24Frame代表の追憶オーバードライブ:第1回「Balatro」から始まる追憶


 「Balatro」というゲームをやっている。
 ポーカーとローグライクを混ぜるという斬新なゲーム性。「とはいえポーカーだろ?」という感じでなめてかかった分もなくはないがやってみると驚きの面白さである。

これがポーカーの最新型「Balatro」!
24Frame代表の追憶オーバードライブ:第1回「Balatro」から始まる追憶

 画面を見ての通りストーリー性などはなく,特殊なワイルドカードを軸にして高火力のチップがやりとりされる。ただ,それだけ。しかし,僕にはあまりにも面白い。

 実際に新宿のビルの一室などにもあるポーカーハウスなどでは,ハンド(役)の作り方よりもその場,そのメンツに対しブラフ(ウソ・ハッタリ)も含めていかに立ちまわるか,ということのほうが大事なのだが,このゲームはまるで逆である。

アナログなポーカーの現場では人づきあいが大事
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 Balatroではひたすらハンドを錬成していく。ロジカルに。期待値がどうのという計算をベースに。

 場の空気を読む能力が欠けている僕には,ブラフベースの感情的な立ち回りよりも,こういう形のゲームのほうが向いているようだ。

 かといって計算能力が優れているわけではない,というかそもそも「カードを出す」と「カードを捨てる」の操作をミスって,捨ててはいけないカードをいきなり捨てるなんて事故もまあまあ起こすのが僕である。

昔はカードといえばアナログしかなかった
24Frame代表の追憶オーバードライブ:第1回「Balatro」から始まる追憶

 今でこそポーカーはデジタルでオンラインも当たり前だけど,僕が初めてそれを知った時は,当然ながらアナログ,つまり実際にカードを手に持ってやる以外の選択肢はなかった。

 「ジョジョの奇妙な冒険」という漫画にダービーというキャラが出てくるのだけれど,そこから拾う形で見様見真似の「テキサス・ホールデム」をやってみた,というのが僕のカードゲーム原体験だ。

 とはいえ「テキサス・ホールデム」は子どもが厳密に再現するのは難しいので,見よう見まねでドンジャラのチップを使いながら「コール」とか「レイズ」とか言ってみた,という程度の話でしかない。

ダービーの「バレなきゃあイカサマじゃあないんだぜ」はあまりにも名セリフ
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 むしろそこで僕らが本当に真似したかったのは「イカサマ」のほうだ。
 ダービーというキャラは「バレなければイカサマではない」という主義を振りかざし,主人公たちを翻弄してくるが,この「バレなければ勝ち」という部分のごっこ遊びをしたかっただけなのだ。

少年時代の頂点にいた存在は今どこに?
 そしてその内容も「あっ!あれはなんだ!」と中空を指さしておいて「誰も見ていないスキに山札をパクる」みたいな原始的なやり口ばかりで,すぐにバレるし,バレたらそこからはプロレスごっこに移行するという程度の代物である。

 ちなみに,当時,これがすごくうまいスター的な存在(小学生)の少年がいた。
 人の気をそらすテク,そのスキに動くスピード。「本当に同い年なのか?」とスットロい僕は驚愕したものだ。

 ちなみに上記のイカサマアリのゲームルールもほぼ彼が考案したもの。というより彼が編み出したテクニックの軌跡がそのままルールになっていったというべきだろう。
 さらに彼は勉強もスポーツもできて,髪型も斬新で学年の有名人,という存在であった。
 神は何物を与えれば気が済むというのであろうか,という感じで,ギャグさえも滑り知らずですらあった。

 そんな少年は将来いったいどうなってしまうのか? という期待と羨望と嫉妬も軽くあしらい,彼は当然のように地元の最高学府に進学する。

最高学府も辺境学府も,大学はいつだってワンダーランド
メジャー感ある堂々の構成力と,作家としての成熟が同居する作品!

24Frame代表の追憶オーバードライブ:第1回「Balatro」から始まる追憶
寮というものはどこでも,ある程度独特な雰囲気を持つもの
 僕はほぼ立ち入ったことのないアカデミックな世界なのだろうなと思いながら,ぼんやりと生きていたのだが,大学時代に一度案内されて中を歩いたことがある。しかしてそこはアカデミックとかいう次元ではない,謎のワンダーランドであった。

 そのワンダーランドぶりを詳細に記述するには文字数が足りないのだが,最近ちょうど説明に適したテキストを見つけることに成功した。それは「ヨシダ檸檬ドロップス」という漫画である。

 同作者である若木民樹氏の「神のみぞ知るセカイ」も衝撃的に面白かったのだが,何年かたった現在も連載中のヨシダ檸檬ドロップスは,舞台が大学ということもあってか,若干大人びた雰囲気を帯びている。

 基本はこの漫画で高学歴大学のワンダーっぷりが堪能できるのだが,彼が出入りしている大学寮にたどり着いたときに僕は愕然とした。

 そこにはこんな光景が広がっていたのだ。

・掃除されていない廊下を歩く猫や鶏
・鍵のかからない引き戸の部屋
・夏なのにすべての部屋に配置された炬燵

 その寮の門構えから内観,果ては住民たちをひとしきり目撃した後に僕は思った。「これは……うちの大学と変わらなくない!?」と。

大学にもいろいろあるもので……
24Frame代表の追憶オーバードライブ:第1回「Balatro」から始まる追憶
 そこにいる人間の学力は天と地ほどにも違うのだが,同時になんとなく大学生というものは角度によっては同じような雰囲気を湛えてしまうものなのだな,と僕は思った。

 まあ,どちらも同じ人間だし,そもそも僕と彼だって小さい頃は一緒に遊んでいたわけだ。さらに言うなら人間と猿だって大違いであると同時に,似ているではないか,と僕は思い,そこの光景を思い出すたびに胸の奥がかすかに暖かくなる。

 もちろんそんな風に似て非なる存在同士がカードゲームをすることだってできる。カード以外のゲームをすることだってできる。

 いつか僕も彼ともう一度カードゲームをするのだろうか。そんな思いと共に2025年が始まる。