変化を迎えるサウジアラビアのゲーム市場。「サウジアラビア ゲームメディア・サミット」レポート
2017年5月16日,東京赤坂のザ・リッツ・カールトン東京で「サウジアラビア ゲームメディア・サミット」が開催された。主催はサウジアラビア総合投資院(SAGIA)・視聴覚メディア一般委員会(GCAM)にメディアクリエイトで,日本貿易振興機構(JETRO)が後援するイベントだ。
登壇したのはGCAMのBandar Asiri長官と,Fahad Almoamar開発投資部長,SAGIAのHassan A. Al-Duhaim ICT・教育・トレーニング部門長の3名だ。彼らは現在のサウジアラビアにおけるテレビやラジオはもちろん,ゲーム産業の振興(輸出入を含む)に対し責任を負う,文句なしの「政府高官」である。
サウジアラビアというと世界有数の産油国であり,また非常に厳格なイスラーム社会としても知られている。これに伴い,読者の中には「宗教上の理由によりポケモンが禁止されている国」といったイメージをお持ちの方も少なくないだろう(ちなみに先回りして言っておくと,サウジアラビアではコンピュータゲームの「ポケモン」シリーズはベストセラーの一つであるという。宗教令によって禁止されたのは「ポケモンカードゲーム」である)。
しかしサウジアラビアの社会はいま大きな変革期を迎えており,ゲームを含んだメディア産業はその変革において中心的な役割を果たす産業の一つであると考えられているという。講演で示された具体的な数字などを見ながら,サウジアラビアにおけるゲームの現在をお伝えしよう。
世界の1/4を占めるイスラム社会に対する入口として
サウジアラビアでは2016年4月に,Vision2030という経済改革戦略が打ち出された。これについてはのちほど解説するが,Vision2030においてICT(情報通信技術)関係のセクターには「世界的な競争力を持つICTハブになる」という目標が掲げられている。
これに伴い,従来はいろいろと手間がかかったサウジアラビアに対する海外資本の投資も推進されている。ICT部門においてはブロードバンド網の拡大(モバイルでは4Gから5Gへの移行を目指し,光通信網のさらなる拡大(現在は70%強)も目標とされる),ICT関係人材の育成,スマートシティの構築,またゲームを含むデジタルメディアのデベロップ&パブリッシュの中心地となる「メディアシティ」創設といったものが目標として掲げられている。
現状でもすでにICT部門に対する海外からの投資は増大しており,ソフトバンクやUberといった会社が投資を行っているそうだ。
また,これらの戦略は「ゼロからのスタート」とは限らない。ブロードバンド網がすでに相当な規模で広まっているように,ICT市場としてのサウジアラビアはすでに成熟したマーケットであるとすら言える。
具体的には,2016年のサウジアラビアにおけるICTマーケットの市場規模は350億ドルで,年8%の成長を示している。また携帯電話の保有率は国民1人あたり1.5台で,スマートフォン普及率は72%。ゲームに対する関心と消費の水準も高く,月間ARPUは30ドルという驚異的な数字を示している(世界平均は8ドル)。動画サイトの利用率も高く,YouTubeが圧倒的な人気(および視聴時間)を示すほか,Netflixも驚異的な伸びを見せているという。
さて,SAGIAではICTを5つのセクターに分類して考えている。クラウドサービス,アラビア語視聴覚開発,eコマース,AIと自動化システム,そしてモバイルだ。そしてこの中でも実は「アラビア語視聴覚開発」は,海外からの投資やコンテンツ輸出において重要な意味を持つ。
アラブ圏に対する本格的なコンテンツの輸出を目指すのであれば,アラビア語へのローカライズが欠かせない。だがそれだけではなく,イスラム社会に対する適応といったこともまた,考えていかねばならない。そしてサウジアラビアはかねてから「どのような表現がOKで,どのような表現はNGか」について,イスラム世論をリードする立場にある。
