カルチャライズとMicrosoftが韓国のために歴史を書き換えた理由
GeogrifyのKate Edwards女史がゲームをグローバルにアピールする方法,そして万一物議を醸してしまった場合にどうすべきかについて語る。
中国では,赤はポジティブなものを表すために使われる。しかし,かなり多くのゲームで赤は受けたダメージや,何かしらネガティブなものを示すために使われる。
また,アジアの一部の国々では,黒の代わりに白が哀悼を表すために使われる。死者を尊重するという慣習に反するため,骸骨を表示することは不適切だ(ゲーム内の敵としても)。
これらは,ゲームがプレイされる文化圏によって,内容がまったく異なるものになってしまうというわずかな例でしかない。多くの異なる宗教,伝統,そして物事の見方がある中で,ターゲットとする人々についてより深く知らずして世界中で楽しんでもらえるゲームを作ることは難しい。
ゲームでのローカライズ(localization)の必要性は十分に確立されているが,上述の例が示すように,単にテキストを各地域の言語に適合させるだけでは,海外市場で勝つには不十分だ。元IGDAのエグゼクティブ・ディレクター,Kate Edwards女史は,デベロッパに対し代わりに,カルチャライズ(culturalisation)にもっと力を入れるよう促す。
その説明によれば「カルチャライズは,オーディエンスやオーディエンスが反応する可能性があるほかのすべてのコンテンツを対象とします。シンボル,ジェスチャー,色使い,キャラクターデザイン,そして,歴史的な寓喩を含むのであればストーリーそのものにまで及ぶでしょう。ほかにもオーディエンスがリアクションするありとあらゆる種類の問題があります」
「言語への対応は基本的な読みやすさのためには不可欠ですが,私がしばしばお薦めするのはカルチャライズです。そのほうがゲーム内容をより意味深いものにするからです。文化をより深く掘り下げ,ある特定の文化のものを使ってコンテンツをより魅力的にすることができるわけです。言語だけでは難しい,ある種の文化的な感覚を呼び起こすことができます」
「ゲームを世界中のなるべく多くの人々に楽しんでもらいたいですが,そのためには言語だけの対応ではいけません。さまざまな言語バージョンに翻訳はできてもコンテンツ自体に潜在的な問題がある場合,各地域が寄せる文化的価値への期待に添えていないということになります」
カルチャライズの目的は多種多様だ。そのプロセスの核心は「コンテンツの到達範囲を最大化する」ことであり,それはデベロッパにとっては潜在的なオーディエンスの拡大となる。カルチャライズはまた,ゲームにおけるいかなるものもプレイヤーの没入を妨げたり,さらに悪い場合としては物議を醸したりしないようにするものだ。Edwards女史は,何かがプレイヤーの文化に共鳴しない場合は,彼らをゲーム体験の外に放り出し,ある重大な事例ではそれどころではなかったと警告する。
そのうえでEdwards女史は,カルチャライズは検閲ということではなく普段は「(政治的に正しい)PCポリス」の一部であると言われていることを強調している。
「私は熱望というもの,そしてデベロッパが作りたいものを作るんだという気持ちを疑いなく信じています。ゲームとは芸術的なものであり,自己表現と言論の自由の形であると強く信じています。デベロッパが何を作ろうと私にはあずかり知らぬことです。ものすごく人種差別的だったり,不道徳的なものだったり,なんでも作れるでしょう。ただ私はそれをプレイするつもりはありませんし,おそらく世の中の99%の人たちもプレイしないでしょう。そのようなゲームを作ったデベロッパはそうやって自分たちで自分の評判を愚かにも下げることになるのではないでしょうか。しかし,そうする自由もあるべきです。ただもしクリエイティブなビジョンでお金を稼ぐことを望んでいるならば,マーケットの力を遵守しなければなりません」
Edwards女史にとってこの集団的な規律には二つの側面がある。すなわち,すぐにリアクションが起きそうなものだけやっておく「リアクティブ」なカルチャライズと,ことが起こる前にやっておく「プロアクティブ」なカルチャライズだ。
「これは,ゲームデザインのフェーズで,回り道をして特定の市場において実際にゲームの感覚を高めるであろうもの,コンテンツ要素などをゲームに入れられるかどうか考えることなのです」とEdwards女史は説明する。
