吉田修平氏,PS2のローンチを振り返る「我々は恐ろしく準備不足でした」

SIE Worldwide Studiosのプレジデントは長年のPlayStation展開で何がダメで何がうまくいったのかを語った

 PlayStation 2成功の秘密はなんだろうか? そしてPlayStation 3ではどこがダメだったのか?

 今週行われたDevelop: Brightonのステージ上でのEdge Magazine誌の編集者Nathan Brown氏との会話で,ソニー・インタラクティブエンタテイメントWorldwide Studiosプレジデントの吉田修平氏はPlayStationの25年の歴史の中で何が失敗で何がうまくいったのかについて語った。

 PlayStation 1の成功に酔いしれ,次世代ゲーム機のローンチ時に吉田氏は「我々は恐ろしく準備不足でした」と認めていた。

 「なぜなら,我々は業界がPS1からPS2への迅速な移行をどう扱うか見当もつかなかったのです」と氏は語った。

Develop: Brightonでの吉田修平氏とNathan Brown氏

 吉田氏は冗談交じりに,PS2はほとんど遊べるゲームがない状態でローンチしたが,当時できつつあったDVDプレイヤー市場と比べると「破壊的」な価格であったことを指摘した。

 「初動からの大成功でした。PS2は狂ったように売れてました」と吉田氏は語る。「しかし,日本でのローンチ時での最も売れていたソフトはMatrixのDVDでした」

 「DVDは大人気でしたが,まだ非常に高価なシステムでした。そこへPS2が同等の高品質DVDプレイヤーの機能持ちつつ遥かに安い破壊的な価格で登場したのです」

 しかしながら,PS3のローンチ時には幸運に恵まれなかった。吉田氏はE3で価格を発表したときのことを「恐ろしい瞬間」として振り返る。

 サードパーティのソフトが限定されていたこととゲーム作成の困難さで悪名が高かったハードウェア仕様もあいまって,PS3は最初からトラブルに見買われていた。
 「久夛良木さんは非常に優秀なエンジニアで,彼のチームのモチベーションは非常に高いものでした。久夛良木さんはやる気を引き出すのがうまい人でした」とPS3のアーキテクトの仕事を振り返りつつ吉田氏は語った。

 「おそらく,彼は自分の夢を実現する踏み台としてビデオゲームを使ったのだと思います。彼はIntelかそういったものの次のものになることを夢見ていたようでした……。我々はできあがるまでそれに触ることもできませんでした。彼はシステムの設計にゲーム開発者を巻き込む必要性を感じていませんでした。これがPS3が作られた顛末です。そしてその結果はご存じのとおりです」

※本記事はGamesIndustry.bizとのライセンス契約のもとで翻訳されています(元記事はこちら