MYSTシリーズの開発会社を悩ます「パブリッシャがいない」問題

Cyan Worldsを率いるRand Miller氏が直面する老舗インディーズならではの問題とは。

 「MYST」は画期的なゲームだった。その栄光にさまざまな意見もあるが,Cyan Worldsの IPは,ゲーム界の発展とオーディエンスの拡大において,極めて重要なマイルストーンであった。約10年もの間,「最も売れたPCゲーム」というタイトルを維持した「MYST」はゲーム用のCD-ROM技術が広がるのに重要な役割を果たし,また,すべてのジャンルの模倣を生み出した。リメイクされること3回,一連のMYST本が生まれ,テレビシリーズが制作され,また,MYSTを舞台にしたテーマパークがアメリカのディズニーワールド内に建設されるかもしれないというところまで行ったのである。

 IPがこれらのことを巻き起こすのはすごいことだ。そしてCyan Worldsは満を持して,「Obduction」をリリースした。MYSTの名を捨てたものの,その美学を色濃く受け継ぎ素晴らしい効果を上げている。大部分のファンにとってObductionは,MYSTを素晴らしいものにした世界観,繊細な物語,ワクワクするパズルなどへの盛大な祝賀なのだ。しかし,共同創業者でリード・デザイナーのRand Miller氏によれば,Obductionの成功の重要な部分はまだ売上に反映されていないという。


パブリッシャがいないという問題


 「神経がすり減りそうですよ」とMiller氏は言葉少なに笑った。「心血を注ぎ,創造的な努力を尽くすと,人々に受け入れられ,喜んでもらえるだろうと思えてくるのです。しかし,それが本当にそうなのか,リリースするまで分からないのです。本を書くのも同じようなことではないかと思います。ようやく書き上げ,締切や資金が許す限り最高のレベルに仕上げて世に送り出したあとは,ただ待つだけなのです。ですからもう,リリースした日,最初にレビューが届いたときのことを今も覚えています。かなり高い評価だったので,ホッとしてため息をつきました。それでこう言ったんです。「OK,もうこれでいい。レビューは一つで十分。1人だけでも喜んでくれた人がいたということが分かれば,あとはすべてマイナスコメントでもいい」その後,もちろん意見を変えましたけれども。いいレビューばかりが届くと,もっと高い評価を期待してしまうので,欲張らないようにと自分自身に言い聞かせなければなりませんでした」


 「しかし,特集記事やレビューが必ずしも売上に直結しているとは思いません。しかも私たちはマーケティングもしていない小さなインディーズゲーム開発会社にすぎません。いえ,もっと率直に言えば,マーケティングのための資金を残していなかったのです。今私たちは次のステージが何なのか解き明かさなければなりません。Obductionについて思うのは,私たちのほかのゲームも同様ですが,もしかしたら少し勢いが続いて,はやりのFPSよりも長続きできるかもしれません。でもそれを人々にどうやって知ってもらうかを考える必要があります。必ずしも多くの人が「Obduction」を知っているわけではない,そんな風に感じています。だからそれが次のステップです。ところで,私たちに限ったことではないと思いますが,とてつもなく素晴らしい作品を作れたとしても,人々にそれを知られなければ大失敗となるわけです。インディーズ開発者にとってこれは大きな問題です。
 私たちにとって,人々に直接販売するという素晴らしいイコライザの部分が問題なのです。(インディーズなので)パブリッシャ(出版元)はいないのですが,パブリッシャ(Publish:「公表」する人)がいないのです」

 まともなゲームをすでに持っていることが前提だが,マーケティングは多くの開発者が直面している最大の問題だろう。しかしMiller氏にとって救いなのは,彼が上客をつかんでいることだろう。彼らは忠実であり,またMiller氏の世界観の構築をいつまでも待っている。さらに,これらのオーディエンスは,思慮深くスマートで理解度が高いという,Miller氏がゲームで好む主題に合致した特徴を備えている。


「どんなグループにも必ず嫌な人が1人や2人はいるものですが,全体的には素晴らしいファンの皆さんに恵まれています。頭脳型のゲームだからでしょうか。ペースがゆっくりで,熱狂していない人々向けなのです」

