24Frame代表の追憶オーバードライブ:第4回「Call of Duty: Black Ops 6」から始まる追憶


 少し前の話になるが2024年のNMEのベストゲームに「Call of Duty: Black Ops 6」,(以下,CoD BP6)が選出されていて,個人的にいろんな意味でびっくりした。

 ちなみにこの同じランキングの2位は「黒神話:悟空」と来ているので「3位はサイレントヒル2のリメイクか?」と思いきや,そう単純なランキングにはなっておらず,そこも含めてすげえなあ,という感嘆符である。

24Frame代表の追憶オーバードライブ:第4回「Call of Duty: Black Ops 6」から始まる追憶

 ちなみにこの3作品はゲームデザイン的にすごく似ているところがある,というのが僕の勝手な感想なのだが,その辺の話は込み入るのでいったん置いておく。またどこかでしゃべろうかなということにしておき,話を戻そう。

OASISが解散,はまだ分かるとして,まさかの再結成があるなんて当時は思いもよらなかった
 そもそもこのNMEというのは「New Musical Express」の略で,元はイギリスの音楽雑誌である。昨今はメディアもWeb主体になっていてそこで映画もドラマも音楽もゲームも同列に語られることが多くなってきた。

 僕がお世話になっていたのは圧倒的に音楽専門だった頃なので,最近は年末に年間ベストをチェックするくらいの距離感だが,その時についでに見たゲームのランキングにこんなにも驚かせてもらえるとは「いい時代になったなあ」と感慨もひとしおであった。

 ちょっと前のランキングではいわゆるK-POP,NewJeansやIVEといったアーティストのアルバムが上位にランクインしていて,それもまた時代の趨勢を感じたものだ。実際,身近でお世話になっている作曲家さんも最近はK-POPの話しかしておらず,プロの興味は今はそこなのか,と一人虚空を仰いでいた。


24Frame代表の追憶オーバードライブ:第4回「Call of Duty: Black Ops 6」から始まる追憶

 今ではおすすめの音楽もプロの作曲家さんに教えてもらえたりもするが,かつての僕の音楽の情報源はもっぱら「いとこの兄ちゃん」であった。

 兄ちゃんから最初に音楽情報がもたらされたのは小学生の時だ。僕の音楽との自覚的な出会いは槇原敬之さんのシングルCDは「どんなときも」を友達に借りたところから始まる。
 そこで初めてCDというものがあり,それを使えば家にあるプレイヤーできれいな音が出る,ということに気づいたのであった。

 そして,次は自分で「CDショップ」というものにいき,なけなしの小遣いで流行りのシングルを買う,というステップを踏む。

 しかし情報はまるでない状態,なんとなく面出ししてあるかっこよさげなCDを買ってみるということになるのだが,僕が最初に買ったのはB'zの「BLOWIN'」であった。

 確かになんだかかっこいいのだが,「おぉ? サビで急に別の曲になったぞ」などのサプライズもありつつ,その後は唯一の情報源であるテレビ番組「ミュージックステーション」や「レンタルCD」というシステムの存在に気づき,何かと掘り下げたがる僕の性癖にも火がついていく。

 1年も経たずに僕は無事「もっと情報はないか」小僧と化しており,街を徘徊する奇妙な座敷童のようになっていた。

 とはいえ自分の足だけでは限界があるなと思い始めていた,ネットもまだない90年代初頭の自分。そこに登場するのが件の「いとこの兄ちゃん」である。

大阪万博だ! これも過去からは予想不能!
24Frame代表の追憶オーバードライブ:第4回「Call of Duty: Black Ops 6」から始まる追憶
 兄ちゃんは他県に住んでいたので,会うのは1年に1〜2度であるが,そのうちの1回に兄ちゃんが大量のCDを捨てようとしていた時があった。

 「それ,どうすんの?」「いや,もういらんねん」「じゃあちょうだいよ」的なやり取りと共に僕は10数枚のCDアルバムを手に入れる。
 そこにはB'zの初期音源(というか有名曲の英語版,というのがマキシシングルのような形でけっこうたくさん出ていたのでその一連)や,TMネットワークの後期アルバムなどがあった。

芸人の永野さんの「ベック・ビョーク・トムヨーク」は今の40代にとってまさに至言である
24Frame代表の追憶オーバードライブ:第4回「Call of Duty: Black Ops 6」から始まる追憶
僕にとってはそれらは結構な発見だったのだが,4歳年上の兄ちゃんはすでに別のもの(いわゆる洋楽)を聞くようになっており,もう不要なのだというのだ。
兄ちゃんからすれば「まだそんなん聞いてんの?」という感もあったのだろうが,僕はこんなことがあっていいのかと狂喜乱舞だ。

 その関係はその後もしばらく続き,数年後には兄ちゃんが「ニルヴァーナ」というなんだかかっこいい単語を使っていたので聞いてみる,ショックを受けて新たな沼にはまる,ということを繰り返していた。

 そしてその後,洋楽のメジャーどころですらないクラウト・ロックなるものにまでハマり込み,今度は逆に僕が兄ちゃんにCDを渡すようになるのはその数年後の話である。

 マニアックな音楽もいいが,みんなが歌える歌というのもまたいい。クリスマスにはマライア・キャリーが流れ,それを僕もまた口ずさむ。そんなとき,不意にいとこの兄ちゃんの声が聞こえる気がする。

 「まだそんなの聞いてんの(笑)?」と。