「ファイナルファンタジーXV」と「人喰いの大鷲トリコ」というそれぞれの種の最後の一作

ゲーム業界の中でも,何度もの困難を乗り越えながら長きにわたって開発が続けられきた二つの作品は,2000年代のゲーム開発事情の残り物であることを我々に思い起こさせる。

 これは,一つの時代の終焉である。二つの時代,と言ったほうがよいかもしれない。我々はついに,ゲームショップの店内で,もしくはお好みであればオンラインのショッピングサイトにおいて,2006年から開発が進められてきた「ファイナルファンタジーXV」と,同じく2007年から開発が進んでいる「人喰いの大鷲トリコ」を実際に購入できるようになったのだ。この,おそらく業界でも最も長い期間にわたって開発が続けられ,ときには嘲笑をもって語られ続けてきたプロジェクトも,ようやく一つの終止符を打った。しばらく前にマラソンのような開発が続けられていたゲームと言えば,1997年に開発が始まり2011年にリリースされた「Duke Nukem Forever」や2000年発売の「Daikatana」(ほかと比べると開発に3年というのがリーズナブルに思えてくる。当初予定から2年遅れただけだ(編注:実際には3年遅れ))とは異なり,これらの日本産のゲームはどちらもメディアやゲーマーから良い評価を得ていることを考慮すると,ハッピーエンディングを迎えたと言えるだろう。

 もちろん,この二つのゲームがようやくリリースに漕ぎ着けたということが,その終焉を意味するというのではない。時代の終焉というのは,「ファイナルファンタジーXV」と「人喰いの大鷲トリコ」が多くの意味で,過去のゲーム産業の遺物でもあるからだ。その開発手法そのものが10年前のものであり,Blu-rayディスクの中に暴れ牛を収めようとするかのように難しいプロジェクトと格闘してきた末の産物である。その発売日が1日違いだったというのは偶然にせよ,それぞれの開発プロセスが終わったということではなく,おそらく同じような手法で開発されるのは最後であろうということなのだ。いまだに「Half-Life 3」の開発が続けられていると信じている人でもない限り,このような壮大でありながらもゲーム業界の流れと逆行し,何度も遅延を続けたプロジェクトはほかにないと考えるはずだ。2000年代に行われていたようなゲーム開発は,おそらくこれで終わるのだ。

 この二つのプロジェクトの意義は,それが初めて制作発表された頃から比べて,どのようにゲーム産業が変化したかを考えるとよく理解できる。おそらく企画が固まってから,そのままドロドロと開発費を消化しながら動き続けたであろう「ファイナルファンタジーXV」と「人喰いの大鷲トリコ」が生まれた2000年代中期のゲーム業界の様相は,もはやほぼなくなっていると考えていい。同じような開発プロセスはもはや行われることはないだろうし,そもそもこのような開発を行ったメーカーのほとんどはすでに駆逐され,同じことが起きないような変更が重ねられてきたのである。

「巨大で多額の予算が必要になる一大プロジェクトのすべての要素を一人の作家がコントロールしようというのは,2000年代には通用した仕組みである」

 こうしたゲーム産業を変えた影響は,さまざまな場所からやってきたものだ。2000年代後期に台頭して瞬く間に大旋風を巻き起こしたモバイルゲームやソーシャルゲームの開発プロセスは,メインストリームのパブリッシャがこれらのプラットフォーム向けにもゲーム開発を行うようになったということだけでなく,イテレーションを行いながら短期間でプロジェクトを進めていくという手法は,開発にも多大な影響を与えることとなったのは疑いない。こうした開発手法はリスクをなくしたわけではないものの,現実的にはリスクを下げるのに貢献しており,ゲーム開発はローンチ後にも継続して作り込んでいくことで,ゲーマーのフィードバックを受けながらも収益をしっかりと上げていくというバックローディング型が受け入れられるようになった。これはモバイルゲームでは一般化している開発手法であり,AAA級のプロダクションバリューを持ちながらも,「サービスとしてのソフトウェア」(SaaS/Software as a Service)というコンセプトを持つ「AAA+」と呼ばれるプロジェクトを生み出すことになる。AAA+は,単に作りっぱなしの売り切りではなく,何か月,何年にもわたってサービスと開発を続け,ファンに楽しみ続けてもらおうという原理である。

