連載「五十嵐孝司の思考」第1回:学生時代の過ごし方
「Bloodstained」シリーズや「悪魔城ドラキュラ」シリーズなどを代表作とする,ゲームクリエイターの五十嵐孝司氏。五十嵐氏は1990年に社会に出て以来,長らくゲーム開発に携わっており,ゲームファンの間では広く名を知られている。今からゲームクリエイターを目指す人,すでにゲーム業界に入っていて試行錯誤を繰り返している人の中には,五十嵐氏のような存在になることを目指している人も多いことだろう。
そんな五十嵐氏が今までに何をやってきたか,そして今は何をやっているのかを深掘りすることで,ゲーム業界を目指す人や現役開発者の今後に役立つヒントを見出せるのではないか,というのが本連載の趣旨である。第1回となる今回は,五十嵐氏に「学生時代はどう過ごすべきか」というテーマで話を聞いた。
PCやプログラミングに向かったのは,得意な絵で友人にかなわなかったから
GamesIndustry.biz:
本日はよろしくお願いします。「学生時代はどう過ごすべきか」ということで,まずは五十嵐さんがどんな小学生だったかというところから教えてください。
小学5年生の頃,「スペースインベーダー」で遊んでいましたね。スケートリンクのアミューズメントコーナーに置いてあった,アップライト筐体で遊んだのを覚えています。
そして小学6年生になって,PCと出会うんです。「ベーシックマスターレベル2」が電器屋の前に置いてあって,誰でも使えるようになっていました。それを使って,僕より2歳くらい上のお兄さんが,2つのキーを使う「クレイジー・クライマー」を逆にしたようなゲームのプログラムを組んだんです。それを見て「こんなことができるんだ!」と思ったのが,そののちコンピューターに関わるようになったきっかけでした。
GamesIndustry.biz:
そうやってプログラミングにハマっていくと。
五十嵐氏:
そこは,いろいろあるんです。家庭の影響かもしれませんが,自分の中のルールとして中学校では運動部に入ろうと決めていました。最初は軟式庭球部に入ったんですが,友達が剣道部は楽しいと誘ってきたんです。それで剣道部に移籍したんですが,その当時,PCをテーマにしたテレビ番組があったんですよ。それが放送される日だけ,剣道部を休んでいました。
GamesIndustry.biz:
それは,かなりハマっていましたね。テレビ番組のために部活を休むなんて。
五十嵐氏:
ハマってはいましが,その頃のPCは高価で僕は買えなかったので,友達の家でプログラミングしていました。
GamesIndustry.biz:
人の家でプログラミングって,その間,友達は何をしているのでしょう。ゲームなら隣で見ているとか,交代でプレイするとかできますが。
プログラミングをやろうと思ったきっかけは,中学2年生の頃に別の友達に絵の才能で打ちのめされたからです
五十嵐氏:
友達は,プログラミングが終わるまで待っていましたね。自分の貯金を使い,PC-8001mkIIを買って本格的にプログラミングを始めたのは,高校に入ってからでした。
プログラミングをやろうと思ったきっかけは,それまで僕は絵を描くことが得意だったんですけれど,中学2年生の頃に別の友達に打ちのめされたからです。絵が得意な子の周りには,絵が得意な子が集まりやすいですよね。それで彼と仲良くなり,一緒に写生大会に行って同じ構図で絵を描こうということになりました。決定的だったのは,木の描き方でしたね。僕は葉っぱを1枚ずつ描いていったんですけれども,彼はパレットに絵の具を出して,混ぜて筆に付けてから,それを画用紙に叩きつけ始めたんです。そうしたら,みるみるうちに木が出来上がっていく。それを見たときに「絵で成功する人は,こういう人なんだな」と思って,もう1つの得意科目だった数学寄りになり,そこからPCやプログラミングに向かったというわけです。
GamesIndustry.biz:
その友達がいなかったら,五十嵐さんは絵の方面に進んでいたかもしれませんね。
五十嵐氏:
