世界を変えつつ“フィーチャー・クリープ”を克服する
スウェーデンのゲーム会社Jovian IndustriesのLaura Bularca女史による効率的で効果的なゲーム開発のための哲学的アプローチ。
ゲームのリリースというものはしばしば遅れがちで,私たちは皆,その理由を知っています。エンドレスに機能追加とリファクタリングをやってしまう「フィーチャー・クリープ」と言われるもののためです。なぜそのような失敗を犯すのかと言えば,私たち開発者が完璧を目指すからです。では,どうすれば過大になることなくクオリティを追求することができるでしょうか。
私たちは,開発中のゲームがついに翼を得る,まさにその瞬間に集中し,そこを仕上がりとしなければなりません。すべての開発者が最も恐れている瞬間,リリースが苦にならない方法を見つけなければならないのです。
フィーチャー・クリープとは何でしょうか? Wikipediaがいい定義を出しています。「プロダクトの新しい機能の継続的な拡張または追加……これらの追加された機能は,製品の基本機能を超えており,シンプルな設計ではなく,ソフトウェアの肥大化や複雑化を招く可能性がある」
(編注:要するに仕様変更を繰り返しすぎること)
ゲームのデザインは決してシンプルなものではありません。ゲームというものは,コードをアート,サウンド,ムーブメント,インタラクションと組み合わせることによって複雑な経験を生み出す一方で,外部エンティティであるプレイヤーについてはコントロールすることはなく,権限を与えています。クリエイターはゲームを「完成」させることはできても,ゲームが生きるのはプレイヤーの手元のみであり,そのプレイ結果に作った本人ですら驚かされることがあります。
この厳しいゲーム制作に対抗するために,多くの開発者は自分が知っているものだけに終始することを選びます。それが,多くのゲームがピッチ(売り込み)の際に「チョコレートとピーナッツバター」テクニックを使う理由です。すなわち,基本的にはあるゲームXと同じようなものでありつつも,また別のゲームYが成功した要素を織り込むのです。しかしこれは深淵さを目指す革新的なプロダクトを創り出そうとする際には有害になるかもしれません。
私たちは「Heart. Papers. Border.」で深みのあるゲームを目指しています。フィーチャー・クリープにはことごとく悩まされましたし,制作やプロマネが何年にも及ぶ中,厳密な計画と適切なタスク説明責任があればゲームを軌道に乗せるのに十分だと錯覚したものでしたが,結局のところ私たちを最も助けてくれた方法は違うものでした。
これらの方法は,プロダクションとはあまり関係がなく,むしろ,見方,哲学,デザインの方がもっと深く関係していたのです。
「Heart. Papers. Border.」は旅,自由,世界を変えることについての楽観的な戦略ゲームです。現在の世界の政治,台頭する民族主義運動の影響,そして継続している難民危機は,私たちに大きな影響を与えているテーマで,このゲームは世界に変化を起こすための私たちなりの手段なのです。
ある場所に生まれ落ちた恩恵または不幸,旅をして世界の人々はみんな思ったよりずっと多くあなたと共通したものを持っていると気がつくことの喜び,そして,悲しみや不公平のバリアが生成されてしまうこと。私たちは「Heart. Papers. Border.」を通じてこういったことを人々に考えてほしいと願っています。
そのことを念頭に置いて,私たちが「Heart. Papers. Border.」でできる最も重要な唯一のことは「伝えること」だと思っています。世界でいま起きていることは,私の緊急感にしか訴えてきません。私たちには共通点があること,優しさというものや援助しようとする意思について,ポジティブな対話を促進できるよう,できることをしなければなりません。ボンヤリしている暇はないのです。
