ストーリーデザインとボディスラム:ゲーム開発者がプロレスから学び取れること
元UbisoftのシナリオライターであるKim Belair女史が,コアなゲームシステムを通して,いかにプロレスがストーリーを語っているのか,その手法を考察する。
ネイサン・ドレイクは,ゲームの世界で最も有名で,最も愛されているヒーローの一人だ。彼はハンサムで,完璧な髪型で,魅力的かつユーモアにあふれ,そして,自らが犯した途方もない犯罪にもほとんどうろたえることがない大量殺人犯である。
アンチャーテッドでの不当な不調和を指摘することは,2019年時点での十分な調査や思考をせぬまま断じるべき話ではないが,おそらくあまたのゲームにおける問題の最も良い例ではあるだろう。また,ネイトが最初の3ゲームだけで1750人以上を殺害したにも関わらず(参考URL),イケてるキャラクターであり続けているという事実が,このシリーズの成功や批評家たちからの称賛を傷つけたようには見えない。
皮肉たっぷりのユーモアや,巧みな魅力で自身の残忍な殺人傾向から目をそらす冷酷なソシオパス(※反社会性パーソナリティ障害者)が主役であるにも関わらず,アンチャーテッドはシリーズとしてもっとも賞賛されるAAAゲームの殿堂に座している。無論,彼は多くの人間の顔面を撃ち,そのポケットの中を探り回して銃弾を探し,さらに周辺の人たちを顔から撃つ。だがそれは彼の意ではなく,撃たれた人々がそうさせている。だからイッツ オーケイ。(同じ状況に置かれたら)私たちも同じことをするだろう?
何人もの人間を殺害したあと,もはや皆殺しは避けられないという覚悟をネイトがさりげなく決めるという毎度の流れは,中核ゲームシステムとしての彼の表面レベルでのバイオレンス拒否が,プレイヤーのバイオレンス容認との間で,必要不可欠かつ邪悪な対立をしているということになる。
この問題の根底にあるのは,アンチャーテッドのようなゲームには,ゲームシステムを通してストーリーを前進させ,キャラクターを深掘りしていくという本来あるべき手段がないということだ。ウルフェンシュタインは,これがそれほど問題にならないレアなケースだと言える。すなわち,シリーズ主人公のB.J.Blazkowiczの行動は,彼のトラウマによって告げられ(参考URL),バイオレンスは彼にとっての表現手段なのだ。彼にとって子供のころから世界とはそういうものであり,その代償が,彼の行動にほかならない。
先週(※元記事掲載は2月6日付け),スイスのチューリッヒで開催されたゲーム開発者向けのイベント「Ludicious Game Festival」で我々GamesIndustry.bizと対談したナラティブ企業Sweet Babyの創設者で,元Ubisoft MontrealのシナリオライターでもあるKim Belair女史は,アンチャーテッドのようなゲームがいつも難儀している問題を,プロレスが一つのコアな方法でいかにして解決しているのかを概説した。
すなわち,ゲームシステムを通してストーリーを物語るということだ。(※プロレスでは)プロレス自体が,シナリオライターがナラティブを紡ぐための唯一の手段であり,そこにおける多くの制約こそがクリエイティビティを繁栄させてきたのだ。
1957年に出版されたフランスの哲学者ロランド・バルトによる「World of Wrestling」で,バルトは言語のメカニズムを探究し,プロレスを古代の劇場での大げさな言葉遣いと比較した。だが,Belair女史はその奇妙な深さをいかにしてさらに深くできるか,また,ゲーム開発者はそこから学ぶべき立場であることを説明する。
(※女史はプロレスを)「これはある一つのコアゲームシステムを軸とするナラティブゲーム」であるとし,表面的には暴力を拒絶するネイサン・ドレイクのようなキャラクターは,「プロレスを嫌うレスラー」のようなものだと語る。
「多くの場合,オーディエンス/プレイヤーは,ゲームのコアなゲームシステムを経験するためにプレイします」と彼女は続ける。「ですから,もしあなたが自分とゲームの主人公の価値観を一致させたいのならば,自分がやっていることを完全に忌み嫌っているキャラクターを出すことはできないのです」
Belair女史はInsomniac GamesによるMarvel’s Spider-Manを例として挙げた。このゲームはバイオレンスをフィーチャーしているが,殺人は回避している。作品中で登場人物のピーター・パーカーがビルの屋上から悪者を突き落としても,落下の途中に蜘蛛の巣でキャッチしている(参考URL)。
