PUBGとFortniteの法廷闘争:市場に決めさせよう
PlayerUnknown's BattlegroundsとFortniteは,現時点で世界で最も成功した2作といえるだろう。ともに絶大な人気に牽引されてそれぞれの名義で効果的な文化的現象を引き起こしている。ゲームを遊ぶだけでなく,ゲームを見るという意味でも毎日数え切れないほどの時間,配信されたゲームプレイが閲覧されている。
これらは多くの点で,ほとんど同じゲームである。
もちろんどちらも実装にユニークな点はある。しかし,基本コンセプト―"バトルロイヤル"はほぼ同じだ。PUBGの成功はFortniteに先行している。そしてその制作者たちは,Fortniteが彼らのやってきた方式をコピーしていると不平を述べている。現在,その不平は訴訟にまで発展している。PUBG Corpが韓国でFortniteの制作者であるEpic Gamesを著作権違反で訴えたのだ(※関連英文記事)。
「あなたが順調にスターとしたピザ屋を持っていて,誰かが近くでピザ屋を開いたとしても,その町でピザを売るというアイデアは自分のものだと裁判官を説得したりはしないだろう。競争するだけだ」
私は韓国の著作権法について詳しいわけでもなく,PUBG Corpに所掌のメリットがあるのか,もしくは勝訴の可能性があるのかについて見解を持っていない。しかし,より大きな問題が韓国の法廷を超えて持ち上がっている。いろんな意味で,これはゲーム業界で,たくさんの違ったジャンル,たくさんの違った相手との間で何十年も争い尽くされてきたような,長年にわたる紛争の表れである。根本的な問題は,ゲームのアイデアに著作権を適用できるのか? ゲームのコンセプトは保護されるのか,もしくは保護されるべきなのか? もし保護されるのなら,同じジャンルのゲームと法的に許されない「クローン」の線引きはどこで行うのか? といったところにある。これらの問題は新しいものではないかもしれない。しかし現時点では確かに妥当に感じられる。以前私が書いたように(関連英文記事),MOBAの大流行が終わったばかりだ。―その多くはDOTAのようなジャンルの創始者のコピーと大して違いはない。そして現在我々はバトルロイヤルでの熱狂に向けて駆け上っている。しかしながら,このような人気コンセプトに群がる様も,モバイルの状況と比べると色褪せる。そこではマーケットリーダーをコピーする厚顔無恥が巨大産業の基盤となっているのだ。この点で,モバイルマーケットでは信じられなくくらい厚かましいことが可能だ。PUBGとFortniteの件についての見解にかかわらず,EpicがPUBGのプレイヤーを同じゲームではないと気づかせることなくFortniteに導入しようとしていると非難する人はいないだろう(これは詐称通用として知られる侵害)。しかし,モバイルの世界では信じられないほど当たり前に行われている。意図的にトップ10ゲームのアートスタイルや体裁,タイトルを模倣した二束三文のゲームがはびこっている。
歴史的かつ一般的に言って,著作権や特許,商標などで法的にゲームのコンセプトを保護できるかという問いに対する答えは"No"だった。―そして,同時に,朝起きたら彼らの素晴らしいオリジナルゲームを誰かが複製しているのを見つけたデベロッパへの同情がなくなることもないだろう。こんなことに法的障害がなくなるような理由付けは本当によくできている。
ビデオゲームはほかのメディアと同様,すでにかなり十分に保護されている。―著作権法,商標法,そして場合によっては特許法がゲームクリエイターにかなり広範な法的権利と保護を提供している。しかしながら,これらの法のほとんどはアイデアの特定の実装を除いてコンセプトの保護を提供しない。開発者はある種のゲームの広範なアイデアに対しての保護を受けることはできないが,そのアイデアの特定の実装については保護を受けることができる。―それはアイデアをどう実装したかに関わるもの,つまりコード,アートワークその他のアセットなどだ。
これは,素晴らしいアイデアを持っているが,アイデアを盗まれ大きな会社に使われるのではないか(おそらく,コンセプトのいいところを取った大きなライセンスとともに),このように彼らが発明した市場を搾り取られるのではないかと恐れているデベロッパには不公平に感じられるかもしれない。実際,それはかなり不公平だ。もしFortniteがPUBGを完全に市場から追い出したら,それはとてつもなく不公平な状況だ(明らかに現実に起こっていることではないが)。
しかし,問題なのは,これが法廷で解決すべき種類の不公平なのかということだ。―その答えは間違いなく"No"だ。