まさにその友達が,ものを作る方向に僕を進ませた人物です。彼は今,特撮の着ぐるみを作っていますよ。大学生時代,僕が着ぐるみを作るアルバイトをやっていて,彼が着ぐるみを着てアトラクションに出演するアクターをやっていたんですが,その1年後,彼は就職していたグラフィックデザインの会社を辞めて着ぐるみ作りに転向しました。
自作のゲームを次々に作り,友人に遊ばせていた日々
GamesIndustry.biz:
ところで五十嵐さんのご家庭は,PCやゲームに寛容だったのでしょうか。当時はPCもゲームも,親のウケが悪かったですし。
PC関連で親に怒られたのは,1回だけです。PC-8001mkIIは,テレビのアンテナ端子につないで画面を表示することもできたんですが,その端子が壊れたときはさすがに怒られました。
GamesIndustry.biz:
ほとんど怒られなかったのは,学校の成績が良かったからでしょうか。
五十嵐氏:
どうでしょうね。僕は数学と物理は得意でしたけれど,英語や国語,社会はまるでダメでしたから。完全な理系人間でした。
GamesIndustry.biz:
プログラミングで徹夜するようなことはありましたか。
五十嵐氏:
テレビがあるのは居間だったので,徹夜はできませんでした。それで「アイツん家のMZ-80K2Cは,記念モデルですごく良いらしい」みたいな話を聞きつけたら,その人の家に行って触らせてもらう,みたいなことをやっていました。あとはポケコンを持っている人から借りて,授業中にゲームを作って返すなんてこともやっていましたよ。
GamesIndustry.biz:
すごいですね。何かを参考にしていたのでしょうか。
五十嵐氏:
雑誌です。「マイコン」と「マイコンBASICマガジン」ですね。電器屋の前では,雑誌に掲載されたプログラムを打ち込んでいました。
自作のプログラムだと,最初はBASICで組んだ版権物のロボットのゲームですね。△や□をつないで,「これがあのロボットだ!」と(笑)。
GamesIndustry.biz:
当時から,自分で作ったゲームを人に遊ばせていたわけですか。
五十嵐氏:
そうですね。とくに感想を求めるわけでもなく,作ることが目的になっていました。
GamesIndustry.biz:
自分で遊んでみたりはしなかったのでしょうか。
高校生の頃,BASICで「ゼビウス」を再現できないかと試してみたんですが,全然動きませんでした
五十嵐氏:
テストプレイくらいはやりましたけれども。ただあの頃のゲームはすごく単純でしたから,少し触ればすぐ分かります。でも,何であんなにやっていたんだろう……。プログラムを組みたかったのかな。
GamesIndustry.biz:
コンテストはどうでしょう。応募したりとか。
五十嵐氏:
まったくしませんでした。そこまでのものを作ったと思っていなかったんで。
GamesIndustry.biz:
言語も,BASICだけだと実行速度がすぐ頭打ちになりますよね。当然,UnityやUnreal Engineはまだないですし。
ええ,高校生の頃,BASICで「ゼビウス」を再現できないかと試してみたんですが,全然動きませんでした。当時のプログラミングではBASICの次のステップと言えばアセンブラでしたから,いよいよそのときが来たか,と。それで友達からマシン語の本を借りたんですが,長らく借りっぱなしになってしまって。あとで返そうとしたら。「もういい」と言われました(笑)。
GamesIndustry.biz:
実際,「ゼビウス」は再現できたのでしょうか。
五十嵐氏:
いえ,今度は画面の描き換えが全然間に合わなくて。「ファミコンってすごいんだな」と思いましたね。
ゲーム開発を仕事にするとは考えていなかった高校・大学時代
GamesIndustry.biz:
お話を聞いていると,五十嵐さんは周囲に恵まれていますよね。
今もやっている「仲間と一緒にものを作る」ということに関しては,学生のときの経験がすごく活きています
五十嵐氏:僕自身,ずっと「運が良い」と言っているんです。周りが良い人ばかりでしたね。とくに僕の人生を変えた着ぐるみを作っている彼とは,高校時代に学外のサークルを作って片っ端から人を巻き込んでいろいろやりました。面白そうなことは何でもやろうと。アニメーションを作ろうとして動画を10枚くらい描いたところで挫折したり,ブレイクダンスにチャレンジしたりもしましたね。