私は業界が完璧主義に支配されることに恐怖感を感じています。もっとうまくできるはずですが,「よし,完了」と,チェックするすべてのタスクを網羅できる人などいません。むしろ私の中のヒューマンな部分で「Heart. Papers. Border.」がリリースできるタイミングを予測するのです。それがゲームのプレイヤーと私たちが関係性を構築し始めることができる瞬間と考えています。
私たちが集中力を保つのにこの哲学は役に立ちました。
私たちは「Heart. Papers. Border.」が意味するところを真剣に受け止めています。エグゼキューションや,それがスキルを含め私たちについて示唆するのはあくまでも副次的なものです。これは,リファクタリングや新しい機能の追加に際して,自分たちがよりシビアになれる一助になります。
ゲーム業界はしばしばその力を過小評価しています。私たち開発者がそう思おうが否かを問わず,ゲームはプレイヤーに影響を与え,また,あまりにも多くのゲームが純粋に「楽しむ」ためだけに開発されています。しかし,世界中のオーディエンスの多様性を考えれば,楽しいかどうかは極めて主観的であり,定義が難しいものです。オーディエンスはただ「楽しい」ということ以上にはるかに強く反応するかもしれません。
私たちのターゲットオーディエンスは,「Papers, Please!」や「Plague Inc. - 伝染病株式会社」のようなゲームを楽しむ戦略的シミュレータープレイヤーではなく,友人であるMichelaです。彼女は36歳の母親で,旅行が大好きですが子育て中で家に閉じこもっています。私たちのターゲットオーディエンスはまた,旅行サイトやデジタルノマドのサイトRedditのグループを見ていて,ニュースに強い興味を持っています。そういう人たちの多くはSteamやGOG,Humble Bundleを知りません。私たちは 新機能が更新履歴のドアをノックするたびに,自分たちに問いかけます。「Michelaはそこに待つほどの価値があると思うだろうか?」と。
ある機能はときに,柱に関してやそのほかのあらゆるテストをしなくてもよいと思うほどに小さく見えることがあります。とても簡単に開発できますし,実装の容易さにもかかわらず,付加価値をつけられることをありがたいと思うでしょう。私たちはトリックや機能がどれほどシンプルであってもそれを精査するというルールを作りましたが,それは苦い思いをして学んだ教訓だったのです。
「Heart. Papers. Border.」はかなり静的な2Dゲームです。私たちはそれでは精彩に欠けるかもしれないと思ったので,初めて参加する大きなゲームショー,ドイツ・ベルリンで開催されたCasual Connectの数日前に,雲が画面を横切る演出を追加することに決めました。ビジュアルエフェクトは素晴らしかったのですが,インタラクティブ・マップをカバーしているため,雲によってゲームプレイの操作が困難になってしまいました。簡単な修正として始めたものは,ダイナミック・トランスペアレンシーに関する全面的な議論となり,ゲームプレイとしては得るものが何もない,ほんのちょっとした動きが追加されたのみとなってしまったのです。
プロジェクト・マネジメント・トライアングル理論(編注:1950年代から提唱されているとされるプロマネにおけるモデルで,仕事のクオリティは予算,締切り,スコープ(機能)により制約を受けるため,そのバランスをうまく取ることが肝要とされる)は,仕事のクオリティはプロジェクトの予算と時間に制約されていると述べています。このビジネスモデルでは,ゲームのクオリティは時間やお金を湯水のように使うことによってのみ保証されることになります。
私たちはこれを認めません。プレイ可能なプロトタイプで繰り返し作業することが賢い仕事の仕方であり,がむしゃらにやればいいというものではありません。私たちはいくつかのゲームイベントを選び,プレゼンテーション,プレイテスト,フィードバックの収集を行いました。すべてのイベントはビルドやマーケティング資料,実証可能なプログレスを必要としていたため,ワークロードと,実際にバックログに潜入した新しいアイデアを精査するしかありませんでした。
プロセスが遅れていると,いまだに恥ずかしいと感じます。疲れていたり,燃え尽きたりしているだけでも,すぐに自分自身を怠惰だと思ってしまうのです。