 「私はいつでも,辛辣な一般オーディエンスよりも,少数であっても理解してくれるオーディエンスを選びます。そういう人々から,また,私たちが参加するゲームショウからも,多大なサポートがあります。ちょうど先週PAX Westに行きましたが,それは大いに励まされるものでした。疲れるものではありましたが,たくさんのファンがいました。私の仕事を知っていて好きだと言ってくれるんです。彼らからもらった感謝の言葉は,エネルギーを与えてくれるもので,とても嬉しかったです」

 「しかし,私は全然気づいていなかったのです。コミュニティがなぜそれほど支えてくれ,肯定的であったのか,ちゃんと考えたことがありませんでした。もちろん,どんなグループにも必ず嫌な人が1人や2人はいるものですが,全体的には素晴らしいファンの皆さんに恵まれています。頭脳型のゲームだからでしょうか。ペースがゆっくりで,熱狂していない人々向けで,ワンパターンな反応はない,彼らは忍耐強いのです。ほかのゲームでも支えてくれるグループはあると思いますし,そういうグループがいてくれるのはものすごく幸運なことだと思うので,誰のことも責めたくはありませんが」


正しい種類の困難


 Miller氏のゲームのコアにあるパズルのデザインは,物質的で,環境的で,一見シンプルに見えることが多いという点で特徴的だ。ゲームの難しさを判断することは,明らかにそのゲームを楽しめるかどうかの基本となる。だがこのゲームシリーズの喜びの一つは,もっぱらMiller氏のパズルにある。それは外部の知識に頼らなくても演繹的に解くことができ,人間の普遍的な合理性に訴えるものなのだ。パズルとゲームにおける著しく多くの共通用語が短い時間に確立される「言語」は魅力的な部分だ。例えば,ほとんどの人は「ハノイの塔」や「put out the lights」のパズル(※おそらく5×5マスで指定したマスと上下左右のライトの状態が反転するタイプのパズルゲーム)を与えられたら,どういうものなのか正確に理解する。しかし同時に,あまり面白くもなく,環境が生まれる感覚をもたらすようなものではないこともすぐに分かる。Miller氏は,これは複雑な均衡を保つプロセスだと言う。

 パズルを解くのに必要な外部の知識をどう見極めるのか尋ねたところ,Miller氏はこう答えた。「私たちは,文化,とくに自分のカルチャーに染まっているので,もっと幅広い層に理解され楽しんでもらえるように,意識的に努めることが必要です。私たちはそれをやってきたと思いたいところですが,あなたの質問を受けて,私たちのゲームの特定の要素で必ずしも文化になっていないものを考えてみます」

 「人々が理解しやすいように,私たちは物事を象徴化しようとします。私たちがそれでヒットを作り出したかどうかは分かりませんが,パワーパズルはいい例でしょう。私たちがある意味,送電エリアの裏側と考えるようなところに戻るのにあなたは電線をたどるでしょう。私たちがそこで置くのは奇妙で象徴的な絶縁体のようなもので,なんとなく『わあ,ここにはたくさんの電力がある』と思わせるようなものなのです。でも正直言えば,これが中国の12歳の少年に通用するのか私には分かりません。送電は一般的に誰でも理解できるものですから,通用するとは思います。でもその普遍と思うもののうちどれくらいが,私がアメリカ人として受けた教育によるものなのでしょうか」

 「本当に正しいグローバルな物の見方はどちらなのかを,私たちが知っていると思い込んでいることがおそらく障害になっているのだと思うのです。とにかく,それはとてもいい質問です。あまり知られていない文化圏の人がこのゲームをしたとき,完全に見逃すものが何なのかをぜひ見てみたいものです。ただあまりマイナーなところまで行かないほうがいいかもしれません,なぜなら全員を喜ばすことはできないものですから,でも,彼らがまったく理解できないものが何なのか調べることは非常に興味深い研究だと思います」