問題は法律が率直すぎる実装になっていることだ。アイデアがより大きな競合企業に使われたときに,素晴らしいアイデアを持った人が失われるのを防ぐ法律を想像するとき,我々が思い浮かべるのは,これら具体的にターゲットとなる事例についてのみを公正に審議するために巧みに切り分けていくメスのようなものだ。代わりに我々が手にしているのは大槌である。―無差別に打ちのめし,多くの場合,我々がそれを手にしてほしくないと願うような人たちによって行使され,我々が決して望まない多くのものにダメージを与える。
説明しよう。我々が単に同じジャンルのゲームと悪質なクローンを見分ける線引きを得意としていたとしても,いまだにすべてのゲーム機を「Nintendo」,GTAを「売春婦を殺してポイントを稼ぐゲーム」と呼んでいるような裁判官によって適用される合法的なコードの洞察を引き出すのは現実的に無理だ。加えて,正直に言って,我々はその線引きを得意としていない。
結局のところ,業界内だけでも,現存するすべてのジャンルはなにかのクローンか別のもののクローンかといったことが言われるようになってきた。FPSは"Doomクローン"でRTSは"C&Cクローン",3Dアクションは"Mario 64クローン",オープンワールドは"GTAクローン"だ。これらはジャンルとしての社会的地位を得られなかった。なぜなら,それらはいくつかの法的テストはパスしており,その膨大なボリュームは多様性とそれらが網羅していた元々の方式の上に積み上げられた技術革新を認識せざるをえなくしていたからだ。もし,id SoftwareがDuke Nukemを存在させなくするような訴えや任天堂がCrash Bandicootの生産を中止させるような訴えが通るような法的枠組みであったなら,消費者の利益はいうまでもなく,産業の進化と進歩は本当に役に立たないものになっていただろう。
その抑止効果は劇的だったかもしれない。それはすべてのゲームジャンルを殺しえるものであり,多くのゲームで本当に基盤となっているコンセプトを使うことを妨げる可能性があった。もし誰かが「一人称視点の移動制御」や「ミッションを受けて達成するタイプのオープンワールド」のような基本的なものの権利を持っていたら,どれほどゲーム開発の不利益になるか想像してみるといい。その大部分を巨人の肩に乗って先人の作品の上に築き上げることに頼ったあらゆるクリエイティブなメディアにとって,これは破壊的なだけではない。これは最悪の自分勝手な議論にもなりうる。―ライターがある種のどんでん返しの特許を取れたり,映画監督が編集技術やカメラワークに著作権を主張するような提案が受け入れられることへの嘲笑を想像すれば,これはほかのメディアにはない新しい種類の権利保護をゲームに与えることになる。
最終的に,成功したゲームをコピーしようとするデベロッパが突然現れたときにどうしたらいいのかの対しては非常に単純な答え ―すべてを満足させるものではないかもしれないが― になる。それを競争相手として扱うことだ。もしあなたがピザ屋を開いて順調にやっていたとしよう。その近くに誰かがピザ屋を開いたとしても,その町でピザを売るというアイデアは自分のものだと裁判官を説得したりはしないだろう。競争するだけだ。あなたはよくやっており,オリジナルかつ最高であることを下取りしてもらい,同じコンセプトを採用した者が出てきても,思いのままにツールを使ってゲームを成功に導いている。ほとんどの場合,クローンを作ろうとするような奴は劣化コピーになる。先行者利益は大きく,裁判沙汰にするよりも自らの競争力で解決すべきものである。
結局のところ,ゲームのコンセプトについて訴訟する試みは,一般的なビデオゲームでもっと大事なものを見逃している。―すなわち,コンセプトやアイデアはゲーム制作のほんの始まりにすぎないのだ。素晴らしいゲームのアイデアを持った人などありふれているという段階になると,これはほぼ陳腐といっていい。本当に大事なものはアイデアマンのちょっとした思い付きにあるのではない。そのアイデアを見事に実現する能力のほうにあるのだ。
実装が鍵となる。非常にスキルのある人たちのチームで才能と労力をゲームに注ぎ込むことは,誰かが「エウレカ!」と叫ぶ瞬間を大きく上回る。そしてそのような実行力(コンセプトではなく)こそが,法的な保護を受けるにふさわしいのだ。もしPUBG Corpが,いまFortniteはランチを食べていると思っているのなら,その答えはコンセプトをいかにうまく実装しているかを知ることにある。これは市場で解決されるべき問題である。法廷でやるべきものではない。
※本記事はGamesIndustry.bizとのライセンス契約のもとで翻訳されています(元記事はこちら)