ですから,私は自分がその状態に陥ったことに気付くと,心身ともに休息を取るようにしています。ゲームに参加して,まったく異なる種類のメカニックや視点にフォーカスして創造的な息抜きをするようにしています。
健康で幸せに,心穏やかにしてることが最も重要なコツです。疲れていたり,ストレスに晒されていたり,病気だったら,自分で自分の判断を信頼することができません。それに,あなたの周りを見回してみてください。疲れていたり,ストレスを受けていたり,病気持ちの人々は心が沈むような話をするものです。旅,自由,そして世界を変えることについての前向きな戦略ゲームは,ひどい心の状態では作れません。
ゲームのリリースというものはしばしば遅れがちで,私たちは皆,その理由を知っています。エンドレスに機能追加とリファクタリングをやってしまう「フィーチャー・クリープ」と言われるもののためです。なぜそのような失敗を犯すのかと言えば,私たち開発者が完璧を目指すからです。では,どうすれば過大になることなくクオリティを追求することができるでしょうか。
私たちは,開発中のゲームがついに翼を得る,まさにその瞬間に集中し,そこを仕上がりとしなければなりません。すべての開発者が最も恐れている瞬間,リリースが苦にならない方法を見つけなければならないのです。
ゲームを作ることは「フィーチャー・クリープ」
フィーチャー・クリープとは何でしょうか? Wikipediaがいい定義を出しています。「プロダクトの新しい機能の継続的な拡張または追加……これらの追加された機能は,製品の基本機能を超えており,シンプルな設計ではなく,ソフトウェアの肥大化や複雑化を招く可能性がある」
(編注:要するに仕様変更を繰り返しすぎること)
ゲームのデザインは決してシンプルなものではありません。ゲームというものは,コードをアート,サウンド,ムーブメント,インタラクションと組み合わせることによって複雑な経験を生み出す一方で,外部エンティティであるプレイヤーについてはコントロールすることはなく,権限を与えています。クリエイターはゲームを「完成」させることはできても,ゲームが生きるのはプレイヤーの手元のみであり,そのプレイ結果に作った本人ですら驚かされることがあります。
「クリエイターはゲームを「完成」させることはできても,ゲームが生きるのはプレイヤーの手元のみであり,そのプレイ結果に作った本人ですら驚かされることがあります」
ゲームが最終的にどのようなものになるのか予測するどころか,オーディエンスにどう使われるかさえも予測することはできません。ですからゲーム制作において,何か月もかけて(年単位のほうが多いかもしれませんが)開発される一連の機能を当初の予定通りきっちり維持することはやや現実離れしています。あえて言いますが,ゲームを作るプロセスは,クリエイターが当初思い描いたことを表現できるまでは,やはりフィーチャー・クリープなのです。しかし,それはプロダクトやデリバリー,またはその両方を遅らせるという変化の激しい業界に私たちを置くことになります。この厳しいゲーム制作に対抗するために,多くの開発者は自分が知っているものだけに終始することを選びます。それが,多くのゲームがピッチ(売り込み)の際に「チョコレートとピーナッツバター」テクニックを使う理由です。すなわち,基本的にはあるゲームXと同じようなものでありつつも,また別のゲームYが成功した要素を織り込むのです。しかしこれは深淵さを目指す革新的なプロダクトを創り出そうとする際には有害になるかもしれません。
私たちは「Heart. Papers. Border.」で深みのあるゲームを目指しています。フィーチャー・クリープにはことごとく悩まされましたし,制作やプロマネが何年にも及ぶ中,厳密な計画と適切なタスク説明責任があればゲームを軌道に乗せるのに十分だと錯覚したものでしたが,結局のところ私たちを最も助けてくれた方法は違うものでした。
これらの方法は,プロダクションとはあまり関係がなく,むしろ,見方,哲学,デザインの方がもっと深く関係していたのです。
