John Romero「ゲームのせいじゃない。銃が悪いんだ」

「DOOM」のオリジナルデザイナーとして知られるJohn Romero氏は,ビデオゲームのバイオレンス,マルチプレイヤーモード,そしてゲームとは何なのかという,常に議論される問題について語った。

 John Romero氏は,すでに30年にもわたってゲームを作り続けているベテランデザイナーであり,その歴史においてゲーム業界は常に同じことを繰り返していると自分のその目で見てきた。最近トロントで開催されたGameON Venturesカンファレンスにおけるキーノートに登壇したRomero氏は,彼が身をもって体験した歴史の繰り返しについて複数のパターンを紹介し,ゲーム業界および,その社会との関係における現時点での問題点を洗い出した。

 Romero氏は,実際に自身が手掛けた作品と社会とのつながりについては深く考えてきたに違いない。というのも,Romero氏がデザインしたゲーム業界のマイルストーン的作品「DOOM」がリリースされた1990年代中期は,ゲームの暴力表現に対する社会的な批判が強く,DOOMも「Mortal Kombat」や「Night Trap」などのゲーム作品とともによく槍玉に挙げられていたからだ。Romero氏は,こうした論議は,とくに若い世代の想像を掻き立てた,例えばコミック,ヘビーメタル,さらには「Dungeons & Dragons」に至るまでの新しいメディアや表現方法の登場の際には必ず起こっていたヒステリー症状であることを指摘する。

 「私はゲームは一つの文化であると確信しており,暴力というのはゲームを超えて我々の社会に蔓延っているものです」というRomero氏。「ゲームをプレイするのはアメリカだけではありません。カナダ,ドイツ,日本,イギリス,アイルランド……。どの国でもゲームにどっぷりとハマっている人はいますが,アメリカと同じほどゲームに起因するといわれる暴力事件が発生しているというわけではありません。ゲームではなく,法律で銃器の携帯が許されていることがそうさせているのでしょう。コンピュータやゲームではなく,それは社会の構造なのです。ゲーマーが悪いのではありません」と続ける。

 多くのゲーマーは,ゲームは暴力に直接的に関連しているのではないというRomero氏の主張に同意することだろうが,彼の考える別のパターンを探ってみると,反対意見も決して少なくはないようだ。

 Romero氏は,「ゲームとは何か,ということについて,最近よく議論しているのを見かけます。1970年代にボードゲームを遊んでいた人は,コンピュータゲームはゲームではないと主張し,1980年代にコンピュータでゲームをし始めた人は,コンシューマ機のゲームはゲームでないといいます。ゲームの境界線が広がっていくにつれて,人々はどこまでがゲームで何がゲームではないのかを自問し始めるのです。「Gone Home」はゲームなのか? 「Life is Strange」はゲームなのか? 「Her Story」はゲームなのか? 私は,どれもゲームであると思っています。ゲームの境界線が広げられるのは,我々クリエイターがそのメディアから何か新しいものを引き出そうとするからです。そういうときは,新しく生み出されたものがメディアの範疇にあるのかどうかを疑問に思う人が必ず出てきます。境界線が広がったことに気付いてないのです」と話す。

 Romero氏が来場者に向かって指摘した三つめのパターンは,社会活動としてのゲームの圧倒的な存在意義である。一般家庭にコンピュータが浸透し始める以前は,ゲームというものはほとんどがマルチプレイヤーだった。チェスやチェッカー,野球やバスケットボールに至るまで,ゲームをプレイするということは,ほかの人と楽しむことだったのだ。しかし,パーソナルコンピュータが登場して10年もすると,ゲームは一人で遊ぶものへと変わっていった。かなり昔のことではあるが,2006年にSony Online Entertainmentに在籍していたRaph Koster氏は,シングルプレイヤーゲームで遊ぶことが大勢を占めていた頃を,簡単にインターネットに接続することが不可能だった“時代の収差“であると語っていたこともある。

 Romero氏も,こうした意見に同調するようで,「DOOMは良い時代に生まれました。ローカルでのLAN接続が台頭し,モデムが普及し始めていた頃です。DOOMは一年で,コンピュータが一般化して以来の20年近くに及ぶマルチプレイヤーゲームの停滞の時期を飛び越えたのです」と語った。

 ゲーム産業がどこに向かっていくかについては,Romero氏はゲームはAR(拡張現実)の台頭や,今後も続くであろうモバイルゲームの盛況などにより,さらにソーシャル化していくはずだと語る。「Pokémon GO」は,そうした未来が現実に近付きある証拠であるとしつつ,さらに今後についてRomero氏は語った。

 「私は,プロシージャルな自動生成テクノロジーがさらに進化し,機械工学のような,より発展したテクニックが考案されてプログラマやデザイナーが実際に手作業で行うのに近いレベルに達していくと考えます。SpeedTreeで植生の生成技術が発展していったように,グラフィックスの自動合成(Procedural Synthesis)がゲームエンジンなどのミドルウェアのプラグインとして利用されていくのではないでしょうか」

 もちろん,こうした目が飛び出すようなテクノロジーやプラグインが登場しても,ゲームが楽しくなければ意味がない。

 Romero氏は,「しかし,結局はゲームは良いゲームデザインがなければ成功しないのだと思います。テクノロジーだけでは不十分で,テクノロジーが人の手で利用されることで素晴らしい作品が生まれていくのでしょう。それで,素晴らしいテクノロジーと素晴らしいゲームデザインというのは我々にとって何を意味するのでしょうか? それは,昔からゲームが意味していたこととなんら変わりません。これからも,素晴らしいゲームは搭乗し,我々を楽しませていくはずです。常に,ゲームスタート! なのです」と締めくくった。

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