ゲーム制作の現場をより働きやすい場所にするには

ブログ「EAの配偶者」が業界の劣悪な労働状況を嘆いて以来,業界は大きく変わった。しかしまだ多くの問題が残されている。

 GamesIndustry.bizの「ベスト・プレイス・トゥ・ワーク・アワード(“Best Places To Work” awards - 最高の職場で賞)」のようなものが存在するという事実は,ゲームビジネスがここ数十年でいかに変わったかの証と言える。

 もし我々のこのようなサイトが2000年代初頭に始まっていたとすれば,編集部に寄せられるエントリーのメールはおそらく極めて皮肉に満ちあふれたものでいっぱいになったことだろうと思う。実際のところ,ゲーム制作は素晴らしく充実した,エキサイティングなキャリアになるにも関わらず,悲しいことに15年前は,業界で本当に良い職場と言えるところはほとんどなかったのである。

 多くの人々がゲーム業界で働くことに熱い情熱を持っていたからこそ,就労環境がブラックになってしまったのだ。従業員となるべく人々が直面したのは,ほとんど,または,まったくと言っていいほど管理能力がなく,しかし熱意だけはあり,無意識的にスタジオのスタッフをひどい状況に追いやりつつ,なぜ従業員たちが「無限に残業すべし」という創業者の志を分かち合ってくれないのか見抜けない開発者,そして,ほとんどの社員の代わりは目の中に星をキラキラさせ,列をなして待っている採用候補者の中から簡単にそして安価に調達できると信じて疑わないひねくれた経営陣というコンビネーションだった。

「今日,多くのゲーム企業は優れた雇用主となった。引き続き従業員の情熱を期待してはいるが,その情熱は家族や個人の人生を犠牲にし,プロジェクトのスケジュールを管理できない無能な誰かのためにピザで栄養補給をしながらエンドレスな夜や週末を過ごすことで測れるものであると考えるような間違いはもはや犯さない」

 およその物事は,現在改善されていると言えるだろう。Erin Hoffmann氏が2004年に公表した「EA Spouse(EAの配偶者)」というブログ記事を重要な転換点として指摘しても不合理ではないはずだ。Hoffmann氏は業界全体でとうに知られていたことを述べたわけだが,業界の恥部を公に晒したことで,多くの職場に肯定的な変化をもたらした。Hoffmann氏が書いたことは「何も分かっていない開発者がスタジオの上司になった」という,実際に弁解の余地がないことであったが,他方,経営能力のなさを伴いつつも偽りのない本物の情熱がそこにあったという弁護もできる。しかし,EAは数十億ドルの規模を有する巨大企業であり,その強制労働は驚異的かつ完全に計算されており,中間管理職の管理ミスや際限のない残業は財務数値や業績予想に当初から所与のものとして見込まれていた。

 EAは現在,膨大な同業他社がいる業界において,極めてマシな職場となった。業界のひどい就労状況の勝手な約束は大いに抑えられるようになったが,その改善の背景には冷徹な論理もあった。もしあなたが適切なスキルを持つ創造力ある人材なら,ゲームは世界で最もクールな職業の一つだ。しかし,過去15年の間に,そのようなスキルを持ったほかの分野の人材獲得競争は大いに激しさを増している。ゲーム会社は,アーティスト,プログラマ,モデラーそして多くのプロフェッショナルを獲得するために,ゲーム業界がほしいと思う人材を同様に渇望するハリウッドや,ブロックバスターTV,ほかの多くの専門分野と戦わなくてはならない。

 その環境では,劣悪な労働条件に対する評判は命取りだが,もっとまずいのは1990年代と2000年代初頭のゲーム業界の狂気が続くことだ。当時,30代に入って家族を築きたいと考える才能ある経験豊かなスタッフは皆,業界の慣例が合わないとして永久にゲーム業界を去っていった。今日,多くのゲーム企業は優れた雇用主となった。引き続き従業員の情熱を期待してはいるが,その情熱は家族や個人の人生を犠牲にし,プロジェクトのスケジュールを管理できない無能な誰かのためにピザで栄養補給をしながらエンドレスな夜や週末を過ごすことで測れるものであると考えるような間違いはもはや犯さない。

「業界のスタッフが受ける処遇にはまだ多くの問題が残っており,それらは,業界が最も必要とする一流の候補者に「ゲーム業界でのキャリアは魅力的ではない」と思わせてしまう」