例えば,中東的なキャラクター(もちろんステレオタイプのものではなく)を,それらの地域でのリリース予定のゲームに加えることはできるだろう。ゲームの世界設定がファンタジーだったとしても,いわゆる白人文化以外のキャラクターを追加することでその魅力を広げることができる。
だがそれは,典型的な欧米市場以外のゲーマーをターゲットにすることだけではないということを特筆せねばならない。ゲームを設計するときには,身近な文化であっても注意深く考慮する必要がある。先般「オメガラビリンスZ」が禁止されたのはその典型例だろう(関連英文記事)。本国日本では文化的に受け入れられるものの,ヨーロッパの多くの国々にとっては攻撃的なタイトルである。
「アメリカは敏感なマーケットではないと考えている人もいますが,もちろんそのようなことはありません」とEdwards女史は付け加えた。「セックスやヌード,人種差別などのようなものには極めて敏感です。デベロッパは,アメリカはなんでもありと考えてはいけません。アメリカの違いは,もっとオープンな市場と同様,政府レベルがコンテンツをコントロールするのではなく,小売業者に規制を依存しています。アメリカですべてのゲームが発売されない理由は,(小売大手の)WalmartとTargetがそれらを販売しないからです。そういうことなのです。コンテンツをコントロールするのは小売業者というモデルで,政府が行うのではありません」
また,集団的な規律と,より一般的なローカライズ(localisation)のもう一つの重要な相違点であるカルチャライズついてなるべく早い段階で考えることも重要だ。
「ほとんどのローカライズは,コンテンツが完成するのを待つため,プロダクトサイクルの終わり近くなって行われることがほとんどです」とEdwards女史は話す。「コンテンツが完成するのを待つ,すなわち翻訳は行えても内容が変わることはありません。カルチャライズ,それが私の仕事の大部分ですが,約75%はコンテンツ制作の初期段階で終わります。プロデューサー,作家,アーティストと共に机を囲み,初期のコンセプト画と極めて初期の脚本を見ながら,その物語には誰が出てくるのか,何が起きるのか,彼らが作り出そうとする世界を理解したいと努めます。私は自分自身を(ゲーム)世界を創造するためのパートナー的な存在だと思っています。創ろうとする世界にまつわる仮定や前提づくりの手伝いができればと思っています」
Edwards女史は,カルチャライズのスペシャリストであるGeogrifyで10年以上仕事をしているが,これはそのキャリアで常に考えてきたことだ。彼女が提供してくれた有名な例の一つは,1997年にリリースされたエイジ オブ エンパイアの第1作で,ゲームを適応させることは自分自身の道徳的な指針に疑問を投げかけることを彼女に教えた。デベロッパが,「譲れない一線をどこに引くのか」を改めて再考するのはもっともなことかもしれない。
エイジ オブ エンパイアのシナリオには,中世に大和朝廷が朝鮮半島に進軍し,李氏朝鮮を占領するくだりがあった。
「私たちは事態から一歩離れ,どうするか自分たちに問いかけました。Microsoftはゲーム業界に参入する長期的な戦略を持っており,私たちはゲームの業界で優位に立ちたいと考えていました。市場調査によれば,韓国ではRTSゲームがとても人気でした ―1997年のことです―,そして1年後にスタークラフトで何が起きたのかは周知の事実です」
「そしてこのような疑問に直面しました。『私たちは歴史を変えてしまうことになるのだろうか? この一国の政府が言うことのために歴史を変えるのか?』もちろんご想像の通り,『真実』は何か? 誰が『真実』を決めるのか? というような倫理的な議論が行われました。勝者によって書かれた歴史についてなど,ありとあらゆる議論,討論です。それらは良いディスカッションでした。しかし最終的には,会社の事業を守るための結論を下さねばなりませんでした」
最終的に,制作チームはシナリオの該当部分だけ変更を加えて別バージョンを作り,韓国のみでリリースすることにした。韓国版では,李氏朝鮮が日本を侵略したことになっている。これは史実ではないが韓国国家情報院を鎮めるに至った。
