ゲーム開発者はどうやってVRで収益を上げていけばいいのか?

 すべてのデジタルプラットフォームにおいて,初期の価格圧力というものは避けられない。ゲームクリエイターは,消費者がどれくらいのお金を支払うつもりがあるかを探る必要に迫られている。
 VR(仮想現実)は,まだ産声をあげたばかりの技術であり,VR用ヘッドギアの入手を待ち望んでいた消費者も,初回出荷分の梱包を解いたばかりにすぎない。しかし,多くの開発者の頭痛の種となるプロセスはすでに始まっている。
 初のVR向けタイトルが一般発売されてからまだ数日だが,VRソフトウェアの口コミを眺めると無数の同じような苦言が並んでいる。問題視されているのは「価格」だ。ある経験に値札をつけるというプロセスは,いつの時代も非常に難しい作業である。
 また,ゲームの価格と実際の価値についての認識のずれに対する批判というのもよくあることだ。だが,VRソフトウェアの場合,この初期の価格圧力については,多くのクリエイターは「ひょっとしたら避けられるのではないか」という淡い期待を抱いていた節がある。

 そもそも客観的に考えてみれば,第1世代のVRヘッドギアに数万円を費やし,数十万円のPCにつないでいる人たちが,2000円のゲームが高い,とインターネットで愚痴をこぼすというのは,なんともおかしな話である。むしろ正気の沙汰ではない。富裕層のわがままである。
 とはいえ,それが現実の消費者行動であり,経済的直観の表出である。業界が維持できる現実世界のビジネスモデルにもいえることだ。日ごろそのような人たちに鬱憤を募らせている人は,ここでありったけの罵詈雑言と怨嗟の声をあげていただいてかまわない。それが済んで落ち着いたところで,この問題に関する議論の続きを読み進めていただければ幸いである。

 要するに,価格に不満を抱く人がいる以上,VRもまた,近年Steamで見られるようなゲーム価格の急落をもたらした価格圧力から逃れる術を持たないことは明らかである。モバイルのF2Pタイトル以外で大成功を収めることがほぼ不可能となってしまったゲーム業界の現状も,この価格圧力によるものだ。
 すべてのオープンプラットフォーム(コンソールは,完全にとは言えないまでも,ある程度において例外だ)は,段階の違いこそあれ経済基盤の切り崩しに直面している。
 モバイルでは,そのプロセスは完了しており,一部の特例を除き,強気な価格設定でゲームを発売するのは,積み上げた札束に火をつけるより,時間はかかるが楽しさで劣る暇つぶしでしかない。
 PCでは,まだその段階には達していないが,流れが覆ることはない。価格は下がり続けており,とくに高価格帯ではその傾向が顕著だ。高額な「シーズンパス」のようなコンセプトの導入は,大多数の無課金ユーザーの中から極めて限られたコアなファンを抽出しようとする試みにほかならない。

 「各プラットフォームが通ってきた,価格の下落に対抗して収益をあげる方法を求めて開発者が頭をひねるという道を,VRもたどることになる」

 ここ1,2年の議論から察するに,VRが地獄に垂らされた蜘蛛の糸になると期待するゲームクリエイターもいるようだ。急速にF2Pのビジネスモデルに転換し,このモデルに適応できない,あるいは迎合を拒む開発者たちの行き場を奪っているモバイルゲームに辟易したクリエイターたちは,VRこそ約束の地,彼らの求める新しいプラットフォームであると考えているのだ。そう。才能あふれるクリエイターにのみ開拓が許された未開の地であり,しかも,モバイルにおけるF2Pモデル台頭の責を負うべき無知蒙昧のカジュアルゲーマーども(ごく一部の意見です。怒らないでください)に侵されていない,「本物のゲーマー」のためのハードコアなプラットフォームであると。

 この説には2つの難点がある。1つめは,コアゲーマーとカジュアルゲーマーの間に単純な線引きを行おうとする時点で,すでに根本的なオーディエンスの取り違えをしている点である。
 確かに,ゲームユーザーには多くの明確に異なるステレオタイプが存在する。たとえば「League of Legends」でコメントを荒らして悦に入る中学生,子供を学校に送り出してから「Candy Crush」を楽しむ中年主婦,そして,ワープアを自称しながら発表されたばかりの「ファイナルファンタジーXV」の特典版を予約する二十代の若者などである。
 しかし,これらのステレオタイプの狭間の領域は複雑かつ流動的で,「ゲーマー」内の住み分けという魅惑的で単純な分類に収まるような類のものではない。すべてのVRユーザーが(定義はどうあれ)「コアゲーマー」であると推測することで心の平安を得られるクリエイターはいるかもしれないが,そんな推測に基づいてまともな事業判断を行うことはできはしない。