 それはそれとして,そして,どのようなエントリーが「Best Place to Work」賞を受け取るのかを見たいという偽りのない「情熱」もあるが,ゲーム業界は自画自賛するのはまだ早い。業界のスタッフが受ける処遇にはまだ多くの問題が残っており,それらは,業界が最も必要とする一流の候補者に「ゲーム業界でのキャリアは魅力的ではない」と思わせてしまう。大企業や中規模のスタジオは,一般的に,継続的な時間外労働,貧弱なプロジェクト管理,エンドレスに発生する危機対応,低い給料などの悪質な文化から遠ざかりつつあるが,それは単純に,小規模な開発スタジオと大規模なパブリッシャの間,または外注するものとそれを受ける側の関係性の中に移行しただけでまだ存在しているのだ。

 これらの関係性にある権力のアンバランスにおいては,現場で働くスタッフに波及効果が及ぶのを避けられない突然の条件変更がよくある。また,外注先のことなので表に出にくいが,業界のあちこちにおいて,雇用の保障は信じられないほど困難である。ハリウッド映画界のプロダクションスタッフのように,スタッフが会社やプロジェクトの間を自由に動き回れるようにするためのより流動的なシステムがあれば,ゲームビジネスはよりうまくいくと主張する人々もいる。
 ゲーム業界がアウトソーシングをすることでたどり着いたのは,スタッフはクリエイティブな自由がほとんどない,プロジェクトを選ぶ能力がない,仕事や所得の保証がないとう考えうる限り最悪のことばかりだった。

「彼らを獲得したいと狙うほかの業界との競争も絶え間なく続いている。つまり,この業界は従業員の処遇や機会提供の面で現在の栄光に頼っていられる場合ではない」

 また,欧米のゲーム業界における雇用状況の変化は,大概かなりポジティブなものになってきているものの,世界のほかの地域では,ゲーム業界というものは依然として極めて酷い雇用主であるという,やや不快な事実が存在する。明白な例を挙げるなら日本だ。劣悪な労働条件がまかり通っていることで有名な日本のゲーム会社は,従業員への酷い対応や恐ろしいほどの労働条件の分野でとくによく引き合いに出されている。ほかの多くの国,とくに発展途上国では,雇用条件を維持し,有能なスタッフを確保するための慎重な措置なしに新しいスタジオを開設しようとする大手のパブリッシャが,結果として2000年代初めに業界をどん底に陥れたミスを繰り返すという危険性がある。

 皮肉なことに日本や開発途上国を含め,おそらく,ゲーム業界の一角で従業員の処遇の面で善戦しているのはモバイルゲームだ。もちろん,危機的な状況や残業は依然として存在するが,概して(例外は常にあるが)モバイルゲーム会社は,そこそこの給与,成長の良い機会,ワークライフバランスの問題などに焦点を当ててスタッフを引き付け,維持する堅実な経営を行っている。誤解を恐れずにいえば,モバイルゲーム会社は,家庭用ゲーム機やPCのゲーム開発と同じ程度に目をキラキラさせた熱意ある若者たちを引き寄せることはないため,その必要性を感じるのかもしれない。私はモバイルゲームが大好きだが,20代そこそこのコンピュータ・サイエンスやアートの学部の若きエリートたちがモバイルゲーム会社で働きたいと焦がれるような気持ちになると思えるのか確信がもてない。その要因を欠いているからこそ,結果として,モバイル企業が実際より良い雇用主になったのかもしれない。

 ゲーム制作は,非常に高度な技術を有する人々を組み合わせて必要とするという点で,世界で最も要求が厳しい産業の一つであり,結果として,才能ある人々を獲得したいというゲーム業界の意欲は決して衰えない。近年,専門学校や大学がゲーム業界に必要なスキルを学生たちに習得させるというポジティブな動きが見られたが,同様に彼らを獲得したいと狙うほかの業界との競争も絶え間なく続いている。つまり,この業界は従業員の処遇や機会提供の面で現在の栄光に頼っていられる場合ではない。ゲーム業界は世界で最もクールな職場の一つだ。ただし最高の人材を確保し続けるためには,ゲーム会社自身も,より良い職場を提供するために常に努力する必要があるのだ。

※本記事はGamesIndustry.bizとのライセンス契約のもとで翻訳されています(元記事はこちら