「私たちはそれがビジネスにとっては正しかったと最終的には思っています」とEdwards女史は言う。「Microsoftは一線を越えたのか。彼らが越えた一線とは何だったのか。それらについて人々は議論するかもしれません。もしその一線が基本的に,文化的な意味で,リリースする地域の期待に応える内容に調整するというものなのだとすれば,彼らはやるべきことをやったことになります。もし歴史的な観点で真実を扱っていなかったのであれば,期待に応えていないということです。それがエイジ オブ エンパイアのあるべき姿なのでしょうか? 違うと思います。エイジ オブ エンパイアのほかのバージョンではアステカ文明に戦車があったことになっています,実際にはありませんでした。エイジ オブ エンパイアはどのくらい正確であるべきなのでしょうか? そうではありません。基本的に,エンターテイメントとして,そしてとても面白いゲームにするために歴史をバックグラウンドとして使っているのです」
「私にとっては,それがカルチャライズです。これらすべての要素を考慮に入れ,基本的にゲーム,デベロッパ,そしてデベロッパのゲームに対するビジョンにとって正しいと思うことをしなければなりません」
その決定はまた,ジャンルや歴史的精度に関係なく,将来的に韓国でゲームをリリースの可能性を確実にするためになされたことにも言及し,もしMicrosoftが韓国側の懸念を否定した場合,事実上,市場から締め出されていただろうとEdwards女史は言い添えた。
では,もしゲームが海外市場でリリースされ,苦情が殺到したらデベロッパはどうすればいいのだろうか? まず,パニックにならないようにすることだとEdwards女史は促す。反射的な対応や大慌てでの仕様変更につながる可能性があるからだ。
「多くの場合,騒ぎ立てているある一つの市場を和らげるためにゲームの内容を変えることは,そのエリアにおける近しいマーケットや,人々を怒らせることを意味します。内容を変えることで,逆に自分で状況をはるかに悪化させてしまうのです。反射的な対応については,極めて慎重でなければいけません」とEdwards女史は警告する。
代わりに,デベロッパはゲームのゴールはどこか,自分たちの会社について,そしてその市場で今後さらに事業を行っていく予定があるかどうかについて考える必要がある。もしゲーム内に,デザイン,ナラティブ,そのほかの側面で固有の内容がある場合,デベロッパはそれを守りきる用意があるのかどうかはっきりしておかねばならない。
Edwards女史は続ける。「これまで何度も見てきましたが,「かっこいいと思ったからやりました」だけではないきちんとした回答を用意しておかねばなりません。私はデベロッパの皆さんに,潜在的に微妙かもしれないと知っていながら,なぜあえてその特定の選択肢を作ったのか,1-2ページの説明を文章で用意しておくことをお薦めします。そうすれば,もし政府などから尋ねられたら実際にそれを見せることができます。そして,『我々は熟慮を重ねた。学識者に相談し,この方と話をし,市場調査を行い,その上でこれは大きな問題ではないと判断した。だからこうしたのだ,宿題はやってある』と」
「ときにはそれが実際に助けになり,攻撃してくる人たちを多少なりとも後退させることができます。あなたがしたことを嫌う人もいるでしょうが,無知でやったのではないことを示します。無知,それがしばしば最大の問題なのです。あなたが問題を起こしたとします。無知ゆえにしてしまったのではないとしても,物議を醸す99%の場合で,とくにうっかりの場合,糾弾する側は何か理由があってやったのだと考えます。彼らはそれがわざとであったと信じるのです。そしてほとんどの場合,そんなことはなく,無知なだけなのです」
「その裏側で,私が多くの人が押し返してきて言うのを聞きました。『この宣伝はゲームにとってはいいことではないのか? 私が何か人々をイラつかせることをして,皆がレポートするのは問題ないのではないか? いいことではないのか?』悪い宣伝などというものはないという考え方があります。そういう事実もありますが,『皆を怒らせる会社』として世に知られたいですか?」
中国では,赤はポジティブなものを表すために使われる。しかし,かなり多くのゲームで赤は受けたダメージや,何かしらネガティブなものを示すために使われる。
また,アジアの一部の国々では,黒の代わりに白が哀悼を表すために使われる。死者を尊重するという慣習に反するため,骸骨を表示することは不適切だ(ゲーム内の敵としても)。
これらは,ゲームがプレイされる文化圏によって,内容がまったく異なるものになってしまうというわずかな例でしかない。多くの異なる宗教,伝統,そして物事の見方がある中で,ターゲットとする人々についてより深く知らずして世界中で楽しんでもらえるゲームを作ることは難しい。