 より重大な2つめの問題は,モバイルであれPCであれ,カジュアル層のせいで従来型の最初にまとまった金額を支払う形のビジネスモデルが消滅していこうとしているわけではない,という点が誤認されていることである。むしろ,従来のビジネスモデルが淘汰されつつあるのは,大いに実績のあるミクロ経済の原則(経済学の学説の中で,少なくともそれなりの期間にわたって効果が認められるのがミクロ経済である)によるものである。
 商品の製造コストおよび流通コストがゼロに近づくと,価格も必然的にゼロに近づく。これは,正規の市場がその商品を無料で提供しなければ,必ず違法な市場で提供が始まるからにほかならない。物理的な商品であれば,製造コストがゼロになることはないので,影響は大きくない(それでも,高価なブランド品の模造品は,価格が製造コストに近づくほど売れるという点は特筆に値する)。
 しかし,デジタル商品の製造コストはほぼゼロであり,価格を下支えする品薄状態も起こり得ない。どれだけオーディエンスが「コア」であったとしても,商品の価値の認識のみに基づく価格の下落は必至なのだ。

 デジタル商品が金にならないという話ではない。たとえば,特定のコミュニティに属する自分,あるいは「ファン」であるという自意識と価値の認識が直結している人々,すなわち,欲しいものであれば金に糸目はつけないというニッチな人々を対象にすることはできる。
 また,ゲーム内に人工的な品薄状態を作り出すこともできる。これはF2Pモデルの行動エネルギーや仮想通貨に相当する。通常とは異なる期待を生む有償サービスを作り出すことで,製品に異なる価値の認識を導入するのである。価値の認識の基準となる心理に働きかければ,ゲーム内のカスタマイズアイテムを売ることができる。デジタル製品としての「現実の」価値ではなく,セルフイメージを投影したい,というプレイヤーの欲求を満たすことで価値が生まれるのだ。いずれの方法でも収益を生むことができ,収益構造を組み合わせることもできる。しかし,スタンドアロンのデジタルメディアを一定の価格で売り続けるというのは,ほぼ不可能といえる。

 VRがこの道をたどることは,もはや運命と言っても差し支えないだろう。ゲーム自体の価格は下がり続け,開発者はいかにこのプラットフォームで収益をあげるか工夫を凝らさざるを得なくなる。PlayStation VRに関しては,コントロールされた閉鎖的なプラットフォームであるため,ある程度は保護されるだろうが,RiftやViveはPC周辺機器であるため,一方では違法コピー問題,他方では開発企業同士のしのぎの削りあいという2つの大きな圧力を受けることになるだろう。
 このような板挟み状態にあっては,価格は下降の一途をたどるよりほかない。そうなったときに開発者にできることは1つしかない。多様化を目指して,新しいビジネスモデルを模索するのだ。これはなにもVRに限った話ではない。デジタル流通時代にローンチされた(あるいは将来的にローンチされる)すべてのメディアプラットフォームが直面する,きわめて明らかな現実である。

「VRソフトウェア市場が10年前のPCゲーム市場のようになると考えているようでは,経営が立ち行かない」

 問題なのは「従来のビジネスモデルではうまくいかない」と言うのは容易だが,実際にうまくいくモデルをピンポイントで探り当てるのは難しいということだ。問題の一部は,現時点に至ってもVRに関して把握できていない部分が山ほど存在していることにある。消費者が,長期的にVRハードウェアをどのように使用することになるかを,私たちは知らないのだ。VRヘッドギアは,ときどき身に着けて20〜30分ほど短い体験をするためのものになるのだろうか? それとも,何時間も装着したままで,さまざまなものが存在する複雑な世界に没入するようになるのだろうか? ネット上のソーシャルなやり取りに使用する可能性は? いま行われていることは,すべて実験に過ぎない。VRが十分な数の消費者に行き渡るまでは,大半のユーザーにとっての物理的な快適さはもとより,社会学的あるいは心理学的な快適さについても把握することはできないのだ。

 その段階に至って,VRソフトウェアのビジネスモデルの命運が決する。ネット上のソーシャル交流が大きな市場となれば,アバターのカスタマイズ,仮想家具などによって一攫千金が可能になるだろう。PCやスマートフォンのタイトルでさえ,人々は自分の見た目を良くすることに熱中するのだ。圧倒的にリアルなVRの世界であれば,どれほどだろうか。限られた時間だけ使用するという形に落ち着けば,おそらくドラマなどの映像コンテンツが主となり,複数のクリエイターのコンテンツから選び抜かれた作品をパック料金で楽しむ「ケーブルテレビ型」のアプローチもあり得る。既存のF2Pの行動エネルギーのようなシステムは適合しない(仮想現実を楽しんでいる人に「続きを見るにはお金がかかりますよ」というのは,PCやモバイルのゲームに比べて遥かに頭にくる妨害行為であろうことは想像に難くない)が,より没入感のある長時間遊べるゲームをVRヘッドギアで動かせるようになれば,おそらく基本料金と利用時間課金の組み合わせによる新たな形のF2Pモデルが模索されるだろう。

 VRの黎明期は,実験的なフェーズになる。VRのクリエイターにとって,何が成功し,何が失敗するのかを探る作業は,とてつもなく大変ではあっても楽しいものになるだろう。この作業には,ビジネスモデルの模索も含まれる。クリエイターは,人々がVRで経験したいと望むものとその形態を把握するにあたり,彼らがその経験にどれだけの対価を支払う用意があるかを把握することが重要である。
 VRソフトウェア市場が10年前のPCゲーム市場のようになると考えているようでは,経営は立ち行かない。過去のビジネスモデルが未来の技術に適合すると期待するべきではないのだ。

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