「なので,彼らは試合に臨む方法,彼らが動く方法,そしてそれを設定する方法で,所定の感情を伝える必要があります。それがプロレスの優れているところですが,一方で私たちはコアシステムに無関係な小さな部品の束でカットシーンをゲームに詰め込もうとしています。シューティングがメインとなるゲームでは,どうやってストーリーを表現すればいいでしょうか? ゲームシステムでは表現できませんから,カットシーンでなければダメでしょう。プロレスにはかなりの制約がありましたので,彼らは極めてクリエイティブでなくてはなりませんでした」
プロレスのナラティブがその本質とどのように結びついているかの例として,Belair女史はレスラーのリング入りを挙げた。レスラーは己の個性を反映したテーマ曲で派手に登場し,そしてその方法は時間と共に変化するかもしれない。これらはシナリオライターが,キャラクターをオーディエンスにどうやって覚えてもらいたいかに結び付いている。
「私のお気に入りのストーリーの一つは,日本の人気レスラー,シンスケ・ナカムラ(中邑真輔)です。誰もが彼を愛しています」とBelair女史は語る。「ライターたちは彼をヒールにしたいと思いましたが,誰もが彼を愛していました。登場するたびに人々は素晴らしい彼のテーマ曲を一緒になって歌ったり,ハミングしたりするのです。彼がヒールに転向した際,テーマソングに日本のラップが加えられました。それで歌が悪くなったということはありません。むしろかっこよくなりましたが,それはまた,アメリカのオーディエンスは一緒に歌えなくなったことを意味しました」
「突如として生まれた『断絶』感は,オーディエンスの彼に対するアツい気持ちを萎えさせました。ゲームでプレイしているあるキャラクターがいて,コンボを実行し,それが完璧でうまくいっていると感じると,シンクロしている気持ちになります。しかし,何か一つ操作して反応がなかったり,思ったとおりに進まなかったりすると,突然プレイヤーはイライラし,混乱し,満たされていない感覚を植え付けられることになります。私たちはこれをもっと利用できると思います。アビリティだけでなく,ゲームやゲームシステム,そしてアプローチと実際にコネクトする,ということです」
Belair女史が挙げた例は,ゲームの最後の最後で主人公のジョエルが医師に引き金を引くThe Last of Usだった。彼の行動には意図と人間関係が絡み,プレイヤーは医師を撃たないとゲームを進めることができない。その瞬間,何の疑いの余地もなく,私たちはジョエルがいったい誰なのか,そして,彼の行動がそれを反映していることに気付く。
「ネイサン・ドレイクが,人を殺すことについてどう感じているのか私は知りません。彼はときどき何か言いますよね……でもほとんどの場合,ネイサン・ドレイクが人を殺すことについてどう感じているのかを私は知りませんし,それはあくまでもゲームデザイン上のことです」とBelair女史は述べた。
ネイトは,行動を起こしても理想はない。これは,プレイヤーはゲームをコンプリートするための導線としての彼の立場を,喜んで受け入れるか,または,暗黙のうちに了解する以外に己自身の行動について意見を持てないことを意味する。ゲームは主にゲームシステムの体験であり,バイオレンスはゲーム業界のDNAの一部だ。したがってゲームデザイナーが後者を選択するのは当然で,この媒体におけるゲームシステムの基本である。
「私たちはゲームにおける殺人を諦める心の準備はできていません。そして,殺人者のキャラクターを作る用意もできていません」とBelair女史は言う。「そういうキャラクターを作るときは,私たちには世界のマックス・ペインがいます」
しかしプロレスは,ほぼ完全に,プロレスに対するキャラクターの感情についてのものだ。アートを愛するベビーフェイスから,傷つくことを避けるため何が何でも格闘を避けようとする「チキンなヒール」まで,プロレスはあくまでもプロレスについてであり,ストーリーはその中心となる概念を通して伝えられる。
もちろん,ゲームシステムをナラティブに結び付けることに成功しているゲームはたくさんある。Dark SoulsからPapers,Pleaseまで,ゲームには膨大に深いナラティブや複雑さがある。しかし,この媒体が長年にわたって映画や本から学んできたのと同様に,プロレスがどのようにストーリーを紡いできたかから学び取ることのできるゲームというのもたくさんあるはずだ。
GamesIndustry.bizは,主催者からの招待でLudiciousに参加した。
