクターの上に重ねられたオーバーレイ,ゲーム内で何が起きているかを助ける数値が表示されている。グラフィカルかつインパクトがあり,今画面上で何が起きているかについて明示的な情報が提示されていることが分かるだろう。

 反対に,西洋の「Subway Surfers」は走っているキャラクターとコインに目の焦点が誘導される。UIは限定的で6つ程度の要素しかない。

 「Fate/Grand Order」の例も,こういった違いを浮き彫りにする。異なる表示メーター,異なるキャラクター,キャラクターの名前,複数のバーなど,非常に多くの情報が一度にプレイヤーに提示されている。

 比較的最近のゲームである西洋の「Mortal Kombat 1」は,基本的にキャラクターの管理のための2つの表示とプレイヤーへアクションをフィードバックするための「インタラクションカウンターメーター」があるのみ。西洋ではアクションに重点を置き,キャラクターを見ることとゲームのその時点で起こる意思決定にコントロールの軸を置いていることがわかるとのこと。


キャラクターデザインの比較



 次にモス氏は日本と西洋のキャラクターデザインの違いに言及した。

 日本では,アニメとマンガの影響を強く受け様式化された表現力豊かなキャラクターデザインが特徴だ。ここには誇張された特徴,大きな目,ユニークな髪型,鮮やかな色彩パレット,そしてキャラクターを定義するのに役立つ非常に独特のシルエットを含むことがある。これは,視覚的ストーリーテリングをキャラクターデザインを通じて強調する要素であり,様式化された外観と衣装を通じてパーソナリティと役割を伝える目的があるという。

 さらに日本のゲームでは,単一のゲーム内でさまざまな体型,視覚的美学の異なるキャラクターが登場することが多い。強いキャラクターは,女性的またはより敏捷に表現されるキャラクターよりも2倍の大きさや幅を持つこともある。これは日本のゲームにおける表現豊かなキャラクターデザインを確立するのに役立っているとのこと。

 この好例となるJRPGの主人公は,しばしば独特で幻想的な外見をしている。また,日本の格闘ゲームキャラクターは象徴的で簡単に認識できるシルエットを持っているのも興味深い。特に彼らのジェスチャーはそのキャラクターがどんな人物なのかという情報を伝えるのに大いに役立っているという。

 では西洋はどうか。こちらでは,ファンタジー設定であってもリアルまたは地に足のついたキャラクターデザインであることがほとんどだ。体型の比率と特徴は解剖学的に人間らしい傾向があり,より現実的に描かれている。そこから,西洋では視覚的ストーリーテリングにおける繊細さが優先されると共に,キャラクターデザインはより繊細な方法でパーソナリティを反映することを目指していることが分かる。キャラクターデザインにおける多様性と表現に,実世界の人口統計を反映するなど,リアリティが追及されている。

 モス氏は,これを非常に重要なポイントだと話す。欧州,アフリカ,南米,アジアから来た人々が混在する非常に混合的な人口を持つ国であるアメリカでは,人口統計学と多様性を反映する考えがキャラクターデザインにおいてますます重要になってきているのだという。


キャラクターデザインの例



 日本のゲームの設定画と西洋のゲームのスクリーンショットを比較して,実際にその違いを確認してみよう。

 モス氏が最初に取り上げたのは「GUILTY GEAR -STRIVE-」だ。氏はキャラクターのシルエットについて話すときに,あえてスクリーンショットではなくこの例を取り上げるという。その理由は,このデザインを構成するすべてのコンポーネントのシルエットが,ネガティブスペースを作り出し,キャラクター性を作り出していることを確認できるからだという。それは表現豊かかつ明示的であり,キャラクターデザインを構成する各要素から,そのキャラクターがどんな人物なのかというのを知覚させてくれる。

 さらに「レイトン教授」の例も見てみよう。ここでは,キャラクターが同じスタイル内に存在しているが,背の高さの違い,衣装の違い,髪の色の違いが見られる。全体的に優しい形,表情豊かな顔だが,ファッション,髪型,キャラクターのシルエットの中にはそれぞれ大きく異なる要素が含まれているのが興味深い。

 また,「ストリートファイター」シリーズの設定画からは,プレイヤーがキャラクターを識別できるよう,人物の特性を表現するためにそれぞれ異なる方法で構築されていることが分かる。

 これらのキャラクターの一部も,レイトン教授の例と同様に体型の比率が大きく異なっている。しかも,それはゲームの一要素として組み込まれている(打撃の届く間合いが異なる)。

