「Call of Cthulhu: the Official Videogame」における,TRPGのテイストをPCゲームに持ち込む手法
CoC:VGはどのようにしてこの困難な問題を解決したのだろうか。デベロッパであるCyanide StudioでLead Narrative Designerを務めたPia Jacqmart氏が,その課題と解決についてdevcom 2019で講演を行った。なお講演は「このような手順を踏めば良い」というものではなく,「このようなトピックがある」という形式のものだったので,とくに注目すべきトピックに絞ってレポートする。
中核となる体験は何かを探る
そこでJacqmart氏はまず,「自分自身に問いかける」ことをスタート地点として選んだ。というのも,人間は「自分自身がなぜそれを好きなのか」を,あまりよく知っているとは言えないからだ。「Game of Thronesでも,Call of Cthulhuでも同じことで,『なぜ・何が好きなのか』は往々にして言語化されにくい」とJacqmart氏は指摘しつつ,この疑問をクリアにすることで原作をより深く理解できるとともに,自分が何を・なぜ作ろうとしているかがはっきりと理解でき,また従来どんな問題があったかも適切に把握できると語った。
CoC:VGの場合,Jacqmart氏は3つの問いを最初に立てた。
- TRPGの中核的な体験とは何か?
- 本を読むことの持つ意味は何か?
- 本や映画で得られる体験を,なぜPCゲームで得るべきなのか?
この問いに対し,まず「TRPGの中核的な体験」についてJacqmart氏は,「実際にプレイしていないときですら,TRPGで得た体験を語ることがあるが,まさにそこで語られる体験こそがTRPGの体験の中核にある」と語る。
そしてCoCの場合,それは「狂気へと落ちていくときの経験」「狂気が引き起こされる瞬間の経験」であるとJacqmart氏は結論づけた。かくしてCoC:VGは,その体験に向かってシステム全体が作られていくことになったのである。
一方で「クトゥルフ神話」の原作者ともいえるH.P.Lovecraft作品を読むと,そこには「運命に対する諦め」「人間が宇宙の中心であるという概念に対する批判」「未知のものに対する深い恐怖」が読み取れる。
関連する質問を自問してください 3つの質問 ペン&ペーパーRPGのコアエクスペリエンスは何ですか? この本/作品の意味は何ですか? なぜ人々は新しいメディアでそれを発見する必要があるのですか? |
Lovecraftの著作で見つけることができるいくつかのテーマ -悲観的な運命への取り組み -人間中心主義の批判 -未知への深い恐怖 |
かくして,ここで最初のジレンマが生じる,とJacqmart氏は指摘する。
「ゲーム」という構造においては,一般的に言えば「怪物と戦って勝利する」のが基本だ。しかしLovecraftの原作においては,善と悪の対立とか,英雄とかいったものが登場しない。
さらにジレンマは続く。本とTRPGを比較すると,多くのポイントにおいてこの2つは大きく異なった構造を有しているのだ。
本の場合,展開は一直線で,物語を語るのは著者で,記述が変わることはなく,印刷された文字として固定されており,解釈の幅には限界がある。
だが,TRPGの場合,展開には一定の自由度があり,物語を語るのはキーパーとプレイヤーで,記述や描写は変動し,そもそもプレイヤーがストーリーに対して影響力を行使できる。
そして,この2つとPCゲームを比較した場合,どちらかといえばPCゲームにおける物語は「本」の側に近い性質を持つ。これもまた,構造的なジレンマと言える。
ジレンマ:忠実性VS面白さ 善と悪,ヒーローは,ラブクラフトの本には存在しません。 しかし,ゲームにはモンスターに勝つ可能性が必要です…… |
物語構造:ブックVS RPG 本 / RPG リニア / オープン ナレーター1人 / キーパーとプレイヤー 1人または複数のヒーロー / 1人のヒーローの異なる側面 静的な説明 / 動的な説明 印刷された限定解釈 / 常に解釈を変え物語に影響を与える |
もちろん,後者の構造的なジレンマについては,制作チームが物量を投入すれば相当なレベルでクリアできることは,AAAタイトルのいくつかを見れば分かる。だがCoC:VGを作ったCyanide Studioでは,その規模の工数を投じることはできない。
そこで最初の解決として考えられたのが,1つのゴールに到達するための「正解」のルートを複数用意するという方法だ。例えば,The Docksのシーンには6つのインタラクション可能な場所があるが,プレイヤーはそれらの場所を巡ることでさまざまな人々に出会い,そこから複数の解決策を見出すことができるようになっている。
また,CoC:VGにおいてはさらにLovecraft作品の持つ「避けられない運命に対する諦め」を演出するために,シーンの冒頭において「このシーンの最後に起こり得ること」をプレイヤーに垣間見せる構造を採用している。