 「前出の電力の話は面白いと思います。なぜなら,ごく少数のグループの人々を除いて,アメリカにいる誰も,機関車エンジンを発電機として使えるということを知らないでしょう。見上げるとそこには電力を供給するために,確かに発電機が埋め込まれているので,私たちはホース(送水管)には見えないような太い電線をヒントとして描き出さなければいけませんでしたた。プラグを差すところには440ボルトのサインも置きました。現在,440ボルトは一般的でもなければ世界標準のボルテージ量でもないのですが,でもその大きな数字で気がつくわけです。『わあ,ここで電気を作るんだ』と。だからこういう小さな手掛かりで分からせるようにしたいと思うのです」

 成功するパズルゲームデザインのもう一つの鍵は,あなたが45分後にまだ同じ問題を見ているときでも,進展していると思わせる感覚だ。「Witness」のようなゲームは,段階的な学習とプレイヤーの挑戦の最たるものだが,Obductionにおいては,問題は自己完結型で毎回異なる。またいつでもあなたの頭をドンと打つものが一つだけある。FPSでは,プレイヤーは次の手を「相手は手榴弾を避けるか,遮蔽物にたどり着くために撃ってくるかもしれない」といった感じで予測することができる。Obductionがある問題を解決する2次元空間では,そうはいかない。Cyan Worldsは,ここで生じるフラストレーションをどのように回避しているのだろうか。

「一つめは,少なくとも伝統的なゲーム観の中ではプレイヤーに最初からのやり直しはさせないことです。スタートオーバーは,完全な妨害かフラストレーションがたまるものになりえるのです。プレイヤーは死んで最初からやり直しになった時点でやめるでしょう」

 「それは良い質問です。私たちにはいくつかの方法があります。一つめは,少なくとも伝統的なゲーム観の中ではプレイヤーに最初からのやり直しはさせないことです。スタートオーバーは,完全な妨害かフラストレーションがたまるものになりえるのです。プレイヤーは死んで最初からやり直しになった時点でやめるでしょう。『やり直しになった,そんな時間はない,もうやめた』ですから,スタートオーバーはなしです」

 「それは大きな精神的恩恵になります。なぜなら,たとえ実際は行ったり来たりしているだけでも,常に前進しているように感じるので,あなたは決して『このゲームは私をまたゲーム入口の峡谷に連れ戻すのか? じゃあもうプレイしたくない』とは感じません。このようにして私たちは,私たちのゲームの中では死なないという状態を作ることで,一つの問題を乗り越えたのです」

 「二つめは,先ほど言った通り,正しい仕事をしていれば,プレイヤーの心の奥底を揺さぶるものができるということです。ゲームストーリーはプレイヤー自身の物語になり,パズルもプレイヤー自身のパズルになる,それはいつもプレイヤーと共にあり,ゲームに気持ちを引き戻すのです。たとえある時点でプレイヤーが『もう十分プレイしたし,だいたい制覇したからおしまいにしなければ』『「もうこのゲームは十分やったから,次はいつ戻ってきてプレイするか分からない』と思ったとしても,私たちがちゃんと仕事をしていれば,とくにストーリーの要素や環境はプレイヤーの中でゆっくりと燃え続け,プレイヤーはストーリーが魅力的だとか,ゲーム内で見た世界のこととか,さらにはパズルのことまでも考え始めるのです。『ああそうだ,ちょっと思いついたぞ。ああやったらどうだろう……,やってみなければ』これらが,私たちが追求するものだと思うのです」

 「私たちはパズルをうまく作り込もうとし,プレイヤーを引き入れてちゃんとゲームとコネクトできているようにしたいと考えています。しかし私たちにとって最も重要なことは,私たちがゲームにそういうコネクションを組み込むということです。プレイヤーがゲームに戻ってきて釘付けになるまでプレイしてくれるようにじらすのです。最終的には,先ほども言った通り,一度コネクションができるとプレイヤーは振り返って『そうだ,あれを見ておけばよかった,彼の家に直に続く電線があるという事実をちゃんと見ておくべきだった。……,あぁ,あった。思った通りちゃんと配置されているぞ』となるのです。そうなったら,私たちは正しい仕事をしたということになるのです」

