Emerging Technologiesレポート:柔らかい振動や面の振動が可能となり,圧力入力も可能な革新的な振動素子「e-Rubber」とは

Emerging Technologiesレポート:柔らかい振動や面の振動が可能となり,圧力入力も可能な革新的な振動素子「e-Rubber」とは
 SIGGRAPHで先端技術が体験形式でお披露目されるEmerging Technologiesレポートの第1弾として,すでにソニーの円筒形透明ホログラムディスプレイについてのレポートを掲載済みだが(関連記事),本稿では,同じくEmerging Technologies展示コーナーで注目を集めていた新デバイスを取り上げたいと思う。
 今回取り上げるのは,トヨタ自動車グループのゴム研究開発部門として知られる豊田合成が今秋よりリリースを予定している新振動素子「e-Rubber」だ。


振動素子とHaptics


 振動素子は,スマートフォンやゲームコントローラに「バイブ機能」という名称で内蔵されてからかなりの時間が経っていることもあり,珍しいものではなくなってきている。
 この振動(バイブ)は,非常にシンプルなものではあるが,ゲームにおいては重要な「触覚学」(Haptics)的な表現として重宝されている。ゲームの映像と音響と同期して提示されると,疑似的ではあるが「ゲーム世界とプレイヤーとの物理的なつながり」が実感でき,ゲーム体験への没入感が増強されるからである。ゲームプレイ時にモンスターからの攻撃を受けた際の衝撃,爆発の地響き,キャラクター同士の接触,オブジェクトとの衝突があったときには「ブルっ」とゲームコントローラが振動するだけでも,ゲームに夢中になっていればいるほど,臨場感が強まった感覚を得ることがあるのはそういうことなのだ。

 こうしたゲームコントローラの振動機能は,小型の電動回転モーターに偏心錘(おもり)を付けた偏心回転質量(Eccentric Rotating Mass:ERM)式が主流だ。任天堂SwitchのHD振動は,錘の付いたコイル軸をリニアモーター(ボイスコイル)を用いて前後(上下)移動させるリニア共振アクチュエータ(Linear Resonant Actuator:LRA)式を採用している。
 ゲーム向きの振動素子に求められる性能要件としては,「振動発動までの低遅延性能」「出力振動周波数の幅広さ」などが挙げられるのだが,前出のERM式,LRA式は振動を開始するために電力を加えてから振動が開始するまでの遅延時間が20ms〜80msと比較的大きい。60fps換算でいうと1フレームから5フレームは遅延してしまうことになる。出力周波数は最大300Hzあたりまでだ。
 出力される振動も,よくよく意識すれば,振動が錘のある1か所から発せられているようなこともなんとなく分かってしまう。


振動素子兼圧力センサーのリバーシブル特性を持つ新振動素子「e-Rubber」


 今回,豊田合成がSIGGRAPH 2019のEmerging Technologiesで発表した「e-Rubber」は,こうした錘を使わない振動素子であり,しかも面で振動を出力でき,さらに超低遅延な振動特性を持つユニークなものになる。なお,SIGGRAPH 2019における論文発表では「HAPTIC PLASTeR」(eは小文字)として発表されている。
 e-Rubberは,分類としては誘電性エラストマーアクチュエータ(Dielectric Elastomer Actuator:DEA)に分類される。
 これは簡単に言えば,絶縁体(Dielectric)を2つの電極で挟んだコンデンサのようなもので,その絶縁体が塑性材質(Elastic Material)でできていることがポイントとなる。塑性材質とは,弾力のある材質のことだ。Elastomerとは平易にいえばゴムのことである。つまり,DEAとは「弾力のあるゴムでできた柔らかいコンデンサを用いた力学器」ということになる。
 このDEAという概念自体は1990年代から研究が進められており,豊田合成自体も,2007年から開発に着手し,2013年には低消費電力で振動を発生できるゴムシートとしてサンプル出荷をしたことがあるそうだ。

 使い方はシンプルだ。パルス状の電力をe-Rubberの電極に与えると,ゴム部分が伸縮するので,これを振動源と利用する。根幹パーツがゴムなので軽量であり,大きなシートで使えば「面状の振動」を作り出すことができる。しかも,熱損失がほとんどないため,発熱しにくいという特徴まである。