いずれも定番の手法ではあるが,効果的であることは数々の作品において実証済みの手法といえる。
すべては「プレイヤーの物語」のために
さて,ゲームにおける物語というところに立ち返ったとき,Jacqmart氏は「最も高いレイヤーにあるのはプレイヤーの物語だ」と指摘する。実際にゲームを遊んでいるなかで,「こんなふうに上手くいった」「こんなとんでもないイベントをクリアした」といった形でプレイヤーの中に蓄積される具体的な体験こそが,「ゲームにおける物語」の最上層なのである。
そしてそのプレイヤーの物語の下に隠れているのが,「プレイヤーキャラクターの物語」だ。プレイヤーが操作するキャラクターがどんな人物で,どんな経歴を持ち,どんな経験をしてきたかといったキャラクターの物語は,ゲームの物語において最優先事項ではない。
さらにその下にあるのが,NPCの物語となる。プレイヤーが直接操作しないキャラクターが持つ物語は,ゲームの物語においてはかなりプライオリティが低い。
そしてNPCの物語の下にあるのが「ゲーム世界の今を語る物語」で,最下層を形成するのが「ゲーム世界の過去を語る物語」となる。つまりゲームの物語において,「設定語り」はもっとも優先度が低いというわけだ。
さて,このようにして「プレイヤーの物語」と「プレイヤーキャラクターの物語」を分離すると,ことCoCにおいては大きな問題にぶつかる。「いかにして狂気を描くのか」という問題だ。
例えば,キャラクターが狂気に陥って幻覚を見たり,完全に異なる世界が「見えて」しまったとしよう。だがこれをそのまま画面に描くと,プレイヤーは「このキャラクターは狂気に陥ったな」ということを理解しながら,狂気の世界を観測することになる。
つまり,キャラクター(およびNPC)は「自分は正気なのだろうか? それとも狂気に侵されてしまったのか?」という疑念を抱くことができるが,それを操るプレイヤーはその疑念を抱けないのだ。これは最初に提示された「キャラクターが狂気に落ちていく経験」「狂気が引き起こされる瞬間の経験」を描くにあたって,少なからぬ問題を生じさせる。
また,ことCoCの場合,狂気に関連してちょっと面白い問題も発生する。CoC世界には「人類が読んではならない狂気の魔導書」が存在する(代表例はネクロノミコン)。しかしながらそういうものが存在するということは,いつかどこかでプレイヤーキャラクターはその手のものを読むことになる,ということだ――が主人公の視点で描かれるPCゲームとして考えると,「魔導書の本文」を画面に表示しなくてはならないのは実に都合が悪い。
かくして考案されたのが,「複数の主人公の導入」である。キャラクターが狂気の淵へと落ちていくときや,狂気に満ちた魔導書を読むときには,他の主人公の視点に切り替わって物語が進行する,というわけだ。
加えて複数主人公によって物語が牽引されるという構図は,ゲーム世界を異なる性別の視点から描けるというメリットもあるとJacqmart氏は指摘した。
ゲームとして楽しめるダイアログを作る
もうひとつ大きな論点となったのは,実際にゲーム画面に表示するダイアログ(対話)だ。
Jacqmart氏は,ゲームでのダイアログについて「現代的なPCゲームにおいてダイアログは,ただ読むだけのものであってはならない。ダイアログ自体に遊びが組み込まれており,プレイヤーのスキルが発揮できるものでなくてはならない」と語る。
このモットーに基づいて作られたのがCoC:VGのダイアログシステムで,プレイヤーに対しては選択肢が提示されるだけでなく,その選択肢はキャラクターが持つスキルと紐付けられ,かつ時間制限もあるという構造になっている。
ちなみにダイアログの優先順位としては,「ゲームプレイを直接支える解説が最優先だ」とJacqmart氏は語る。
また,より良いダイアログを書くためには「同時代の作家の作品をたくさん読むことも重要」だとも指摘した。たとえば1920年代が舞台となるゲームであれば,1920年代に書かれた作品をたくさん読み,その時代における文章表現を手に馴染ませておく,というわけだ。
加えて,「内輪受けめいた隠し要素は絶対に避けろ」ともJacqmart氏は主張する。登場人物の名前などに同僚や家族の名前を流用したりするのは,まずもって良い結果をもたらさないという。
最後に,ダイアログを作成するにあたっては「難しすぎる単語は避けるべき」ともJacqmart氏は語った。氏は作中で「cephalopod」(頭足類)という単語を使ったが,このセリフをドラマチックに語るにあたって,声優は大いに苦労したという。
TRPGに限らず,アナログゲームからデジタルゲームへと橋を渡すチャレンジは,決して簡単なものではない――これは残念ながら,多くのプロダクトが身をもって証明してしまっているのが現状だ。だが,上手な再解釈を試みる開発者は多く,ノウハウの共有も進んでいる。
個人的には「どうすれば現代的な,優れたデジタルゲームが作れるのか」という知見があってこそ成功するプロジェクトだとも感じているので,今後のチャレンジに期待したい。