サウジアラビアは3200万人の人口を有するが,アラブ世界には4億人が暮らしている。またイスラム教徒という面で見れば,世界人口の1/4はイスラム教徒だ。この巨大な市場に対し,サウジアラビアは「アラブ圏マーケットへの入口」として最も機能しやすいというわけだ。
もちろんこれはゲームにおいても同様なことが言える(なおゲームが「モバイル」の領域に入っているのは興味深いところだ)。ゲームにおいてもイスラム教徒に特化した技術ハブが提供されており,イスラム圏に対する幅広い展開が可能となるという。
実際,このセクターにおいてはすでに中国のとあるゲームデベロッパがアラブ圏でのモバイルゲーム展開を開始しており,中国国内で展開していたゲームをアラビア語ローカライズすることで大成功を収めているそうだ。この成功を受け,この中国デベロッパはサウジアラビアにおけるゲーム開発の投資を4倍に拡大している(これ以外にもCheetah Mobileといった中国大手企業もサウジアラビアを入口として中東への投資を進めている)。また先ほど指摘されたNetflixも,類似の成功例と言える。
一方,そういう意味ではスタートダッシュにやや遅れ気味な日本だが,Hassan氏は「サウジアラビアにおいては昔から日本のアニメやゲームが普及しており,日本のコンテンツに対する期待はとても高い」と指摘している。日本のゲームやメディア会社をサウジアラビアに招待し,実際に現地の様子を見てもらうことで,一緒に何ができるかを探っていきたいと語った。
さて,こうなってくると大きな問題となるのは,実際に投資を行うにあたっての障壁であろう。サウジアラビア企業との業務提携が必須だったり,あるいは大量の書類を書いて大量の役所を巡らねば認可が降りないということになると,大手企業といえども参入は難しくなる。
これに対し,SAGIAは11の政府関係オフィスを組織内に有しており,政府が提供する60のサービスを「ワンストップで」受けることができるシステムを構築しているという。インターネットでの申込みはもちろん,電話相談サポートなども用意されているという手厚さだ。また100%外資によるビジネスのライセンスも容易に取得できるそうだ。
実際,昨年SAGIAが発行したライセンスについて,許可が降りるまでの時間を平均すると,新しいライセンスの取得までには24時間。ライセンス内容の修正には12時間。ライセンスの更新は60分と,非常に迅速な対応がなされている。ゲームや映像コンテンツにおいてもライセンスが降りるまでの手順は明確化されており,構造としても簡潔だ。
このようにサウジアラビアでは,「どの組織の門を叩けばよく」「どういうルールで認可が下り」「きちんとした事務手続きを踏んで認可が進む」という,システム全体の透明性向上と明確化が進んでおり,また決済までの速度も向上している。このあたりからも,彼らの「本気」を見て取れると言えるだろう。
娯楽メディアの消費に貪欲なサウジアラビア
氏はまず最初に,Vision2030について簡単に解説。活気ある社会(A Vibrant Society),盛況な経済(A Thriving Economy),野心的な国家(An Ambitious Nation)の三つの柱それぞれについて,具体的な数値目標を伴った方針が示された経済改革計画が,Vision2030である。そしてFahad氏はこのVision2030の実現において,「この改革はメディアの力に大きく依存している」という見解を示した。
例えば「活気ある社会」の実現においては博物館の建設やデジタルアーカイブの充実,スポーツ(eSportsやゲームジャムを含む)への参加促進がそのプランとして挙げられている。「盛況な経済」についてはコンテンツのパブリッシュをより容易にするために「サウジアラビアにおけるSteamのようなもの」が構想されているほか,メディア産業のための経済特区的なものも構築される見込みとのこと。「野心的な国家」においては表現に関するルールの透明化や明文化の推進はもちろん,SNSによる双方向コミュニケーションや地域の人材の育成などを考えているという。
