なぜかつてピーター・ムーア氏はセガの中 裕司氏に「失せろ!」と言ったのか

EAを去る同社重役は彼のセガでの日々を振り返り,日本企業がどのようにゲーム業界の動乱の予感を見過ごしていたのかを語った。

 2月末,正確にはGame Developers Conferenceの中盤にEAのチーフコンペティションオフィサーであるピーター・ムーア氏が同社を離れ,6月に氏にとっては夢の職業である Liverpool Football ClubのCEOに就任することが発表された(関連英文記事)。ドリームキャストやXbox 360のローンチ監督やEAブランドの構築への貢献などを含む20年間にわたるゲームビジネスのあと,業界のベテランはGlixelに氏の業界での長年にわたる経験について率直に語っていた(参考URL)。

※ムーア氏はリバプール生まれで,サッカー選手としてアメリカに移住した経歴を持つ。4Gamerの氏へのインタビューでは毎回サッカーの話題で盛り上がっていたりした

 ムーア氏との議論でおそらく最も魅力的な洞察は,セガというかつての偉大なゲーム企業がどのようにゲームエコシステムの迅速な転換に失敗したのかについてのものだろう。セガがドリームキャストの生産を止め,サードパーティソフトウェア企業に転換したあと,ムーア氏はグローバルビジネスで起きつつある変革を日本のセガに理解させるのに多大な困難があったと語った。

 「我々はそこを目指して大きく動き出し,関係を築きはじめていました。私は日本のあちこちに行き,セガが業界で起きていることの予兆を省みないことに腹を立てていたのです」と氏はコメントした。「GTA3のようなゲームはコンテンツの様相を変えていました。それは私にとって変曲点でした。一度その技術がもっとパワフルになったなら,クリエイティブな要素はハリウッドやテレビから突然押し寄せるようになるでしょう。それはRockStarをもたらし,ハウス兄弟(※RockStar創設者)がゲームのためにやった評価されるべきことです。私が言いたいのは,ゲーム業界の歴史を振り返ってみると,このような瞬間を見つけてこう言えるだろうということです。『これがすべてが変わり始める瞬間だ』と」

 ムーア氏は彼の見解を説明した。セガはアメリカでフォーカスグループへの調査を実施しており,セガを含むゲームブランドを彼らがどれくらい区別して見ているのかを調べた。「私は日本のスタッフに対し,我々のブランドが消えかけていることを証明する必要があったのです。そして,我々はフォーカスグループの18歳,19歳の層に尋ねました。『もしパブリッシャが親戚か友人だとすると,それはどんな人だろう?』と。ああ,EAは身長198cmの傲慢なクォーターバックでした。入ってきては,女の子をつかまえ,みんな彼が嫌いなどなど,しかしご存じのように,部屋は彼の強烈な個性で満たされています。私はいまはそれを聞くことができます」。

 「Rockstarは,あなたの酔っ払った叔父さんのようなものです。月に1回ラスベガスから売春婦を腕に金を無心しにきて,また去っていきます。彼は入ってきてしばしパーティの生活を送ります。そして長い期間いなくなるのです。セガは,そう,あなたのお祖父ちゃんのようなものです。かつてはクールでしたが,なぜそうだったのかはもう思い出せないのです」

 ムーア氏がフォーカスグループの映像を日本の同僚に見せるために持っていったとき,彼らはアメリカの消費者が言っていることの正当性を信じようとしなかった。とくにソニックの制作者である中 裕司氏のときは大いに揉めた。

 「私は『我々はセガブランドが直面している課題を認識する必要がある』と言ってビデオを再生しました。中 裕司,中さん,つまりソニックを作った人が部屋にいました。よき日には彼と私は愛憎の関係でした。我々は日本語字幕を入れたこのビデオを彼に見せましたが,問題の部分に差し掛かったとき,彼はこうして(手をテーブルに叩きつける),『ばかばかしい。君が彼らにこう言わせているだけだ。セガは偉大なブランドだ。誰もこんなことを言うはずはない。偽造している!』と言いました。彼は私を煽ってきたので,私は通訳に『失せろ(Fuck off)と伝えてください』と言ったのです」哀れな通訳は私を見て『日本語にはそういう表現はありません』と言ってきましたが,『あるだろ』と答えました。これでおしまいです。そこに足を踏み入れたのはそれが最後でした」とムーア氏は説明した。

 「私が逆上することは滅多にありませんが,ビデオの改竄を非難されてかっとなりました。こんな見ようともしない×××はいません。そうでしょう? 私はセガを愛していましたし,いまでもセガを愛しています。しかし,セガは,中川さん,鈴木 裕,井口がいないとなにも動かないような開発者に支配されていました。彼らの周りで世界は変わっていたのです。我々は絶望しました。私が言いたいのは,我々は成熟したコンテンツを獲得しなければならないということです。私にとって皮肉なことに,その後発売されたセガのゲームで最も売れたものの一つはYakuza(※龍が如くの英名)でした」

 その論争からいくらも経たないうちに,ムーア氏は偶然XboxチームのRobbie Bach氏と出会った。ムーア氏はソニーに挑戦する“挑戦者ブランド”となりたがっているか,いかに発売戦略全体を構成してきたかをXbox 360のリーク情報を交えて語った。当時のMicrosoftで最大の問題となっていたのは悪名高き「Red Ring of Death」(※ハードウェアエラーでリング状のインジケータが赤く点灯して動かなくなること)だったが,これはハードウェアを悩ませ,Xboxブランドを永遠に残る傷をつけた。実際,ムーア氏はもしMicrosoft社長のスティーブ・バルマー氏が苦情対応に投資して財政的な打撃を受け入れなければゲームオーバーになるだろうと警告していた。そうなればXbox OneもScorpioもなかっただろう。

 「神に感謝します。私が彼スティーブ・バルマーに『我々が抱えているのは11億5000万ドルの問題だ』と語ったときにが尻込みしなかったことを。彼はただ一言いいました「やれ」と。お分かりでしょうが,もし我々がそこで決断しなかったらXboxが現在存在していたとは思いません」と氏はぶっきらぼうに語った。「我々の製品は失敗していました。それはプレイヤーを失望させていました。ですので,我々はそれに対してなにかしなければならなかったのです。それからたくさんのXboxが修理ないし交換され,深夜までたくさんの出荷が続いていました。しかしそれによって問題は解決し,ブランドも回復したのです。さもなければ我々は終わらせておくべきだったでしょう」

 さらにたくさんの思い出がインタビュー全編で語られている。時間をかけても読む価値はあるだろう。

※本記事はGamesIndustry.bizとのライセンス契約のもとで翻訳されています(元記事はこちら