MYSTシリーズの開発会社を悩ます「パブリッシャがいない」問題
 「しかし,私たちがパズルを作って,プレイヤーがプレイして『あぁ,このゲームデザイナーはバカだ。これをピックアップする方法なんてない』と言ったとすれば,もし私たちがあえてそのようにパズルを作っていたとしても,それでは成功したということにはならないのです。私たちのゴールは,プレイヤー全員にコネクションを持ってもらうことなのです」


語り部なしに物語を語るということ


 Obductionは,連続したパズルゲームの以上のものとなっていて興味深い。ゲームの中には一貫したストーリーがある。メモに書かれたストーリーと背景の情報の断片は,「Hunrath」の世界で実際に何が起きたのかきちんと理解させるためにつなぎあわせられている。Cyanのゲームは広範囲なNPCを呈示するような安直なものを避ける傾向があるので,Miller氏と彼のチームは,パズルと世界の両方が密接に編み込まれた物語になるように注意しなければならない。

 「信じられないほど有機的です」と,彼はプロセスに関して語る。「私たちがデザインするときは,三脚の足に見立てます。一つめは,環境・実際の場所・見え方。二つめは障害(原文はFriction:摩擦)でゲーム内のどこへも瞬時にはたどり着けないようにあなたを減速させるものです。そして三つめはストーリーです。

 「私たちのゲームにおいては,これら三つのバランスをとりたいと思っています。バランスがいいから常により良いということではありませんが。ほかのゲームでは,プレイヤーがさまざまな方法で楽しめるように一つの足だけに重心を置いているものもあり,それはそれでうまくいっています。しかし,私たちが本当にいいと思うのは,三本足のバランスが取れているものです。

「D&Dで世界を作ったときに同じことをやっていたのを覚えています。その世界では,サイコロを振る必要はなく,パズルと障害があり,人々を連れていくお城がありました。しかし,それは同じ手法で作られていたのです」

 「興味深いことに,私がかなり幼い頃から世界観を作っていた方法と,今私がデザインする方法はつながっています。それは,子供たちが宝島の地図を描くのに似ています。小さな地図を書いて,海賊が宝物を隠した場所に×マークを書いたりしていました。それはあくまでも上から見た構造の地図であり,今デザインしているものとは違いますが,それでもその片鱗は子供時代からあったということです。よく「ダンジョンズ&ドラゴンズ」で遊んでいたことも覚えています。

 私はそういうものでそれほど遊んでいたわけではなく,完全に夢中になるほどではありませんでした。でも,新しい世界を作りたかったのです。D&Dで世界を作ったときに同じことをやっていたのを覚えています。その世界では,サイコロを振る必要はなく,パズルと障害があり,人々を連れていくお城がありました。人々がいる場所をまず描くとその場所が自ら紙の上に現れ,人々にも見えるようになりそこを少しずつ探検していくのです。

 「それは信じられないほど有機的な感覚です。そして,信じられないほど集中力のいる作業でもあります。もしゲームのテーマがシューティング物であったら,この素晴らしいものは単純化されます。いえ,あまりシンプルにしすぎたくありませんが。でもテーマは完了です。私は武器を持ち,悪人を撃ち,もっとアイテムを増やし,そうするとより強力な武器を得てより多くの悪人を撃てるのです。これは極めて達成感を伴う障害です。悪人と武器。でもそれは知られたもので,終わっています。あなたのゲームはそのようにプレイしましたが,今あなたがしなければならないのは,大枠の環境設定とストーリー展開を終わらせることです,でもポイントは,悪人を殺すということです」

 「私たちは贅沢できません。以前に作ったパズルは少ししか活用することができません。そうでないと人々は『なんだ,MystやRivenと同じパズルだ』と思うことでしょう。私たちは,新しいパズルを作るとき,パズルがその属する環境にマッチし,またプレイヤーがそこにたどり着いたときに初めて見えてくるストーリーを持つように努めています。極めて大変な作業です。だから多くの人はこのようなことをやらないのでしょう」

※本記事はGamesIndustry.bizとのライセンス契約のもとで翻訳されています(元記事はこちら