リリースは終わりではなく始まり
「Heart. Papers. Border.」は旅,自由,世界を変えることについての楽観的な戦略ゲームです。現在の世界の政治,台頭する民族主義運動の影響,そして継続している難民危機は,私たちに大きな影響を与えているテーマで,このゲームは世界に変化を起こすための私たちなりの手段なのです。
ある場所に生まれ落ちた恩恵または不幸,旅をして世界の人々はみんな思ったよりずっと多くあなたと共通したものを持っていると気がつくことの喜び,そして,悲しみや不公平のバリアが生成されてしまうこと。私たちは「Heart. Papers. Border.」を通じてこういったことを人々に考えてほしいと願っています。
「自分たちのプロダクトが持つ影響力に責任があると感じています。ゲーム業界では,そういう責任は真摯に受け止められないことが多く,ゲームがプレイヤーに強い影響を及ぼす可能性があることを忘れてしまいがちです」
私たちはクリエイターとして,自分たちのプロダクトが持つ影響力に責任があると感じています。ゲーム業界では,そういう責任は真摯に受け止められないことが多く,ゲームがプレイヤーに強い影響を及ぼす可能性があることを忘れてしまいがちです。もし私たちが開発するゲームのほとんどがアドレナリンや競争,破壊といったものにフォーカスしていたら,それらのゲームが紡ぐ物語も同様のものになるのです。代替的なものに興味をもつ人は,すぐにバランスの欠如に気づくでしょう。そのことを念頭に置いて,私たちが「Heart. Papers. Border.」でできる最も重要な唯一のことは「伝えること」だと思っています。世界でいま起きていることは,私の緊急感にしか訴えてきません。私たちには共通点があること,優しさというものや援助しようとする意思について,ポジティブな対話を促進できるよう,できることをしなければなりません。ボンヤリしている暇はないのです。
私は業界が完璧主義に支配されることに恐怖感を感じています。もっとうまくできるはずですが,「よし,完了」と,チェックするすべてのタスクを網羅できる人などいません。むしろ私の中のヒューマンな部分で「Heart. Papers. Border.」がリリースできるタイミングを予測するのです。それがゲームのプレイヤーと私たちが関係性を構築し始めることができる瞬間と考えています。
私たちが集中力を保つのにこの哲学は役に立ちました。
意図するところから始めよう
私たちは「Heart. Papers. Border.」が意味するところを真剣に受け止めています。エグゼキューションや,それがスキルを含め私たちについて示唆するのはあくまでも副次的なものです。これは,リファクタリングや新しい機能の追加に際して,自分たちがよりシビアになれる一助になります。
ゲーム業界はしばしばその力を過小評価しています。私たち開発者がそう思おうが否かを問わず,ゲームはプレイヤーに影響を与え,また,あまりにも多くのゲームが純粋に「楽しむ」ためだけに開発されています。しかし,世界中のオーディエンスの多様性を考えれば,楽しいかどうかは極めて主観的であり,定義が難しいものです。オーディエンスはただ「楽しい」ということ以上にはるかに強く反応するかもしれません。
自分自身のデザイン柱をリスペクトする
「私たちのターゲットオーディエンスはまた,旅行サイトやデジタルノマドのサイトRedditのグループを見ていて,ニュースに強い興味を持っています。そういう人たちの多くはSteamやGOG,Humble Bundleを知りません」
ゲームの中核となるデザインの柱は,まさにゲームの意義,すなわち,楽観主義,達成感,好奇心,声明,バランスなどのすべてに関係しています。ゲームのすべての機能は,これらの柱,すなわちその意義に対して測られます。新しい機能について話すたびに,私たち自身に問いかけます。「これは楽観的な機能か?」「達成感を提供するか?」「私たちが伝えたいことの口火を切ってくれるか?」「プレイヤーに好奇心を持たせるものか?」「ゲームの残りの部分と整合性があるか,これまでに作ってきたものとバランスが取れているか?」ターゲットとなるオーディエンスを理解する