 そして,今回のe-Rubberの最大の注目点は,DEAの根幹パーツである塑性材質の部分に「Slide Ring Material」(SRM)を採用したところにある。
 SRMとは,東京大学の伊藤耕三教授が発明した超分子素材で,複数の「輪っか」(リング)のような環状分子の穴の中を,原子が線上に結合した直鎖状高分子が貫通しているような構造をとったものだ。その線状分子の末端には「輪っか」が外れないように「栓」の役割をするストッパー分子まで取り付けられた,まさに「ナノサイズの手芸」のような物質なのだ(下図)。なお,豊田合成はe-Rubber開発で,このSRM利用に際して,東京大学発のベンチャー企業であるアドバンスト・ソフトマテリアルズ(ASM)と独占ライセンス契約を締結しているとのこと。

e-Rubberは誘電性エラストマーアクチュエータ(Dielectric Elastomer Actuator:DEA)の一種で,誘電ゴムを伸縮性のある電極でサンドイッチしたような構造をとる。その誘電ゴムは,環状分子を携えた無数の直鎖状高分子同士が,それぞれの環状分子同士で接続(架橋)するSRM構造となっているのがe-Rubberの特徴である
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e-Rubberは振動素子でもあり,触覚/圧力センサーとしても動作できるのも特徴
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 全体としては線状分子同士がそのリングを介して接続されており,直鎖状高分子が伸縮した際には,自身にくっついている複数のリング達がスライドする特性を発揮する。このリングスライド特性「滑車効果」のおかげで耐久性が高く,あらゆる強さの力学的運動(振動)をも均等に出力できるのだ。遅延性能も,圧電素子のピエゾモーター並みであり遅延はほぼ無視できる。

SRMのイメージ図
通常のゴムなどの材質(a)では,強い力を入力した場合に破断してしまうが,SRM(b)の場合は滑車効果の恩恵もあってそうしたことが起こりにくい。耐久性も高く,数百万回の振動にも耐えうるとされる

 e-Rubberは低周波の0.1Hzから1kHzまでの高周波までの振動が再現でき,さらに強い力だけでなく,数グラム程度の弱い力までを再現できる。なので硬い触感から柔らかい触感までを再現できるわけだ。
 硬い触感は前出のERMやLRAでも再現できなくはなかったが,柔らかい触感再現はe-Rubber特有のものと言える。
 そして,さらに凄いのは,このe-Rubberは,同一の素子で,振動発生器から圧力センサーにも早変わりするというところ。つまり,このe-Rubberに対して力を加えるとe-Rubberは電力を発生するのだ(正確にはe-Rubber内に蓄積された静電容量の変化を計測することになる)。つまり,入力装置にも使えるということである。


 このe-Rubber,弱点はないのか。
 弱点というわけではないが,DEAの構造上,駆動には電圧の昇圧が不可欠となる。どのくらいの電圧に昇圧するかというと800〜1500Vくらいになる。万が一,このe-Rubberの被覆部が剥がれて電極が露出し,そこに人体が触れた場合は静電気程度のピリっといった感触はあるかもしれない。なお「800V〜1500Vで駆動される」といっても,電圧は高いが電流量は微量なので,上記のようなワーストケースで電極に直に触れてしまったとしても人体には何の影響もない。


実際にe-Rubberをデモで体験


 Emerging Technologiesでは,豊田合成と共同研究先の慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科が合同でブースを出しており,そこではe-Rubberを使った振動や圧力入力機能を使った触感伝送の実体験を楽しむことができた。
 最初に体験したのは,別の人が手に持って振った水風船の振動(+触感)を,何も入っていないから風船を持った自分に伝送するというものだ。水風船を持った人の指にも,自分の指にもe-Rubberが取り付けられており,水風船の中の水が揺れる様がリアルタイムでこちらに伝わる感覚は確かに衝撃的であった。