今もやっている「仲間と一緒にものを作る」ということに関しては,そのときの経験がすごく活きています。ただ高校,大学を通じて,将来ゲーム作りを生業にするとは考えていませんでした。当時,ゲーム業界への道はほとんど開かれていなかったので,選択肢になかったんです。
GamesIndustry.biz:
では,どういう経緯でゲーム業界に入ることになったのでしょうか。
五十嵐氏:
もともとゲームが好きだということは事実です。就職活動でも,ナムコにだけは応募していました。しかし,ほかの会社で内定が出てしまったんで,ナムコの審査を辞退してしまったんです。当時の理系大学生の就職は,1社から内定が出たら,ほかの会社はすべて断らなければならないという厳しい協定があったんです。
ただその内定も,きちんと告知せずに「社長に会っていきます?」みたいな軽い口調で社長面接をやったりと,僕自身納得がいかないものだったので,大学の人事部に掛け合って取り消してもらいました。
GamesIndustry.biz:
その一件がなければ,ナムコに新卒入社していたかもしれないと。
まあ,今となっては分かりませんが。ともあれ,僕は,言葉は悪いですけれども「子どもを騙す仕事」に就きたかったんです。「子どもを騙すこと」は「大人を騙すこと」より難しい,「子どもを騙せれば大人も騙せる」と。そういった意味では,就職先としてエンターテイメントや映像,玩具などの業界を漠然と考えていました。
それで応募した会社を全部辞退したあとに,コナミに入社した先輩から「お前,行くとこないんだって? じゃあ,ウチ来る?」と誘われたんです。そして次の日にはコナミの人事部から連絡があって,面接を受けたらトントン拍子で内定が出たんです。ただ,一般教養課程が1単位足りず,僕は留年することになってしまって(笑)。
GamesIndustry.biz:
え,コナミに入社を1年待ってもらったんですか。
五十嵐氏:
半年でした。僕が師事していた教授は学内でも実力者だったので,専門課程だったら便宜を図ってもらえたんですが,一般教養課程は無理だと(笑)。
その頃はまだ就職氷河期の前で,とくにプログラマーが不足していた時代だったので,1単位取るまでの半年間はアルバイトとしてコナミの東京事業所に通っていました。
GamesIndustry.biz:
まとめると,「ゲーム業界に入りたい!」という強い意思はなかったわけですね。
言葉は悪いですけれども「子どもを騙す仕事」に就きたかったんです。「子どもを騙せれば大人も騙せる」と
五十嵐氏:そうです。たまたまですね。ただ話を聞いていると,あの時代はそういう人も少なくないですよ。
とくに僕の師事した教授は,音響工学界では知らない人はいないくらいの人物で,「ゲーム業界なんて水商売みたいなところじゃなくて,ヤマハでもローランドでもNTTでもどこでも紹介してあげられるのに」とまで言ってくださったんですが,僕は「子どもを騙す仕事がしたいんで」と断ったんです。
GamesIndustry.biz:
ちなみに,「将来就きたい職業」として記憶に残っている一番古い仕事は何ですか。
五十嵐氏:
大工です。
GamesIndustry.biz:
やっぱり,ものを作る仕事なんですね。
五十嵐氏:
ものを作ることと,分解することが好きだったんです。どちらかと言えば,分解することのほうが好きでしたね。分解して元に戻せなくて怒られる,ということを何度も繰り返しました。
大工になりたいと思ったのは,小学3年生の時に実家の改築をしたのがきっかけです。そのときの大工さんがすごくかっこよくて。それで「大工になりたい」と言ったら,「一級建築士のほうが良いぞ」と言われて,そこから一級建築士が目標になりましたね。
GamesIndustry.biz:
その頃,ご両親からは将来について何か言われていましたか。
五十嵐氏:
とくになかったです。これは,次男だからかもしれません。あと父は大学に行っていないので,子ども達を大学までは通わせたいと思っていたようです。基本的に「何かになれ」と言われたことはないですね。