その説明によれば「カルチャライズは,オーディエンスやオーディエンスが反応する可能性があるほかのすべてのコンテンツを対象とします。シンボル,ジェスチャー,色使い,キャラクターデザイン,そして,歴史的な寓喩を含むのであればストーリーそのものにまで及ぶでしょう。ほかにもオーディエンスがリアクションするありとあらゆる種類の問題があります」
「言語への対応は基本的な読みやすさのためには不可欠ですが,私がしばしばお薦めするのはカルチャライズです。そのほうがゲーム内容をより意味深いものにするからです。文化をより深く掘り下げ,ある特定の文化のものを使ってコンテンツをより魅力的にすることができるわけです。言語だけでは難しい,ある種の文化的な感覚を呼び起こすことができます」
「ゲームを世界中のなるべく多くの人々に楽しんでもらいたいですが,そのためには言語だけの対応ではいけません。さまざまな言語バージョンに翻訳はできてもコンテンツ自体に潜在的な問題がある場合,各地域が寄せる文化的価値への期待に添えていないということになります」
カルチャライズの目的は多種多様だ。そのプロセスの核心は「コンテンツの到達範囲を最大化する」ことであり,それはデベロッパにとっては潜在的なオーディエンスの拡大となる。カルチャライズはまた,ゲームにおけるいかなるものもプレイヤーの没入を妨げたり,さらに悪い場合としては物議を醸したりしないようにするものだ。Edwards女史は,何かがプレイヤーの文化に共鳴しない場合は,彼らをゲーム体験の外に放り出し,ある重大な事例ではそれどころではなかったと警告する。
「言語への対応は基本的な読みやすさのためには不可欠ですが,私がしばしばお薦めするのはカルチャライズです。そのほうがゲーム内容をより意味深いものにするからです」
「いくつかのケースでは,政府にまで飛び火し警戒させてしまった結果,そのゲームが『攻撃的』であるということで禁止されることすらあります」と警告する。そのうえでEdwards女史は,カルチャライズは検閲ということではなく普段は「(政治的に正しい)PCポリス」の一部であると言われていることを強調している。
「私は熱望というもの,そしてデベロッパが作りたいものを作るんだという気持ちを疑いなく信じています。ゲームとは芸術的なものであり,自己表現と言論の自由の形であると強く信じています。デベロッパが何を作ろうと私にはあずかり知らぬことです。ものすごく人種差別的だったり,不道徳的なものだったり,なんでも作れるでしょう。ただ私はそれをプレイするつもりはありませんし,おそらく世の中の99%の人たちもプレイしないでしょう。そのようなゲームを作ったデベロッパはそうやって自分たちで自分の評判を愚かにも下げることになるのではないでしょうか。しかし,そうする自由もあるべきです。ただもしクリエイティブなビジョンでお金を稼ぐことを望んでいるならば,マーケットの力を遵守しなければなりません」
Edwards女史にとってこの集団的な規律には二つの側面がある。すなわち,すぐにリアクションが起きそうなものだけやっておく「リアクティブ」なカルチャライズと,ことが起こる前にやっておく「プロアクティブ」なカルチャライズだ。
「これは,ゲームデザインのフェーズで,回り道をして特定の市場において実際にゲームの感覚を高めるであろうもの,コンテンツ要素などをゲームに入れられるかどうか考えることなのです」とEdwards女史は説明する。
「アメリカは敏感なマーケットではないと考えている人もいますが,セックスやヌード,人種差別などのようなものには極めて敏感です。デベロッパは,アメリカはなんでもありと考えてはいけません」
「明確に中国や中東をターゲットにしたいのであれば,彼の地のプレイヤーにもっとアピールするために付け加えられるものはあるでしょうか? 北米やヨーロッパなどでは,ほかのマーケットのプレイヤーはあってもなくても気にしないかもしれませんが,そのようなターゲット市場のために,ゲーム・エクスペリエンスをより良くするためにできることはあるのです」例えば,中東的なキャラクター(もちろんステレオタイプのものではなく)を,それらの地域でのリリース予定のゲームに加えることはできるだろう。ゲームの世界設定がファンタジーだったとしても,いわゆる白人文化以外のキャラクターを追加することでその魅力を広げることができる。
だがそれは,典型的な欧米市場以外のゲーマーをターゲットにすることだけではないということを特筆せねばならない。ゲームを設計するときには,身近な文化であっても注意深く考慮する必要がある。先般「オメガラビリンスZ」が禁止されたのはその典型例だろう(関連英文記事)。本国日本では文化的に受け入れられるものの,ヨーロッパの多くの国々にとっては攻撃的なタイトルである。