また,そもそも現在のサウジアラビアは,中東地域において最も高い消費力を誇る市場となっている。また人口構成が若年層に偏っており(総人口の80%が40歳以下で,0〜19歳が人口のほとんどを占める),同時にテクノロジーの受容も進んでいる。
これが最も具体的に現れている数字としては,サウジアラビアでは1週間あたり一人が20時間弱インターネットを利用し,かつ18時間弱テレビを視聴しているというデータと,人口の86%がYouTubeで動画を視聴しているというデータが指摘できるだろう。「スマートフォンで毎日動画を見る」人口比率は50%を超えている(こういった数字からも「Vision2030の実現にはメディア産業の力が欠かせない」という見解は妥当と言える)。
またモバイルからのインターネット利用も進んでおり,検索サービスはもちろん,SNS・動画配信・音楽配信・ゲームといったサービスが積極的に利用されている。
なお2015年におけるサウジアラビアのゲームの市場規模は約3億ドル(※約333億円)となっている(ファミ通ゲーム白書によると,2015年の日本のゲームの市場規模は1兆3591億円,世界全体で8兆2667億円と推定)。
さて,このサウジアラビア市場において,GCAMは二つの役割を果たす。
一つは表現におけるルールの策定と監視,もう一つはメディア事業の育成である。講演ではまず,メディア事業の育成に関する取り組みから語られた。
メディア事業の育成においては,メディアへの投資・マーケティング・ゲームハブの創設などさまざまな取り組みが進んでいるが,中でも強調されたのはメディアシティの設立である。
メディアシティは「実際の都市とバーチャルな都市がある」としつつも,実際の都市が目指す柱としては「才能が集まる場所」「企業が集まる場所」「教育が行われる場所」などが掲げられている。この都市を中心として,コンテンツの輸出入事業やローカライズはもちろん,クリエイティブなコンテンツの創造も推進していこうという計画である。
なおこのメディアシティ計画には事前に綿密な調査研究も行われており,先行例の調査(マンチェスター,オランダ,アブダビ,シンガポール,フィンランド,ヨルダン,ドバイ)や実際の関係者への広範な聞き取り調査などが行われているという。また計画の具体的なスタートも目前に控えており,2017年第4四半期にはメディアシティの最初の立ち上げがスタートする見込みとのこと。
ゲーム開発から垣間見えるサウジアラビアの変化
一方で表現関係のルール策定についてだが,サウジアラビアでは2016年8月にゲームに関する新しいルールがGCAMによって制定された。日本で言えばCEROのようなシステムである。システム的には3歳以上・7歳以上・12歳以上・16歳以上・18歳以上の5段階に分かれる。
興味深いのは,ここで示されているルールが「一般にイメージされるより,とても緩い」ということだ。
例えば,
- キャラクターが性的なものを暗示させる衣装を着用している(あるいはキャラクター自身がそのようなデザインになっている)
- 親密なキスシーンがある
- 主要キャラクターが宗教上のシンボルを着用していたり,あるいはそのような衣装が衣服にあったり,能力のビジュアルとして描かれたりする(ただし現実に存在しない宗教についてはこの制限に含まれない)
- 黒魔術や悪魔のようなものを用いて登場人物(人間・人間のような生物・動物)に実際の危害を加えたり,黒魔術を用いて環境を変化させプレイヤーを怖がらせる
といったもので,これらのなんとなく「イスラム社会ではこういうものは全部絶対にダメなのではないか」と感じがちな項目は,すべて「18歳以上」のレーティングとして許可されている。具体的な例で言えば「モータルコンバットXL」はサウジアラビアで販売されており,3DSの「ポケモン」シリーズは新レーティングが適用されていない正規品がサウジアラビアで流通している。
この規制ルールはいまは英語で提供されているが,まもなく日本語版も公式にリリースされるという。
また,サウジアラビアのゲーム産業においては(詳しい読者に対しては「おいても」と言うべきだが),女性の進出が盛んだ。