GamesIndustry.biz:
そうは言っても,当時のゲーム業界の内部は一般的にほとんど知られていなかったので,ゲーム会社への就職に反対する親御さんも多かったでしょう。
五十嵐氏:
対両親という意味で良かったのは,コナミがすでに東証一部上場企業だったことですね。それである程度安心したと思います。とはいえ,上場企業でなくても「そこはダメだ」と言われることはなかったでしょう。
プログラミングと並行して注力していたサークル活動
GamesIndustry.biz:
学生時代に話を戻しますけれども,部活やサークルをやっていたとのことですが,リーダーを務めたりはしていましたか。
五十嵐氏:
部活に関しては,基本的に強い人が部長になりますよね。僕の出身地・会津若松は,小さい頃から剣道をやっている人が多いんですよ。だから剣道部では平の部員でした。
委員会だと,僕は副委員長をやっていましたね。サークルも副リーダーでした。「副」とか「No.2」が好きなんですよ。権力はあるけど,責任は半分以下みたいな(笑)。
GamesIndustry.biz:
高校でも剣道部に入ったんですか。
「No.2」が好きなんですよ。権力はあるけど,責任は半分以下みたいな(笑)
五十嵐氏:高校は電気部でした。運動部はガチすぎるので,文化部にしようと。僕が在籍した当時はまだPCは扱ってなかったんですけれど,何か面白そうだったんで選んだ部活です。今でも使えるかどうか分からないですが,そのとき電話級アマチュア無線技士の資格を取ったんです。
GamesIndustry.biz:
緩めの部活に入って,空いた時間でプログラミングをやろうと考えていたのでしょうか。
五十嵐氏:
プログラミングも確かにやっていたんですが,実はさっき話した学外のサークル活動に重きを置いていまして,映画の撮影もやったんですよ。
GamesIndustry.biz:
このゲームにハマっていたみたいなことは,あまりなかったんですか。
五十嵐氏:
さっき挙げた「ゼビウス」には,すごくハマりました。あとは「源平討魔伝」で,どちらもアーケード版でした。大学時代には,後輩がX68000を持っていたので,遊ばせてもらっていましたね。
GamesIndustry.biz:
周囲に必要な何かを持っている人が必ずいますよね。たまたま集まった感じなんですか。
五十嵐氏:
大学で入ったサークルがSF研だったのと,そもそも工科系の大学なのでその手のものを好きな人がいっぱいいたんです。僕は電子系だったので,その方面の仲間が多かったですね。
GamesIndustry.biz:
かなりアクティブな学生時代を送られたという印象です。
五十嵐氏:
自分1人だったら,やっていないことも多いと思います。共感してくれる仲間がいて,「やろう,やろう」と多くの人が集まってきて動いていた感じです。SF研でも映画を取ったりしていましたからね。
GamesIndustry.biz:
どんな映画ですか。
五十嵐氏:
僕はすごくくだらない映画しか撮らないことに“定評”があって,高校時代にはヒーローものをやりました。着ぐるみを作ろうとして調べたら,タルク材が必要だと分かって秋田から通販で買ってみたり,演劇部の知り合いに脚本を書いてもらったりしましたね。キャラクターデザインは僕がやって,僕の人生を買えた友達にクリーンアップしてもらったり。
撮影に入ったら,体操部の人達に戦闘員の服を着てもらって,そこら辺をバク転させたりしていました。
GamesIndustry.biz:
人望があったんですね。
どうでしょう。頼んでみると,皆結構ノリノリでやってくれるんですよ。僕の人望と言うよりは,理解してくれる仲間が多かったということなんじゃないかと。僕は高校生になっても特撮が好きで,そういうのを毛嫌いする人達もいた半面,賛同してくれる人達も少なからずいたんです。例えば小中学生の頃,絵の関係で親しくなった友達が,ジャッキー・チェンの大ファンになって身体を鍛えるために体操部に入っていたり,たまたま家にビデオカメラのある友達がいたり。