 このシリーズではキャラクターのジェスチャーも重要だ。例えばバルログは前かがみになり,ノコギリ状の髪を携えて非常に動物的なポーズをとっている。人間離れしたデザインではあるが,解剖学的には非常に人間らしいのがユニークであるという。

 次に西洋の例として取り上げられたのは「The Last of Us」シリーズだ。ここでは解剖学的に非常に生き生きとしたキャラクターの好例が見られる。
 まず,キャラクターに色の変化があまりないことが分かるだろう。この例で示されているのは,このゲームにおける主人公2人(1人は男性で1人は女性)で,年齢もまったく異なる。彼らのキャラクターはより表現の幅広さではなく,服の汚れや髪型といった細かい部分を通じて暗示されている。日本のそれと比べて,彼らははるかに映画的で,現実に近い。

 「The Sims 4」は,プレイヤーが本当に異なる種類のキャラクターを作成することに焦点を当てたゲームだ。この作品のキャラクターの多様性はとにかく幅広いが,それらはすべて解剖学的に正しい人間のスタイルに適合している。ファッションに多くのバリエーションはあるものの,キャラクターデザイン自体のバリエーションはわずかだ。

 「Minecraft」の例も見てみよう。このゲームのキャラクターはデフォルメされているが,例のように2人のキャラクターが並んで座っていても多様性からは外れない。多様性は,そのフレームのコンテクストの内にある。

 「Dragon Age」でも似たような例がある。例として取り上げるのはゲーム内の悪役的なキャラクターだが,彼ですら非常に人間的な顔の特徴を持っている。
 肌の色は違うかもしれないが,顔の特徴から人間であると識別可能で親しみすらある。これは,日本のプレイヤーか西洋のプレイヤーかを問わず,異なる人々にアピールするビジュアルアイデンティティとスタイルの選択における非常に大きな違いの一部が見られる好例だという。

 こういった違いや特徴にはもちろん重複する部分もある。当然,日本人には西洋のゲームが好きなプレイヤーがおり,同時に西洋人でも日本のゲームが好きなプレイヤーがいる。それは素晴らしいことで,我々はこういった異なるタイプのデザインを経験し,影響を受けることができる時代に恵まれているとモス氏は話す。


環境とバイオームの比較



 さらにモス氏は,環境とバイオームについても同様に比較していく。日本では,高度に様式化された想像上の幻想的な環境が構築される場合が多く,厳密なリアリズムに重点が置かれることは少ない。建築様式も自然の風景も夢のようなデザインで表現されており,鮮やかで彩度の高い色彩パレットが用いられる。レベルデザイン(マップの構築)において,芸術的な構成と視覚的な壮観さが優先されている。

 そして,もうなんとなく想像がつくと思うが,西洋ではより現実的または信憑性のある環境の構築が目標とされる。架空の設定であっても,実世界の建築,実世界の植物と動物など,物理的で地球らしく感じる環境となるよう,細部まで注意が払われている。また,リアリズムを強化し,特定の雰囲気を作り出すために,より控えめで自然な色彩パレットを用いる。西洋のゲームは,ナラティブな要素を伝えるために,環境的なストーリーテリングと環境そのもののユニークさを優先する傾向があるという。


環境とバイオームの例



 ここでも,実際の例を見ていきたい。「FINAL FANTASY XVI」は典型的なJRPGで,サンプルのスクリーンショットからこの世界が超自然的で幻想的なものであることが分かる。
 キャラクターの視界のすぐ先に隠れている非常にグラフィカルな要素。そして青を中心とした配色に,キャラクターのシルエット。それは実在の場所とは思えないものだ。もちろん,この表現は美しい。ただ,それは地球上のどこかに実在しているようには感じられない。

 「ELDEN RING」はやや現実の地球に近い要素もあるが,それでもやはり幻想的で,スクリーンショットに映っている中世風の城は,実際よりもハイパーリアライズされている。城を取り巻く雰囲気もまた幻想的で,この雰囲気はプレイヤーに超自然的な感覚を与えている。非常にドラマチックな雲も印象的だ。

 「モンスターハンターワイルズ」の例も見てみよう。モス氏は「このゲームの環境は本当に美しく,今回のサンプルが本当に好き」だと語る。この作品のフィールドは,ほかの例と比べれば地球的といえる。しかし,これでもやはり実在する場所ではない。木々,岩の形成,草すらもハイパーリアライズされている。こういった表現は,そのゲームのために望ましい感覚を伝えるのに役立っているのだという。