ネイサン・ドレイクは,ゲームの世界で最も有名で,最も愛されているヒーローの一人だ。彼はハンサムで,完璧な髪型で,魅力的かつユーモアにあふれ,そして,自らが犯した途方もない犯罪にもほとんどうろたえることがない大量殺人犯である。
アンチャーテッドでの不当な不調和を指摘することは,2019年時点での十分な調査や思考をせぬまま断じるべき話ではないが,おそらくあまたのゲームにおける問題の最も良い例ではあるだろう。また,ネイトが最初の3ゲームだけで1750人以上を殺害したにも関わらず(参考URL),イケてるキャラクターであり続けているという事実が,このシリーズの成功や批評家たちからの称賛を傷つけたようには見えない。
皮肉たっぷりのユーモアや,巧みな魅力で自身の残忍な殺人傾向から目をそらす冷酷なソシオパス(※反社会性パーソナリティ障害者)が主役であるにも関わらず,アンチャーテッドはシリーズとしてもっとも賞賛されるAAAゲームの殿堂に座している。無論,彼は多くの人間の顔面を撃ち,そのポケットの中を探り回して銃弾を探し,さらに周辺の人たちを顔から撃つ。だがそれは彼の意ではなく,撃たれた人々がそうさせている。だからイッツ オーケイ。(同じ状況に置かれたら)私たちも同じことをするだろう?
何人もの人間を殺害したあと,もはや皆殺しは避けられないという覚悟をネイトがさりげなく決めるという毎度の流れは,中核ゲームシステムとしての彼の表面レベルでのバイオレンス拒否が,プレイヤーのバイオレンス容認との間で,必要不可欠かつ邪悪な対立をしているということになる。
先週(※元記事掲載は2月6日付け),スイスのチューリッヒで開催されたゲーム開発者向けのイベント「Ludicious Game Festival」で我々GamesIndustry.bizと対談したナラティブ企業Sweet Babyの創設者で,元Ubisoft MontrealのシナリオライターでもあるKim Belair女史は,アンチャーテッドのようなゲームがいつも難儀している問題を,プロレスが一つのコアな方法でいかにして解決しているのかを概説した。
すなわち,ゲームシステムを通してストーリーを物語るということだ。(※プロレスでは)プロレス自体が,シナリオライターがナラティブを紡ぐための唯一の手段であり,そこにおける多くの制約こそがクリエイティビティを繁栄させてきたのだ。
1957年に出版されたフランスの哲学者ロランド・バルトによる「World of Wrestling」で,バルトは言語のメカニズムを探究し,プロレスを古代の劇場での大げさな言葉遣いと比較した。だが,Belair女史はその奇妙な深さをいかにしてさらに深くできるか,また,ゲーム開発者はそこから学ぶべき立場であることを説明する。
(※女史はプロレスを)「これはある一つのコアゲームシステムを軸とするナラティブゲーム」であるとし,表面的には暴力を拒絶するネイサン・ドレイクのようなキャラクターは,「プロレスを嫌うレスラー」のようなものだと語る。
「多くの場合,オーディエンス/プレイヤーは,ゲームのコアなゲームシステムを経験するためにプレイします」と彼女は続ける。「ですから,もしあなたが自分とゲームの主人公の価値観を一致させたいのならば,自分がやっていることを完全に忌み嫌っているキャラクターを出すことはできないのです」
Belair女史はInsomniac GamesによるMarvel’s Spider-Manを例として挙げた。このゲームはバイオレンスをフィーチャーしているが,殺人は回避している。作品中で登場人物のピーター・パーカーがビルの屋上から悪者を突き落としても,落下の途中に蜘蛛の巣でキャッチしている(参考URL)。
「ネイサン・ドレイクが,人を殺すことについてどう感じているのか私は知りません」
「プロレスの最大の成功は,その本質により,コアゲームシステムとしてプロレスに戻ることが定められていることだと思います。悲劇,コメディ,失恋,人と人の関係,長い間会えない友人,さまざまなストーリーはみな,プロレス自体に頼らねばなりません」とBelair女史はつけ加えた。「なので,彼らは試合に臨む方法,彼らが動く方法,そしてそれを設定する方法で,所定の感情を伝える必要があります。それがプロレスの優れているところですが,一方で私たちはコアシステムに無関係な小さな部品の束でカットシーンをゲームに詰め込もうとしています。シューティングがメインとなるゲームでは,どうやってストーリーを表現すればいいでしょうか? ゲームシステムでは表現できませんから,カットシーンでなければダメでしょう。プロレスにはかなりの制約がありましたので,彼らは極めてクリエイティブでなくてはなりませんでした」