指先に触感/振動を伝えるための最小構成のe-Rubber実用事例
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 指に付けたe-Rubber画面で動くので,振動というかほぼ触感という体験であり,ジャバジャバとランダムに上下左右(つまりは2軸の動き)に揺れる水の動きが確かにこちらに伝わっている感覚が得られるのだ。面白いのは,風船の中の水の上下運動が下に落ちたときの触感が,下方向に引っ張られるような「重み」にも似た感覚が得られたこと。重みを伝送するのは物理的には不可能なはずだが,人間の認知としてなにかしらのクロスモーダル効果が働き,そうした感触を感じてしまったのかもしれない。

 さらに続いて,同じような原理で,首の頸動脈の脈動を被験者に伝えるというデモを体験した。
 これは正直,リアルすぎて笑えない体験であったが,実は技術的には凄いことなのだ。というのも,e-Rubberでは,皮膚の上からの頸動脈の脈動のようなかすかな動きを検出してそれを電気信号に変換し,この信号からe-Rubberを面振動させることができるということを証明していることになるからだ。
 e-Rubberでは,数グラム程度の弱く柔らかい振動を入力,あるいは出力することができるということだ。


 上の体験は,指先のサイズにカットしたe-Rubberを駆動させたものであり,いわばe-Rubberの基本体験に相当する。
 前半で解説したようにe-Rubberは,面で振動できるので,これを活用したデモや展示も行われていたのだ。
 ブースで行われていた最も大きなサイズのe-Rubberによる面振動デモは,実際に今秋に発売が予定されている心臓冠動脈バイパス手術シミュレータ「SupeR BEAT」であった。詳しいスペックはまだ非公開とのことであったが,見た感じでは直径十数センチサイズの円状のe-Rubberを活用しているように見受けられる。
 冠動脈バイパス手術では人工心肺装置を使用せずに心臓を動かしたまま行うことになり,その際,心臓上の太さ約1.0〜2.5mmの冠動脈に対し,太さ約2.0〜4.0mmのグラフト血管を針と糸で縫い合わせるバイパス手術を行う。
 さまざまな周波数の柔らかい振動までを面振動できるe-Rubberは,この心臓の動きの再現に最適ということのようだ。



ゲーム分野への応用にも期待!?


 豊田合成と慶應義塾大学では,このe-Rubberをゲームをはじめとしたエンターテインメント分野にも応用したいとのことだった。
 ブースで展示されていたのは,名刺サイズの半分くらいの,一辺が数センチサイズの長方形タイプのe-Rubberを敷き詰めたスニーカータイプだ。
 歩き回れるタイプのフリーロームVRゲームで足に対する触感再現に活用したり,あるいは足からの圧力をセンシングする方向で,e-Rubberを活用してヘルス系,フィットネス系に応用することもできるかもしれない。うまくすれば「サラサラした砂地」「ドロドロした沼地」といった歩行感を足の触感で再現できるはずだ。

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e-Rubberは面積を大きく取って使用すれば,広い領域で振動を発生させることが可能
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靴などに組み付ければ「歩き回れる系VR体験」(フリーロームVR)向けのシューズとして利用できる

 VR-HMDの接顔面側に組み付ける案もあるようで,VR世界からの干渉用途に使えるだろう,と予測していた。研究グループは「VR世界からの風の表現などによいかもしれない」と述べていたが,恋愛シミュレーションゲームなどで,異性キャラクターからの「おでこにキス」なんていうのが実現されたら,婚活を辞めてしまう人が続出しそうである(笑)。

これをVR-HMDに組み付ければ顔面に触感を与えることもできる。風を受けている感覚や,顔を触られてる感覚和再現できるかもしれない
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 筆者がシンプルに要望するのはゲームコントローラの左右のグリップ部の手の平に当たるあたりに面状に取り付ける案だ。これならば,従来どおりの爆発系の振動表現も手の平全体に対して出力することが出て大迫力になり,e-Rubberの圧力入力機能を使ってグリップをギュッと握ったときには,その力をアナログ入力でゲーム操作に役立てることができそうだ。
 前述した頸動脈デモのように,このグリップの「握り」を,別のプレイヤーにリアルタイム伝えられたら,協力プレイで勝利したときのハイタッチ/握手的な表現に使える気もする。
 ぜひとも次世代PlayStationや次世代Xboxなどのゲーム機への採用も期待したいが,2020年末発売ということを考えると,ちょっとタイミング的に厳しいか。