 「レッド・デッド・リデンプション」では西部劇を基にした好例が見られる。これは背景からアメリカのコロラド川沿いのどこかのように見える。植物,岩の形成,そして空。それらは間違いなくアメリカ西部の生活がどのように見えるか,という点に焦点を当てて作られたものだ。

 「シティーズ:スカイライン」という都市建設ゲームでは,実在する場所をモデルにした地理的特徴が多数見られる。山々,水,森,どれも地に足がついた感じで,地球上のどこかにあるものがとても自然に再現されているように見える。

 そして最後に,「Anomaly Agent」というアメリカの2Dゲームの例も言及された。この作品は,2Dの漫画的な性質のために,ほかのいくつかの例よりも少し表現力豊かにキャラクターがデザインされている。しかし,背景はそうではない。ドーナツの看板やストリートライトからの照明があたっていても,色彩はかなり抑えられている。色の強調はプレイヤーが焦点を当てるべきものを強調するために使われている,つまりキャラクターに対してだ。背景自体は,漫画のようであっても,非常に堅実で現実的な表現がなされていることがわかるだろう。


ブランディングの比較



 モス氏は最後に,ブランディングにおける日本と西洋の違いについても言及している。ここでいうブランディングは日本におけるマーケティングと呼ばれるものに近く,要するにゲームがビジュアル的にどのように宣伝されるかということだ。

 日本でのブランディングはゲームのために表現を豊かにする傾向がある。グラフィカルかつ象徴的で,しばしば大胆なタイポグラフィ,象徴的な画像,キャラクターアートワークを特徴とする。ここではキャラクターがブランディングの最前線に押し出され,ゲームに関する特定の情報を伝えるよりも視覚的なインパクトと記憶に残るかどうかが優先されている。

 モス氏によると,日本におけるブランディングはゲーム自体の拡張のようだという。例として,抽象的または目立つキャラクターと文字の選択を特徴とする日本のゲームのロゴ,アートワークとゲーム内の視覚要素でキャラクターを大々的に宣伝するマーケティング資料が多いことを挙げていた。

 一方,西洋のブランディングは明瞭さを目指し,ゲームのジャンルとトーンをより直接的に伝えることに注力する。ロゴはより単純でテキスト中心,ターゲットとなるプレイヤーのためにマーケティング資料を通じて主要なセールスポイントを伝えることを優先するという。この点においては,西洋は洗練されたプロフェッショナルな美学に向かっている。つまり,ブランディングはゲーム内のものとは別のものなのだ。西洋の大規模なゲームのブランディングとキーアートでは,その例を良く見ることができる。ゲームのタイトル,時にはそのジャンルを明確に示す西洋のゲームのロゴはまさにそういった思想を反映している。


ブランディングの例



 ここでも簡単に,いくつかのタイプの比較をモス氏が紹介した。日本のゲームのロゴにはさまざまなフォント,細かな違いがある。一方,西洋のゲームのロゴはフラットで直接的だ。ジャンルを表示し,そのゲームが何であるかを明示している。

 これらはアートディレクター,クリエイティブディレクター,デザイナーとしてゲームをまとめる開発者にとっては非常に重要な要素だ。アメリカまたは西洋のプレイヤー向けのゲームを作っている場合,ブランディングの明瞭さをどう活用するかを考えることが望ましい。日本のゲームでよく見られるように,ゲームのグラフィックス関連を強調するブランディングは,あまり西洋向けではないようだ。


日本と西洋,それぞれの違いへの理解


 今回のウェビナーでモス氏が紹介してくれた日本と西洋の文化的差異と,その差異がゲームの視覚的要素にどのように影響を与えているかという点は,なんとなく肌で感じて共感できるプレイヤーや開発者もいるだろう。ただ,実際にそれを言語化して整理する機会は貴重で,さらにそれをゲームデザインに反映するチャンスは多くない。

 もし今回の講演内容で興味を持った場合は,モス氏が運営する,Tokyo Game Bridgeという東京を拠点としたバイリンガルコミュニティにアクセスしてみてほしい。Discordサーバーも用意されており,今回のような話題,アイデアについて議論を交わすことができるそうだ。

「Tokyo Game Bridge」公式サイト


モス氏次回のウェビナー「和ゲーと洋ゲーのUI/UXを徹底比較 〜プロジェクトを成功させるための主な違いとベストプラクティス〜」