「アメリカは敏感なマーケットではないと考えている人もいますが,もちろんそのようなことはありません」とEdwards女史は付け加えた。「セックスやヌード,人種差別などのようなものには極めて敏感です。デベロッパは,アメリカはなんでもありと考えてはいけません。アメリカの違いは,もっとオープンな市場と同様,政府レベルがコンテンツをコントロールするのではなく,小売業者に規制を依存しています。アメリカですべてのゲームが発売されない理由は,(小売大手の)WalmartとTargetがそれらを販売しないからです。そういうことなのです。コンテンツをコントロールするのは小売業者というモデルで,政府が行うのではありません」
また,集団的な規律と,より一般的なローカライズ(localisation)のもう一つの重要な相違点であるカルチャライズついてなるべく早い段階で考えることも重要だ。
「ほとんどのローカライズは,コンテンツが完成するのを待つため,プロダクトサイクルの終わり近くなって行われることがほとんどです」とEdwards女史は話す。「コンテンツが完成するのを待つ,すなわち翻訳は行えても内容が変わることはありません。カルチャライズ,それが私の仕事の大部分ですが,約75%はコンテンツ制作の初期段階で終わります。プロデューサー,作家,アーティストと共に机を囲み,初期のコンセプト画と極めて初期の脚本を見ながら,その物語には誰が出てくるのか,何が起きるのか,彼らが作り出そうとする世界を理解したいと努めます。私は自分自身を(ゲーム)世界を創造するためのパートナー的な存在だと思っています。創ろうとする世界にまつわる仮定や前提づくりの手伝いができればと思っています」
Edwards女史は,カルチャライズのスペシャリストであるGeogrifyで10年以上仕事をしているが,これはそのキャリアで常に考えてきたことだ。彼女が提供してくれた有名な例の一つは,1997年にリリースされたエイジ オブ エンパイアの第1作で,ゲームを適応させることは自分自身の道徳的な指針に疑問を投げかけることを彼女に教えた。デベロッパが,「譲れない一線をどこに引くのか」を改めて再考するのはもっともなことかもしれない。
エイジ オブ エンパイアのシナリオには,中世に大和朝廷が朝鮮半島に進軍し,李氏朝鮮を占領するくだりがあった。
「多くの場合,騒ぎ立てているある一つの市場を和らげるためにゲームの内容を変えることは,その隣人を怒らせることを意味します」
「歴史家たちが史実だと立証しているにも関わらず,韓国国家情報院はこれは実際には起きていないことだと言いました」とEdwards女史は説明する。「こういう場合はどうすればよいのでしょうか?」「私たちは事態から一歩離れ,どうするか自分たちに問いかけました。Microsoftはゲーム業界に参入する長期的な戦略を持っており,私たちはゲームの業界で優位に立ちたいと考えていました。市場調査によれば,韓国ではRTSゲームがとても人気でした ―1997年のことです―,そして1年後にスタークラフトで何が起きたのかは周知の事実です」
「そしてこのような疑問に直面しました。『私たちは歴史を変えてしまうことになるのだろうか? この一国の政府が言うことのために歴史を変えるのか?』もちろんご想像の通り,『真実』は何か? 誰が『真実』を決めるのか? というような倫理的な議論が行われました。勝者によって書かれた歴史についてなど,ありとあらゆる議論,討論です。それらは良いディスカッションでした。しかし最終的には,会社の事業を守るための結論を下さねばなりませんでした」
最終的に,制作チームはシナリオの該当部分だけ変更を加えて別バージョンを作り,韓国のみでリリースすることにした。韓国版では,李氏朝鮮が日本を侵略したことになっている。これは史実ではないが韓国国家情報院を鎮めるに至った。