私たちのターゲットオーディエンスは,「Papers, Please!」や「Plague Inc. - 伝染病株式会社」のようなゲームを楽しむ戦略的シミュレータープレイヤーではなく,友人であるMichelaです。彼女は36歳の母親で,旅行が大好きですが子育て中で家に閉じこもっています。私たちのターゲットオーディエンスはまた,旅行サイトやデジタルノマドのサイトRedditのグループを見ていて,ニュースに強い興味を持っています。そういう人たちの多くはSteamやGOG,Humble Bundleを知りません。私たちは 新機能が更新履歴のドアをノックするたびに,自分たちに問いかけます。「Michelaはそこに待つほどの価値があると思うだろうか?」と。
どんなに小さいことでもすべてを精査する
ある機能はときに,柱に関してやそのほかのあらゆるテストをしなくてもよいと思うほどに小さく見えることがあります。とても簡単に開発できますし,実装の容易さにもかかわらず,付加価値をつけられることをありがたいと思うでしょう。私たちはトリックや機能がどれほどシンプルであってもそれを精査するというルールを作りましたが,それは苦い思いをして学んだ教訓だったのです。
「Heart. Papers. Border.」はかなり静的な2Dゲームです。私たちはそれでは精彩に欠けるかもしれないと思ったので,初めて参加する大きなゲームショー,ドイツ・ベルリンで開催されたCasual Connectの数日前に,雲が画面を横切る演出を追加することに決めました。ビジュアルエフェクトは素晴らしかったのですが,インタラクティブ・マップをカバーしているため,雲によってゲームプレイの操作が困難になってしまいました。簡単な修正として始めたものは,ダイナミック・トランスペアレンシーに関する全面的な議論となり,ゲームプレイとしては得るものが何もない,ほんのちょっとした動きが追加されたのみとなってしまったのです。
プロジェクトを賢く管理する
プロジェクト・マネジメント・トライアングル理論(編注:1950年代から提唱されているとされるプロマネにおけるモデルで,仕事のクオリティは予算,締切り,スコープ(機能)により制約を受けるため,そのバランスをうまく取ることが肝要とされる)は,仕事のクオリティはプロジェクトの予算と時間に制約されていると述べています。このビジネスモデルでは,ゲームのクオリティは時間やお金を湯水のように使うことによってのみ保証されることになります。
私たちはこれを認めません。プレイ可能なプロトタイプで繰り返し作業することが賢い仕事の仕方であり,がむしゃらにやればいいというものではありません。私たちはいくつかのゲームイベントを選び,プレゼンテーション,プレイテスト,フィードバックの収集を行いました。すべてのイベントはビルドやマーケティング資料,実証可能なプログレスを必要としていたため,ワークロードと,実際にバックログに潜入した新しいアイデアを精査するしかありませんでした。
健康で,心安らかに,そしてハッピーであれ
プロセスが遅れていると,いまだに恥ずかしいと感じます。疲れていたり,燃え尽きたりしているだけでも,すぐに自分自身を怠惰だと思ってしまうのです。
ですから,私は自分がその状態に陥ったことに気付くと,心身ともに休息を取るようにしています。ゲームに参加して,まったく異なる種類のメカニックや視点にフォーカスして創造的な息抜きをするようにしています。
健康で幸せに,心穏やかにしてることが最も重要なコツです。疲れていたり,ストレスに晒されていたり,病気だったら,自分で自分の判断を信頼することができません。それに,あなたの周りを見回してみてください。疲れていたり,ストレスを受けていたり,病気持ちの人々は心が沈むような話をするものです。旅,自由,そして世界を変えることについての前向きな戦略ゲームは,ひどい心の状態では作れません。
※本記事はGamesIndustry.bizとのライセンス契約のもとで翻訳されています(元記事はこちら)