 より詳しく語っておくと,画一的にゲーム開発メーカーが影響を受けたとは言えないとしても,アメリカで2000年代後半に次々と産声を上げたスタートアップ企業によって開拓されたビジネスの新しい組織作りが,ゲーム産業のあり方を変えていったと考えられる。最近では,ゲーム開発者たちがシリコンバレーのエンジニアやビジネスマンの使うような手法や用語で語っているのをよく耳にするようになった。いくつかはバズワードにすぎないようなもので,いくつかはしっかりと根を下ろしているものもあるが,その基礎となっているのは開発チームがコミュニケーションを綿密に行い,いくつものプロトタイプを手早く作り上げ,アイデアをイテレーションし,そして最も重要になるのが,うまく噛み合わないことを早い時点で特定して変更を行うということである。どれを取っても,一つだけが開発地獄の万能薬になるのではなく,それぞれを開発作業に効率良く編み込んでいくことによって,過去と同じような間違いを繰り返さないよう努力した結果であると言える。

 決して大きな要素ではないにせよ,重要になるもう一つのことが「作家性」という仕組みである。「ファイナルファンタジーXV」の野村哲也氏よりも(編注:言うまでもないが,野村氏が関わったのはFFXVの初期のみで現状の作品は田畑 端氏が指揮を執っている),「人喰いの大鷲トリコ」の上田文人氏のほうが「作家」と呼ぶにふさわしいと思われるが,おそらくマネージメントの視点から言えば両者を作家と呼んで差し支えないだろう。巨大で巨額の予算が必要になる,一大プロジェクトのすべての要素を一人の作家がコントロールしようというのは,2000年代には通用した仕組みである。しかしながら,小島秀夫氏のコナミとの辛辣な離別を見ても,企業はこれ以上,巨額の予算と何年もの開発期間をかける,作家性のあるプロジェクトに投資できない状況になっていることを示している。ここ数年の間に,独立系開発ゲームのシーンに登場してきた新しいタイプの作家たちは,上記の開発者たちよりも才能も経験もないかもしれないが,特定のことにフォーカスすることによって,ゲームを時間や予算どおりにリリースし,自分たちの共有する一つのビジョンをゲームに投影することを仕事としてしっかりと認識しているようだ。上田氏や野村氏が一つのプロジェクトをリリースするのに苦労している間に,「ダークソウルズ」や「Bloodborne」シリーズの宮崎英高氏が,どれだけの作品をリリースしてきたかが如実に,このことを物語っている。

「作家性のあるゲームの時代が終わったのではなく,作家の役割が変わりつつあり,もはや今後はどんな企業であっても『ファイナルファンタジーXV』や『人喰いの大鷲トリコ』のような開発プロセスの継続を許すことはないだろう」

 もちろんゲーム産業には,こうした少数のクリエイターが夢見た壮大なプロジェクトを生み出す余力が残されていないということではない。しかし言えることは,小島氏がコナミから旅立ったあと新しいスタジオを設立したように,作家性のあるゲームの時代が終わったのではなく,作家の役割が変わりつつある。もはや今後はどんな企業であっても「ファイナルファンタジーXV」や「人喰いの大鷲トリコ」のような開発プロセスの継続を許すことはないだろう。「人喰いの大鷲トリコ」のパブリッシャであり,小島氏のスタジオにも投資しているSony Interactive Entertainmentは,クリエイティブなゲームの扱いに対しては非常に大らかな企業であり,ゲームがそれだけ売れるのかというよりも,こうした高い知名度を誇る作家たちがPlayStation 4のエクスクルーシブタイトルを開発できることの価値に比重を置いている。小島秀夫氏が,まるで「私の友人でもある著名人たちがこれだけ新作プロジェクトのことを気にかけてくれている」とでも言いたげな,完全に他者が口出しすることもできないようなプロモーションにSony Interactive Entertainmentから提供された資金を使っていることにさえお咎めなしというのも,どう転んでも500万本以上のヒットになるのは間違いと見ているからだろうか。

 とにかく,「ファイナルファンタジーXV」や「人喰いの大鷲トリコ」は素直に楽しんでよさそうで,その10年近くの間に何度も筆者を楽しませてくれたシリーズの最新作「ペルソナ 5」を終えた今,私も年末年始にはその奇妙でくねくねと曲った,長い道のりの帰結を堪能することにしたい。我々ゲーマーやゲーム業界にとって良い意味でも悪い意味でも,このようなゲームがもう二度と現れないだろうということを考えると,さらに楽しめるはずだ。2000年代のゲーム作りは,ゲーム業界を継続させていける仕組みではなく,良いゲームを生み出すことを単に保証するものでもない。「ファイナルファンタジーXV」や「人喰いの大鷲トリコ」のリリースをもって,我々はついに,ゲーム産業の歴史の前章を閉じることができるのだ。

※本記事はGamesIndustry.bizとのライセンス契約のもとで翻訳されています(元記事はこちら