サウジアラビアではコンピュータサイエンスの学位を持つ人のうち,60%弱が女性であるという。また3Dモデラーとアニメーターの80%弱は女性が占める。宗教的な理由により家の外に出れない(出にくい)サウジアラビアの女性にとって,家の中で働ける情報産業やゲーム産業は,最も社会進出しやすいジャンルなのである。
サウジアラビアにおける女性のゲーム産業進出を如実に示すのは,GCONというカンファレンスの存在だ。この技術カファレンスはサウジアラビアにおける女性のインディーズゲーム開発者専用カンファレンスで,すでに4回めが開催されており,第4回GCONへの参加者は3000名に達したという(なお宗教上の理由によりこの3000名はすべて女性である)。
これに加え,サウジアラビアではGDCのような大規模技術カンファレンスも9月に予定されている。こちらはUnity,Epic Games,ソニー,Google,Apple,Microsoftが後援しており,またGCAMが主催するAudio Visual Investiment Forumも併催予定となっている。
このようなさまざまな施策を通じ,GCAMでは,
- エコシステムの繁栄:国内だけでなく,世界に対してエコシステムを広げていく
- 分かりやすい規制のルール:なんでもかんでもNGというよりも,マーケットの秩序と透明性を担保するためのルール策定
- 市場のニーズに応じた人材育成:教育機関そのものの質の向上も目指す
- 情報インフラの強化:光ファイバー網や高速モバイル通信網の強化
- 国内外の企業に対するインセンティブの提示:スタートアップや中小企業はもちろん,大企業に対してもサウジアラビアでの事業設立支援を行う
以上5つのメリットを提示していきたいとFahad氏は語った。
変わろうとしているサウジアラビア
また「サウジアラビアの若者はいまや世界に目を向けており,石油産業に頼らない経済発展を目指している。そして彼らに対し,政府は積極的に投資を進めている。このことはゲーム産業にとって大きなチャンスであると考えている」と語るとともに,「9月にサウジアラビアで開催されるカンファレンスで,いまのサウジアラビアのマーケットをより具体的に知ってほしい」とした。
現代の中東の諸事情に詳しい読者であれば,サウジアラビアが決して「何もかもがうまく行っている国」ではない,ということはご存じだろう。また,「お題目は立派だが実際はどうなのか」という気持ちがこみ上げる側面もまた,否定はできない。
しかしながら,いま確かに,サウジアラビアは変革のときを迎えようとしている。講演でも紹介された,「サウジアラビアで初めてオーケストラ公演が行われ,女性の演奏者が舞台に上がった」という事例は――たとえそれが一定レベルで宣伝的な意図を持っていたとしても――変化の兆しとして注目に値する。
ゲームの市場として見たとき,サウジアラビアの市場規模は,それ単体では「ものすごく大きい」とは言い難い。しかしながら世界のイスラム社会に対する影響力を考えたとき,この市場にどれだけ深く食い込んでいけるかは,今後の世界展開を占ううえで大きな試金石となりえる。
言うまでもなく,これは決して「絶対に勝てる宝くじ」ではないし,「何もかもを無批判に受け入れてよい“良い話”」でもない。
例えばGCAMが強くプッシュする(そして日本企業の参加を呼びかける)カンファレンスが9月22日・23日に開催されるというのは,「もうちょっとだけ日程を考えていただけなかったか」と思わざるをえない――その日程は東京ゲームショウに丸かぶりだ。
だがそれでも,産業として見たときのゲームにとっては,サウジアラビアで起きている変化は,決して無視できない変化と言えるだろう。
また,たとえ日本がサウジアラビア市場を皮切りとしたイスラム市場に食い込んでいけなかったとしても,今後サウジアラビアを中心としたエリアが優れたゲームを生み出すデベロッパが林立する地域となる可能性はある。いちゲーマーとして言えば,それはとても素晴らしいことだ。
いつか「サウジアラビアのデベロッパが作った傑作ゲーム」を楽しめる日を夢見つつ,今後の展開を見守りたい。