GamesIndustry.biz:
しかし,着ぐるみを作るところまではいかないでしょう。衣装くらいならともかく。
五十嵐氏:
着ぐるみは,僕自身が作ってみたかったんです。当時は「スター・ウォーズ」などの影響で,SFXの手法を紹介した書籍がたくさんあったんですよ。着ぐるみ作りを実現するために,映画撮影を選んだ側面もあります。
あとはアニメショップの女性店員にお願いして,サークルに入ってもらってヒロインを演じさせました。もちろん,僕らより年上の20代半ばくらいの女性です。
GamesIndustry.biz:
すごいバイタリティですね。
五十嵐氏:
それはサークルのリーダーだった,僕の人生を変えた友達がやりました。
GamesIndustry.biz:
凝り性とも言えます。
五十嵐氏:
確かにそのとおりです。そのせいで,完成しないこともたくさんありました。ロボットのプラモデルを,アニメの演出どおりに動かすことにこだわったり。
GamesIndustry.biz:
手先が器用でないと,そういうことはできませんよね。
五十嵐氏:
そうなんだろうとは思います。ただ仕上げが雑なので,その道でプロとしてやっていけるかと言うと,無理だったろうと。
GamesIndustry.biz:
そうやって撮影した映画は,公開したんですか。
五十嵐氏:
高校時代の作品は完成しなかったんです。最後に,花火などで演出を施した特撮風の写真を撮影して企画を終わらせました。
大学のSF研では2本撮って,学祭で上映しました。くだらない内容で,お子さんは喜んでいましたね。最初の1本は先輩が脚本を書いて,僕が主役に抜擢されたんです。ところが撮り終わったあと,悪役が着るマントを僕が冗談で纏ってみたところ,身体が大きいから似合うという話になったんですよ。それで先輩が「お前はこれから悪役だ」と言って,撮り直しました。
2本めは僕らが主体となって映画を作ったんですが,また僕が悪役でした。あとは特殊メイク作りですね。当時,僕の部屋の冷蔵庫には食料ではなく,ラテックスとフォームラバーが入っていました。あとはマスク合成を試してみたくて,僕が巨大化するシーンを入れましたね。「これをやりたいから,こうする」という内容の映画でした。
ゲームクリエイターになるには開発現場の知識と「作りたい!」という情熱が必要
GamesIndustry.biz:
ずっともの作りに取り組んできたことが,今の仕事に役立っていると感じますか。
五十嵐氏:
やって来たことが,ほぼすべて役に立っていて,僕自身ビックリです。まず絵をやっていたことで,ゲーム開発でもある程度は絵の話ができます。簡単な絵を描いて,「こうやればいいんじゃない」といった提案もできます。
また大学の専攻が音響工学だったので,音に関してもアレコレできます。あるゲームでは,サンプリングレートでサウンドチームと揉めたんですが,相手はプロだから音の知識がないと完全に押し切られてしまいます。でも僕は音の知識があるから,「あなたの言い分は分かった。だったら,このボイスを周波数解析してください。それで共振周波数の出ているところが5か所くらいあれば,人の声はだいたい再現できるから」と言ったら,黙ってサンプリングレートを下げてくれました。
剣道も役立ちましたね。「Bloodstained」の刀を振るモーションはなかなか伝えにくいんですが,自分で実際に刀を振る姿を動画にして,皆に見せました。
学生時代にやって来たことが,ほぼすべて役に立っていて,僕自身ビックリです
GamesIndustry.biz:ゲームはよく総合エンターテイメントと表現されますが,いろんなことをやっておくと結構役に立つ場面があるわけですね。
五十嵐氏:
そうですね。いろんなことをやって来て良かったです。ゲームが好きだから,学生時代にゲームだけやっていれば良いかというとそうでもない。もちろんゲームだけに特化して,ロジックを突き詰めていくのもアリだとは思います。
ただ,いろんなことにチャレンジできるのは学生時代だけです。就職するとどうしても仕事中心になってしまう。学生時代にどれだけ多くのことをやったかというのは,すごく大きいなと。