「私たちはそれがビジネスにとっては正しかったと最終的には思っています」とEdwards女史は言う。「Microsoftは一線を越えたのか。彼らが越えた一線とは何だったのか。それらについて人々は議論するかもしれません。もしその一線が基本的に,文化的な意味で,リリースする地域の期待に応える内容に調整するというものなのだとすれば,彼らはやるべきことをやったことになります。もし歴史的な観点で真実を扱っていなかったのであれば,期待に応えていないということです。それがエイジ オブ エンパイアのあるべき姿なのでしょうか? 違うと思います。エイジ オブ エンパイアのほかのバージョンではアステカ文明に戦車があったことになっています,実際にはありませんでした。エイジ オブ エンパイアはどのくらい正確であるべきなのでしょうか? そうではありません。基本的に,エンターテイメントとして,そしてとても面白いゲームにするために歴史をバックグラウンドとして使っているのです」
「私にとっては,それがカルチャライズです。これらすべての要素を考慮に入れ,基本的にゲーム,デベロッパ,そしてデベロッパのゲームに対するビジョンにとって正しいと思うことをしなければなりません」
その決定はまた,ジャンルや歴史的精度に関係なく,将来的に韓国でゲームをリリースの可能性を確実にするためになされたことにも言及し,もしMicrosoftが韓国側の懸念を否定した場合,事実上,市場から締め出されていただろうとEdwards女史は言い添えた。
「物議を醸す99%の場合で,とくにうっかりの場合,糾弾する側は何か理由があってやったのだと考えます。彼らはそれがわざとであったと信じるのです」
「多くのデベロッパは,多くの政府がこの種のことについて長いこと記憶を留めていることを理解していません」とEdwards女史は警告する。「彼らが簡単に忘れることはありません。ご機嫌を聞いて言われた通りにしなければならないと言っているわけではありませんが,あるゲームにおけるたった一つの決定がある特定のマーケットではどういうことを引き起こすかという長期的な影響を十分に認識しなければなりません。許してくれる政府もありますが,中国のようにそうでない場合もあります」では,もしゲームが海外市場でリリースされ,苦情が殺到したらデベロッパはどうすればいいのだろうか? まず,パニックにならないようにすることだとEdwards女史は促す。反射的な対応や大慌てでの仕様変更につながる可能性があるからだ。
「多くの場合,騒ぎ立てているある一つの市場を和らげるためにゲームの内容を変えることは,そのエリアにおける近しいマーケットや,人々を怒らせることを意味します。内容を変えることで,逆に自分で状況をはるかに悪化させてしまうのです。反射的な対応については,極めて慎重でなければいけません」とEdwards女史は警告する。
代わりに,デベロッパはゲームのゴールはどこか,自分たちの会社について,そしてその市場で今後さらに事業を行っていく予定があるかどうかについて考える必要がある。もしゲーム内に,デザイン,ナラティブ,そのほかの側面で固有の内容がある場合,デベロッパはそれを守りきる用意があるのかどうかはっきりしておかねばならない。
Edwards女史は続ける。「これまで何度も見てきましたが,「かっこいいと思ったからやりました」だけではないきちんとした回答を用意しておかねばなりません。私はデベロッパの皆さんに,潜在的に微妙かもしれないと知っていながら,なぜあえてその特定の選択肢を作ったのか,1-2ページの説明を文章で用意しておくことをお薦めします。そうすれば,もし政府などから尋ねられたら実際にそれを見せることができます。そして,『我々は熟慮を重ねた。学識者に相談し,この方と話をし,市場調査を行い,その上でこれは大きな問題ではないと判断した。だからこうしたのだ,宿題はやってある』と」
「ときにはそれが実際に助けになり,攻撃してくる人たちを多少なりとも後退させることができます。あなたがしたことを嫌う人もいるでしょうが,無知でやったのではないことを示します。無知,それがしばしば最大の問題なのです。あなたが問題を起こしたとします。無知ゆえにしてしまったのではないとしても,物議を醸す99%の場合で,とくにうっかりの場合,糾弾する側は何か理由があってやったのだと考えます。彼らはそれがわざとであったと信じるのです。そしてほとんどの場合,そんなことはなく,無知なだけなのです」
「その裏側で,私が多くの人が押し返してきて言うのを聞きました。『この宣伝はゲームにとってはいいことではないのか? 私が何か人々をイラつかせることをして,皆がレポートするのは問題ないのではないか? いいことではないのか?』悪い宣伝などというものはないという考え方があります。そういう事実もありますが,『皆を怒らせる会社』として世に知られたいですか?」
※本記事はGamesIndustry.bizとのライセンス契約のもとで翻訳されています(元記事はこちら)