プロレスのナラティブがその本質とどのように結びついているかの例として,Belair女史はレスラーのリング入りを挙げた。レスラーは己の個性を反映したテーマ曲で派手に登場し,そしてその方法は時間と共に変化するかもしれない。これらはシナリオライターが,キャラクターをオーディエンスにどうやって覚えてもらいたいかに結び付いている。
「私のお気に入りのストーリーの一つは,日本の人気レスラー,シンスケ・ナカムラ(中邑真輔)です。誰もが彼を愛しています」とBelair女史は語る。「ライターたちは彼をヒールにしたいと思いましたが,誰もが彼を愛していました。登場するたびに人々は素晴らしい彼のテーマ曲を一緒になって歌ったり,ハミングしたりするのです。彼がヒールに転向した際,テーマソングに日本のラップが加えられました。それで歌が悪くなったということはありません。むしろかっこよくなりましたが,それはまた,アメリカのオーディエンスは一緒に歌えなくなったことを意味しました」
「突如として生まれた『断絶』感は,オーディエンスの彼に対するアツい気持ちを萎えさせました。ゲームでプレイしているあるキャラクターがいて,コンボを実行し,それが完璧でうまくいっていると感じると,シンクロしている気持ちになります。しかし,何か一つ操作して反応がなかったり,思ったとおりに進まなかったりすると,突然プレイヤーはイライラし,混乱し,満たされていない感覚を植え付けられることになります。私たちはこれをもっと利用できると思います。アビリティだけでなく,ゲームやゲームシステム,そしてアプローチと実際にコネクトする,ということです」
Belair女史が挙げた例は,ゲームの最後の最後で主人公のジョエルが医師に引き金を引くThe Last of Usだった。彼の行動には意図と人間関係が絡み,プレイヤーは医師を撃たないとゲームを進めることができない。その瞬間,何の疑いの余地もなく,私たちはジョエルがいったい誰なのか,そして,彼の行動がそれを反映していることに気付く。
「私たちはゲームにおける殺人を諦める心の準備はできていません。そして,殺人者のキャラクターを作る用意もできていません」
シンスケ・ナカムラとオーディエンスを引きはがした断絶はまさに,ネイトの残酷な殺人がアンチャーテッドシリーズでほとんど対処されないまま放置されている理由にほかならない。「ネイサン・ドレイクが,人を殺すことについてどう感じているのか私は知りません。彼はときどき何か言いますよね……でもほとんどの場合,ネイサン・ドレイクが人を殺すことについてどう感じているのかを私は知りませんし,それはあくまでもゲームデザイン上のことです」とBelair女史は述べた。
ネイトは,行動を起こしても理想はない。これは,プレイヤーはゲームをコンプリートするための導線としての彼の立場を,喜んで受け入れるか,または,暗黙のうちに了解する以外に己自身の行動について意見を持てないことを意味する。ゲームは主にゲームシステムの体験であり,バイオレンスはゲーム業界のDNAの一部だ。したがってゲームデザイナーが後者を選択するのは当然で,この媒体におけるゲームシステムの基本である。
「私たちはゲームにおける殺人を諦める心の準備はできていません。そして,殺人者のキャラクターを作る用意もできていません」とBelair女史は言う。「そういうキャラクターを作るときは,私たちには世界のマックス・ペインがいます」
しかしプロレスは,ほぼ完全に,プロレスに対するキャラクターの感情についてのものだ。アートを愛するベビーフェイスから,傷つくことを避けるため何が何でも格闘を避けようとする「チキンなヒール」まで,プロレスはあくまでもプロレスについてであり,ストーリーはその中心となる概念を通して伝えられる。
もちろん,ゲームシステムをナラティブに結び付けることに成功しているゲームはたくさんある。Dark SoulsからPapers,Pleaseまで,ゲームには膨大に深いナラティブや複雑さがある。しかし,この媒体が長年にわたって映画や本から学んできたのと同様に,プロレスがどのようにストーリーを紡いできたかから学び取ることのできるゲームというのもたくさんあるはずだ。
GamesIndustry.bizは,主催者からの招待でLudiciousに参加した。
※本記事はGamesIndustry.bizとのライセンス契約のもとで翻訳されています(元記事はこちら)