GamesIndustry.biz:
今やゲームクリエイターは,小学生男子が将来就きたい仕事ランキングの上位に入っています。ゲームクリエイターになりたいお子さんが,ゲームばかりやっていては視野が狭くなってしまいそうですね。
五十嵐氏:
そういう子は,遊ぶ側にいますよね。それでもプランナーとして遊びを構築し,かつそれを面白くすることは可能かもしれません。
僕にとって運が良かったのは,当時のコナミにはプランナーがいなかったことです。ゲーム開発にはプログラマーかデザイナー,サウンドしか採用されなかった。そしてプランニングする場合は,何か知識が必要です。絵の知識,プログラムの知識,サウンドの知識。それらの知識があると,アプローチがしやすいんです。
プランナーが遊びを突き詰めて,面白いゲームのロジックを構築できたとします。でも,それをプログラムに落とし込まないと,ゲームとしては成立しません。そこにはプログラムの知識が必要で,もしその知識がなければプログラムのことを考えた企画にはなりません。
GamesIndustry.biz:
どんなに面白いアイデアでも,プログラム化できなければゲームになりませんからね。
五十嵐氏:
これはプログラムに限った話ではないんです。絵の知識があれば,絵のことを考えた企画を作れます。そうなると,開発チームの中に仲間を作ることができるんです。ところが何の知識もないと,チームから浮いてしまいます。さらには新人プランナーの企画なんて,ベテランのプログラマーが見たら「何だこれ?」というものが大半です。
もしゲームの企画をやりたいのであれば,ゲームデザインやプランニングを学ぶのはもちろんのこと,ゲームの実制作部分も学ぶべきです。上っ面だけでも,その道のスタッフと専門用語で会話ができるくらいの知識が必要になります。結論としてゲームクリエイターを目指すなら,ゲームを遊ぶだけでなく,ゲーム開発に1歩踏み込んでおいたほうがいいです。
もしゲームの企画をやりたいのであれば,ゲームデザインやプランニングを学ぶのはもちろんのこと,ゲームの実制作部分も学ぶべきです
GamesIndustry.biz:
例えば今,五十嵐さんが新卒のゲームクリエイター志望者を採用するとしたら,どこを見ますか。
新卒であれば,やる気はもちろんですが,「ゲームを遊びたいのか」「ゲームを作りたいのか」という確認をします。遊ぶのと作るのとでは全然違うので,作りたい情熱がどれだけあるのか。
最近でこそいろんな企業がどんどんホワイト化していますけれど,僕らが入った当時はどの業界も大変な時代でした。とくにゲーム業界のようなところは,最後までものを作るのがすごく大変なんです。出だしは良くても,完成させるまでに必ず苦難がある。それでも折れない心が必要です。その折れない心を支えるのは,情熱だけなんですよ。年老いるとテクニカルな部分で乗り越えられるようになるんですが,若い人は「でも,これがやりたい」という情熱がないと難しい。そういうところを見ますね。
GamesIndustry.biz:
五十嵐さんが新人だったときも,情熱で乗り越えたことはありますか。
五十嵐氏:
僕の場合は,「これ,もう少しやらせてくれたら絶対良くなるから」と言って,会社に残ったりしていましたね。マスターアップしたあとに致命的なバグが発覚して,拝み倒して直したこともありました。あとは自分の作ったゲームを人に遊んでもらうことを考えたときに,「こんなクオリティでは怒られる」という恐怖もあったんです。当時の僕らは会社から「残業をしないように」という通達が出たら,「どういうこと?」とクレームを入れるような人達でした。
GamesIndustry.biz:
他人の情熱は,どういうところから読み取るのでしょうか。
五十嵐氏:
やっぱり,話していてビジョンがあるかどうかですよね。どういうゲームを作りたいのかという話になったとき,具体的であればあるほど「作りたい!」という情熱がある人だと判断します。
ただ当然のことですが,ArtPlayは小さい会社ですから,どこまで技術的なサポートが必要かというところも見ます。
GamesIndustry.biz:
今だと,UnityやUnreal Engineを使って1人でゲームや映像を作ることもできますよね。そうした作品の提出は有効でしょうか。
学生時代の自分に言うのであれば,「もっと遊んでおけ」ですかね
五十嵐氏:もちろんです。自分で作ってみるというのは,「作りたい!」という情熱の表れですから。作った完成形があるという人は,圧倒的に有利になります。作りかけでも作品を見せてもらえば,その人の情熱や技術的側面の目安にはなりますよね。
GamesIndustry.biz:
今なら「作りたい」と言う前に「作ってみろよ」という話にもなりますよね。
五十嵐氏:
そうは言っても,環境的に難しい人もいるでしょうし,僕らの頃もプログラミングなんてまったくできないのにプログラマーとして採用された人がいましたから。今は環境が整っているからといって,実際に作ってみる必要が絶対あるかというと,それは少し違うかなと。
GamesIndustry.biz:
今の五十嵐さんから,学生時代の自分に「もっとこれをやっておけ」ということはありますか。
五十嵐氏:
繰り返しですが,本当に僕は運が良かった,人に恵まれたと思っています。社会に出てからもビッグタイトルに携われたし。そのうえで学生時代の自分に言うのであれば,「もっと遊んでおけ」ですかね。
GamesIndustry.biz:
ここで言う遊びとは,どんなものでしょう。
五十嵐氏:
もっとやりたいこと,まだやれることがあったんじゃないかと思いますね。
GamesIndustry.biz:
お話を聞いている限りでは,相当充実した学生時代だったように思うのですが。
五十嵐氏:
具体的にこれ,というものはないですけれど,もっと見聞を広げても良かったかなと。もうちょっと剣道をやっておけば良かったとか。
とくに心残りなのは,高校時代に映画を完成させられなかったことですね。僕らなりに一生懸命やっていましたから。僕らはDAICON FILM世代なんですよね。学生であれだけすごい映像を作れる人達がいたのに,僕らはまだまだ足りていなかったと思います。
とにかく何かを作って完成させることをやったほうが良いです
GamesIndustry.biz:もしゲームクリエイターになっていなかったら,どんな職に就いていたと思いますか。
五十嵐氏:
何でしょうね……。当時応募していたのが,グラフィックス関連の企業と宇宙工学の企業だったんですよ。宇宙工学のほうは,おそらく採用されなかったと思いますけれども。もしかしたら映像関係に行っていたかもしれません。
GamesIndustry.biz:
今だと,ほかの職業についていても趣味でゲームを作れたりもしますよね。
五十嵐氏:
そうですね。当時も,同人ゲームを作っている人はいました。その意味では,趣味でゲームを作り続けていたかもしれません。
でも会社に入ってから,プロは全然違うことを知りました。ソースコードを読んで,「なるほどな」「こんな組み方もあるんだ」「だからこういう挙動になるのか」とかなり勉強させてもらいました。僕の中でプログラムの概念が変わりましたね。
GamesIndustry.biz:
それでは最後に,今,漠然と将来はゲームクリエイターになりたいと考えている高校生,大学生,専門学校生にアドバイスをお願いできますか。
五十嵐氏:
とにかく,何かを作って完成させることをやったほうが良いです。できれば,何人かで一緒にやると良い。ゲームに限らず,もの作りを最初から最後まで全部やることで,もの作りの良いところ,悪いところ,そして他人に評価してもらうことまで1セットで体験できます。それでもの作りに対する下地ができるんじゃないかと。
同時に,ゲームを作りたいのであればコンピュータの知識が必要です。例えば最新のCG技術など断片的な部分で良いので,なるべく触れておいたほうが良いです。
あとはギリギリまであがくこと,そして自分の作ったものを人が見る,人が触るということ意識することですね。
GamesIndustry.biz:
ありがとうございました。
株式会社ArtPlay公式サイト
※次回の掲載は2021年4月1日頃を予定しています